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【礼二郎のつぶやき】

振り返りつつ反省やお願い

糸井信望が治まりません。というか、いちいち考えていることがシンクロしていて失笑してしまいます。

彼が仰るように、僕も割と頻繁に「自分、よくやってるよなぁ」と感心しますし、そう感じた途端に「いやいや、大したことしてないだろう。ここで慢心したら終わりだな」と自戒モードに入ります。

他人から褒められて決して嬉しくない訳ではないのですが、褒められれば褒められるほど「すいません、そう言って頂けて光栄なんですけど、ほんと何言っちゃってんのかよく分かりません。世界を見渡せば宇宙スケールで凄い人いっぱい居るからそちらを褒められては如何ですか?」と思う気持ちが強くて、素直にニッコリなんて出来ません。というよりは、やたら称賛してくる方に限って「私はこんなに素晴らしい人と近しいのよ!」という自分アピールの側面が鼻に付いて嫌になる面倒臭い性分です。

そんな面倒臭い思考回路も大怪我を機にだいぶマシになりました。何よりもまずよく眠れる。これは本当に奇跡と言ってもいいぐらい、それまでは眠りが浅くて些細な物音でパッと目が覚めてしまっていましたが、深部の凝り固まっていた筋肉を徹底的に解して貰っているので「さぁ、寝よう」とベッドに横になった瞬間に交感神経はドミノ倒しのようにパタパタパタとなぎ倒され、正に夢見心地で夢の中へ。

ご飯も相変わらず美味しく食べられていますし、お通じも快調そのもの、筋肉痛すら起こりません。気になっていた手の指の痺れと感覚の薄さも、足の指の強張りも改善されています。

一体どのぐらい体にも心にも無理を強いていたのでしょう…

僕個人は今回大怪我で気付けた事が沢山あり、身体を弛めつつ鍛えていくことの大切さを痛感しましたが、世の中には色々な人達がいて尋常じゃなく身体を強張らせて使っていても大事故には繋がらない方々も大勢いらっしゃいます。そんな方々に弛める美学を説くなんて完全にナンセンス。突っ張っていないと心も身体もダメになってしまう方々に「そんな使い方してたらいつか突然再起不能になってしまいますよ」なんて囁くのは本当に余計なお世話なのです。そして、弛めて丁寧に使うからこそ美しいアートになるとは限らず、機械のようにカキカキと動くことだって素晴らしい芸術なのです。

ただ、僕の場合はカキカキし過ぎたり突っ張り過ぎたりすると再起不能になるので今後更に弛めて丁寧に使う方向性を極めていくことにしました。

そこで皆さんにお願いがあります。

「金子に餌を与えないでください」

そうですねぇ、あれは去年の長編遺作上演時でしたかねぇ、「一切の差し入れをご辞退申し上げます」宣言をしましたが、それを機にだいぶ皆さんも気を遣って下さってご好意は激減したのですが、まだそれでも時折お菓子や栄養補助食品の類いを下さる方がいらっしゃいます。

ご好意はとても有難いのですが、今後は「口に入るもの」「身体に触れるもの」「飾るもの」「読むもの、聴くもの、眺めるもの」「宗教関係グッズ」等の一切のお心付をお断りいたします。

皆さんには対価を支払ってレッスンを受けて頂いている、それに見合う内容のレッスンを僕は行なって皆さんが心も身体も健やかになってスタジオを後にされる、それが僕の仕事でありやり甲斐であり誇りであるわけです。

「移動中お腹が空くでしょう、少しばかりですけどこれでしのいでくださいね。」と優しい気持ちで渡してくださるものをにべもなくお断りするのはなかなか苦しいものです。

実際に、「人に物をあげることが生き甲斐だ」と仰られたケースもあり、その愉しみを踏みにじるのは如何なものかと悩んだこともありました。

でも、そのストレスも含めて更なる怪我に繋がる要因はどんな些細なことでも徹底的に排除しておきたいのです。

何物にも囚われず完璧に整理整頓された身体で、少しでも長く皆さんに質の良いクラスを提供するために。

潔癖症でごめんなさい。融通が利かなくてごめんなさい。我が儘でごめんなさい。

これを皆さんにお伝えすることが2019年の僕の「ケジメ」です。

来年、「アイツ、なんか胸糞悪い事ばっかり言うけど、明らかに色々進化してて言うだけのことあるじゃん?」と皆さんに一目置いて頂けるように。そして、そんな自分を来年末には「ちょっとよくなった」と思えるように。

はい、では糸井氏のコラム、どうぞお読みください。未だにこの方が71歳だとは信じられません。柔軟な感性と幅広い発想力は僕の20年後の目標です。
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・いずれ、また何度も言うことになるんだから、いまみたいな時期に先走りして言うことないんだけど今年も、もう終わりですねぇ。泣いても笑っても、と、これまた平凡なこと言いますが、後悔もしてませんよ、やるだけやってると思いますよ。それでも、もっとできたんじゃないかなんて、後悔じゃないんだけど、不満を感じているというか…。

だけどね、これ、悪いクセだよねと気がついたんですよ。あれこれ至らぬこともございますが、一年前から、ここまでで、ずいぶんいろいろやったもの。ぼくも、だけど、「ほぼ日」のみんなも、進化というと大げさだけど、ひと回り成長したと思うよ。そういうところを見ないで、「まだまだです」とかね、簡単に言い過ぎちゃうのは、ちがうなぁと気がついた。

あんまりほめてたら、慢心するとか、天狗になるとかね、そりゃぁ注意しておく必要はあるとは思いますよ。でも、実際、それほどいい気になったりできないもの。じぶん自身の経験では、天狗になるとか、いい気になることはあったとは思いますよ。でも、なんかそれは麻疹(はしか)みたいなもので、もう済んでるというか、もう懲りてるという感じです。世の中見渡して、ほんとになにかやってる人で、何度も、あるいは、いつも、いい気になってる人って、あんまり見かけないでしょう。なんにもやってないのに自信過剰という人だったら、けっこうあちこちにいそうだけどね。

とにかく、師走のこの時期、なにかと反省したりしてそうな年の瀬に、「よくやったことを数える」ようにしようと思うんです。みんなにも、もちろん、じぶんにもね。「ちょっとよくなった」は最高で、「かなりよくやった」は、最高の上です。「もうちょっとできたんじゃないか」は、来年やろう。「だめだったなぁ」があったとしたら、考えればいい。反省じゃなくて、やれるように考える、あるいは忘れる。それでなくても気忙しくなるし寒くなる12月ですから、笑ってあったまるような日々を過ごしましょう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。アホかというくらいのオポチュニズムが、いいバランスさ。

# by reijiro_kaneko | 2019-12-06 21:38

「decay-de」終演いたしました。

√isionsという場所がご縁で出会ったMちゃんと昨日の舞台の終演後話すタイミングがあり、そこで僕が「今年は久しぶりにあまり作品を創らない一年であり、創り方すら忘れていて困った」と無意識に喋っていることにうっすら違和感を感じていたのですが、少し時間が経ってよくよく考えてみたら恐ろしい数の小作品を創っていた一年だったのだと今更気付くおバカちゃんです。

「本公演」と名が付く大作こそ創らなかったものの、「俺はYouTuberになる!」とある日血迷って独り言を言い、どうしようもない駄作も勘定に入れると10本もの動画作品をYouTubeに上げ、過労のため「ギックリ」の名称を冠する三種類をコンプリート。

いやはやなんとも馬鹿過ぎて我ながら呆れます。

何を思ってか、911に端を発する様々な事件や災害への弔い合戦も始めてしまうが故に、楽しくなってしまった死者の魂を無数に身に纏い過剰装飾されたクリスマスツリー状態でこの3ヶ月ぐらいを過ごしていた訳ですからね、そりゃあ身体もオカシクなりますわな。

僕には無数の矢が刺さったまま静かに仁王立ち出来る弁慶みたいなことは到底無理だと分かったので、もう中途半端な弔いも辞めます。別にその責務も全くもって僕の担当ではないのに、一体何を勘違いして突っ走っていたのでしょうか…

2019年の師走は、本来の使命である「しがないエンターテイメント・サービス業」に専念し、こんな偏屈オヤジにも関わらず慕って下さる皆さんが心も身体も健やかに新年を迎えられるよう、ほんの少しお手伝いをさせて頂く所存です。

そして、怪我を武勇伝にさせない賢く健康と付き合う方法を皆さんと共に模索していこうと思います。

話は√isionsに戻ります。

ショーケース形式の公演はこれが2度目の参加となります。前回よりも振付師・出演者共に増えて総勢300名弱の大所帯の中、20名を超える出演者作品も多数ある中で僕は7名という少数精鋭での作品提供となりました。

当初は、昨年の引退パフォーマンスの再演のつもりで創り始めたのですが、出来上がってみたら完全に新作となっていました。初演はデュオという形でしたので、7名に増えただけでも僕の中ではワオ!な感じだったけれども、40名超の作品の直前に配置されると流石に少々寂しいかなぁ…と不安になった時もありました。

しかし、そんな不安も照明が付き音質の良い音響が華を添えてくれた瞬間に吹き飛びました。

「decay-de」は「崩壊してゆく10年」という意味です。911に始まった10年、そして311から壊れ続けている新たな10年。そんなテーマを20代前半の彼等に託すのはどんなに身勝手な僕でさえ流石に躊躇しました。しかし、リハーサルを積み重ねるうちにどう考えてもこのタイトル以外の選択肢が見当たらず、彼女達にこのタイトルに決めたと報告した時もアッサリと受け入れてくれたことで腹を括り、どんなに世界が壊れていこうが地球上の何処かで罪人達をその無垢な眼差しで見つめている女神として描いたのです。また、作品の随所にこの20年で起こった事件や災害のモチーフを忍ばせています。
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「だからと言って深刻になる必要も悲しくなる必要もない。君達はあくまでも丁寧に動きを紡ぎ、遠くまで見渡して、ノビノビと其処に存在してくれればいい。」

それが最後に彼女達に掛けた言葉でした。
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少人数では埋めることが難しい舞台の空きスペースが、時には荒廃した大地を思わせ、時には細長い洞窟を彷彿とさせ、時には巨大な神殿をも想起させる空間へと変化し、その中で悲愴感のカケラもない7人の女神達が滑るように動いていく情景に、作者であることを忘れ陶然と酔いしれて観ておりました。
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世の中には大人数を整然と見事に捌く振付師が存在します。底抜けに楽しいショーを創る事に長けている振付師が存在します。

僕の役割はセールスポイントはそこではない、と今回再認識したことは言うまでもありません。

一人一人の顔が見える、個性が踏み潰されない、簡素で清潔でホッとする、それでいて想像力を掻き立てる作品をこれからも創っていきたい所存です。
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最後になりましたが、「decay-de」の中で僕が何度も泣かされたシーンがあります。それがこちら。今回初めまして、のお二人のお陰で僕は色々な意味で救われたのです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-12-02 21:03

安易で過剰な装飾への嫌悪

言葉自体は好きなのに使い方や使う人次第でとても嫌悪感を抱く言葉、というのがある。

例えば「素晴らしい」。

調べてみたところ、江戸時代までは「狭くなる」「縮まる」を意味する「窄る(すばる)」が形容詞化されて「すばらしい」という言葉になり、現代とは真逆の「酷い」「とんでもない」の意として使われていたそうだ。

糸井氏が触れているように、ネガティブな意味の修飾詞を用いて「メッチャ」褒めそやす、という技法はいつの時代にも存在したはずなので、「素晴らしい」も「とんでもないぐらい素敵」と何処ぞのどなたかが使い始めたのがキッカケで、今では元々の意味も忘れ去られるほど大賛辞の言葉として定着してしまった。

常に変化を歓迎するフロンティアなら好ましいと感じるだろうが、生憎僕はこの件に関しては由々しき事態と受け止め、年下の者から「素晴らしいですね」と褒められる度にカッチーンとむかついているのである。

気になればなるほど、「窄る」を語源として変化した「みすぼらしい」と「すばらしい」が同じ言葉に聞こえてしまって、相手は絶賛してくれているのにも関わらず「俺のどこがそんなに見窄らしいんだ?!テメー喧嘩売ってんのか?!」と売られてもいない喧嘩を買おうとしてしまう。

困ったものだ。

同じく「めっちゃ」という言葉も一年に一回耳にするぐらいなら「あけましておめでとうございます」のように「今だけだ、今だけ我慢して100回ぐらい言っとけばあと364日は口にしなくて済むんだ」と軽く流せるのだが、好きなYouTubeチャンネルで大人が頻繁に連呼するならまだしも、子供達もここぞという時に「めっちゃ美味しい!」とカメラ目線で叫んでいたりするのを観ると、何ともやり切れない気持ちになってしまう。

気にならない人にとっては本当にどうでもいい話題だが、生憎僕はこの件に関しては由々しき事態と受け止め、老若男女が「メッチャ美味しい!」と大して美味しくもないであろうスウィーツを満面の笑みで頬張っているのを観ると己の価値基準レベルを引き下げられる気がして目と耳を塞いでいるのである。

昨晩は今週末行われるオムニバスダンス公演の照明合わせで劇場へ。劇場に入ると誰でもそうなるが、非日常が故の浮き足立った高揚感で饒舌になったり余計な動きをしてしまったりしがち。

いそいそとカメラを数台設置している僕の周りに集まって来た出演者達は最初こそ緊張した面持ちではあったが、次第にふんわりくにゃくにゃし始め、僕の作品に必要な「やってやろう!感なんて要らない。素直に丁寧に平常心で臨めばいい。」ムードで満たされ、其処に最後の仕上げの照明と音質の良い音響が加わってまさに夢見心地の世界が出来上がっていった。

この数年、外部依頼作品を幾つか手掛けさせて頂いたが、この作品は紛れもなく納得できる作品であり、仕事を忘れて没頭できる時空間であり、「メッチャカッコいい作品」でも「素晴らしい作品」でもなく「永遠に浸っていたい作品」に仕上げてくれたダンサー達とスタッフの皆さんに心酔する作品となった。

花火やジェットコースターのように一瞬だけ心が高揚するものではなく、派手さやスリリングさは無くとも静かに心の折り合いを付けるような作品が僕にはやはり丁度良いと思える。

しかし、その奥に潜ませたメッセージに気付いてしまった人はナイアガラ瀑布を流れ落ちるような衝撃を受けてしまうのだが。。。
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・先日から「めっちゃ」と言わないようにしている。いつごろからか、なにかを強調するための「めっちゃ」ということばを耳にするようになっていた。たぶん、最初は若い人たちだけが使っていたのだろうが、しだいに広がっていって、いつのまにやら、じぶんまでが「めっちゃいいねー」などと言っていた。

流行語がけしからんというようなことは、言わない。しかし、なんだか「めっちゃ」は便利すぎるというか、それまで使ってなかったくせに、使い勝手がよすぎる。世の中の流れにつれて、ものごとを強調する副詞は流行っては消えをくりかえしてきた。

「めっちゃ」以前にあったのは、たとえば「すごく」だ。すごくかわいい、すごく高い、すごく怖い…などなど。さらに口語っぽく「すごい」という場合もあった。「すごいおいしい」「すっごいかっこいい」などと。それと似たような言い方で「ひどく」もあるだろう。「ひどくいいね」などと否定のニュアンスを匂わせて、強調に持っていくという修辞法でもある。「ごっつい」も関西中心に、あったと思う。「ごっついうまい」「ごっつええ感じ」などだ。「最高に」という強調のしかたもけっこう使われていた。「最高にきれい」「最高うれしい」「サイコー怖い」。「本当に」もあるけれど、巷の流行という感じではない。強調するのにも、「盛りたい」気分がある場合には、「本当に」だとかでは足りないのだろう。しかし「本当に」を「本気(マジ)で」と言い換えたら、それなりに使われていたとも思える。

「めっちゃ」が使われていない時代には、どんなことばを使っていたのか、思い出してみると、「超」だったのではないかという気がする。「超きれい」「超かわいい」「超かっこいい」。小学生なんかだと「スーパー」とかも言っていたろう。

話を最初に戻すのだが、「めっちゃ」を禁じたとき、みんなは、そしてぼく自身は、どうするのだろうか。いろいろ混ぜて、時と場合に応じて使うことになる? まじで考えると、めっちゃむつかしい問題でござるな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。基本的にことばはインフレしていく。デノミが必要になる。

# by reijiro_kaneko | 2019-11-29 15:21

猫師匠

日に日に身体が変わっていくのを感じる。パーソナルトレーニングを始めて半年経った頃に感じた変化も感動的だったが、大怪我を経て全身至る所を無理して使っていたことに気付き、整骨院の先生に徹底的に緩めて貰っているうちに感じてきている変化は少々キツネにつままれているような不思議な感覚なのである。

それこそ「柔よく剛を制す」。

力んで動作を行うのではなく、如何に最小限の効率良い動き方で最大のパフォーマンスを引き出すか、長年追究してきたけれども「これ!」という手掛かりが無いまま闇雲にあれこれ試行錯誤してきた事が阿呆に思えるほど呆気なく手に入りつつある。

それを喜んだのも束の間、おそらく年内最後の不調となるであろう「首ギックリ」を患うことになるとは、情けないやらこれも変化の一途だという確信もあるやら…

急に寒さが募ってきたところへこの二日間の季節外れの暖かさ、そして雨。ここ数年めっきり低気圧に弱くなり度々偏頭痛を経験しているが、史上初の視覚と味覚に支障を来すレベルの偏頭痛を発症。患部の頸椎周辺を揉めば揉むほど悪化し、遂に眠れなくなる程の痛みで今こうやって書いている次第。

本当にデリケートな身体で嫌になるが、この器と今後も付き合っていかなければならない訳だから、分かり始めた「柔よく剛を制す」を極めることを此処に誓う(笑)

この偏頭痛も然り、ギックリ腰も然り、身体の悲鳴を聞き逃し老体に鞭打っていざ鎌倉!と走り続けてきたこの数ヶ月のあれやこれやに、こんなボロボロの身体だからこそ思いを巡らすことが出来るのは2019年の大きな収穫の一つだと前向きに捉えている。

年明け早々突如「カメラを始める!」と
宣言し、手始めに画質の良いiPhoneを購入し夏には一眼レフに手を出し、これまでに10本もの映像作品を創った。作品、と言える程ではないがチュートリアル動画も含めると20本を超える。どう考えてもおかしいペースなのである。

パーソナルトレーニングをコンスタントに続け、誰が見ても日に日に体格が良くなり器械体操まがいのトレーニングにまで手を染めるようになり、一体これがダンスの何の役に立つのだろうか、と時折不穏に感じるも出来る事が増える楽しさに我を忘れて没頭していた事も身体が大破する一つの要因であることは間違いない。

自分のダンスの在り方・レッスンの仕方に常に疑問を持ち、目まぐるしく色んなメソッドを取り込んでは捨て去りを繰り返し、慣れない動きにローファイの身体を従わせ、同じく時代遅れの脳のCPUに膨大な量のフォーマットを上書きし続けた事も一因。

まあ、いつかは壊れる運命だったという事だ。それもまた良し。壊れずに平々凡々と生きていることほど屈辱と感じてしまう性分ゆえ、屍の上に尋常でない耐震性を備えた最新鋭の高層ビルを建てそれがまた大惨事によって脆くも崩れ落ちるような事を繰り返していないと死んだも同然なのである。

ほとほと困ったお人だ(笑)

そんな傍若無人の流れ侍もようやく懲りたようで、突如おでこに貼り付けられた「柔よく剛を制す」と書かれたお札にウットリとしている。

そして、このアップデートされた身体で実現出来る新たなムーブメントを記録すべく明日からまた新作映像を撮ることにした大馬鹿者はその撮影を経て偏頭痛も「風と共に去りぬ」と信じているどうしようもない楽天家、なのである。

写真は一昨日啓示を与えてくれた地域猫。この直前に完成度の高い「シャー!」を披露して下さり、直後にこの見事なパンチを連発。彼は僕の心の師となったことは言うまでもない。
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# by reijiro_kaneko | 2019-11-26 03:09

ようやく人間になりました

昨晩、一夜限りの舞台復帰でしたがその件に関しましてはプライベートパーティでの余興という位置付けでもありますので、こちらでは写真一枚のみでの報告とさせて頂きます。
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怪我から二週間経ちました。痛めた部分は嘘のように何とも有りませんが、それ以外の箇所にあちこち支障を来たしています。

張りの強い動きをすると必ずと言って良いほど痛くなる右腰の痛みが再び出てきました。

揉まれて分かったことですが、左右の肩甲骨のそれぞれの内側部分に繊維状のゴリゴリがどっかりと居座っています。

左の坐骨の外側にある深層筋にも同じ繊維状のゴリゴリがあって、なかなかお帰りになってくれません。

フルアウトで踊っておらず、二週間に一度のパーソナルトレーニングも受けられなくなってしまったので、太りました。

ご飯が美味しいです。

快便です。

ご心配をお掛けしましたが、そんな感じでとても元気です。というより、人並みに健康です。

本当にどんだけ不健康な状態に在り続けていたのでしょう。二週間前に大怪我をしなかったら近い将来、舞台引退どころか教師生命も断たれていたであろうと想像してゾッとしています。

あ、そうそう、脚が組めなくなりました。

これはとても良い兆候なのです。大腰筋という筋肉が衰えると椅子に座る時に脚を組んでいないと生理的に嫌、という現象が現れます。僕はこれが酷くなり過ぎて、食事の時に脚を組んでいないと胃が働かず適正量を食べられない、という有り様でした。

それが今では脚を組むと仙腸関節周りの筋肉が引っ張られてとても不快だし、ドシッと並行に脚を置いておいた方がお腹も内腿も緩まなくて快適になりました。

そんなこんなでお腹周りの筋肉の重要性を知識としてではなく身体で痛感し始めたので、レッスンを受けて下さる皆さんに「お腹!お腹!」と煩く注意しているのです。

なんか、今更でごめんなさい。

でもね、机の上で勉強したことではなくて、先人から耳にタコが出来るぐらい言われ続けたからでもなくて、本人が身体を痛めて初めて頭と身体で強烈に実感して反省していることを公言するのは、同じ「お腹!」という言葉でも重さが全く違います。だからね、自己犠牲はどんどんやった方が良いんです。

死なない程度にね。

あ、でも、「一回死んだと思ってフレッシュな気持ちで全部やり直す」ぐらいの潔い在り方には大賛成なので、「一回死んじゃう」ていうのもアリなんですよね。

でも、本当に死なない程度にね。

# by reijiro_kaneko | 2019-11-22 16:13

カメラを通して気付くこと

本日は愛娘の七五三でした。

ええと、嘘です。愛娘レベルで可愛がっている他所のウチの娘さんの七五三の雇われカメラマンを請け負って参りました。

ええと、また嘘をつきました。雇われカメラマンとは名ばかりで、その娘さんがこんなオジサンを慕ってくれているので、下手にプロのカメラマンさんにお願いして人見知りの彼女がガチガチに緊張してしまっては元も子もない、そんな訳でカメラ趣味オジサンが駆り出された、という成り行きです。

一週間前から彼女はずっと「れーさんに写真撮って貰うの」と言い続けていたそうで、そんな幼子の楽しみを踏みにじることなんて絶対に出来ない、その一心で腰を治した、と言っても過言ではありません。

彼女がお母さんのお腹の中に居た頃からずっと、徹底的に「れーさん」刷り込みを行い、産まれてからも事あるごとに耳元で愛情表現を囁いた甲斐あってまんまと懐いてくれたのですが、彼女のお陰で僕の子供への苦手意識も払拭されましたし、何より「ちゃんと生きねば!」の責任感が増えました。

その恩返しの意味でも、素人カメラマンは素人らしく数で勝負しようと考え、「キッズモード」なるシャッタースピード高めで自動的にあれこれ鑑みてくれる設定にてやたらめったら連写をする、という荒技で失敗率を下げました。

その甲斐あって、まぁまぁな写真が7割ぐらい撮れました。650枚の7割ですからそこそこ優秀だったのではないか、と思います。

しかし、子供に限らず写真は難しい、と改めて感じました。それっぽい上手な写真なんて良いカメラとレンズを買って構図をある程度考えれば直ぐに撮れちゃうんです。でも、揺れ動く感情だったり空気感を写真に収めようとするとこれが一筋縄じゃいかない。入念な準備と忍耐と判断に裏付けされた経験とセンスが無いと「あっ!」と心が動く写真は撮れませんし、逆に撮ってやろうなんて烏滸がましい気持ちを持とうものなら被写体は拒みます。

それと同じ事を昨日は夜の通しリハーサルでも感じました。みんなとても頑張っていてそれはとても素晴らしい事なのですが、心を動かすダンサーはほんの一握り。特にやってやろう感が強すぎるダンサーは一瞬こそ目を引くものの、次第に霞んでゆくのです。対して、特に頑張っている様子も無いのに気になって仕方がないダンサーもいます。心地良くずっと観ていられるダンサー、それこそがアートなのだなぁと思いました。

スノードームをひっくり返した直後の雪が舞い踊る景色は確かに綺麗だなと思います。しかし、全てが降り積もりシンと澄んだ状態に僕は心を強く惹かれます。感情も同様に猛吹雪の状態では心を通わせることは無理です。全ての感情が沈殿し穏やかな水がその上に在る状態で初めて穏やかに話が出来るのだと思います。

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# by reijiro_kaneko | 2019-11-18 11:09

こんなことになってました

悪夢の五日間寝たきりから解放されてレッスンに復帰した月曜日、大騒ぎで労られるのが苦手な僕の気持ちを知ってか知らずかソッと声を掛けて下さったり遠くで見守ったりして下さる皆さんのお心遣いと優しさにジーンとしました。

とても久しぶりの火曜日の8ppy.さくらさんでのWS、僕の顔を見るなり心の底からホッとして下さり、腰を痛めた人間が考えたにしては少々荒っぽい振付も一生懸命覚えて踊ってくださる皆さんを見ていて胸が熱くなりました。

二度も閉講にしてしまった本拠地中野スタジオでの水曜日のレッスン、これまた腰を痛めた人間が指導するのはどう考えてもおかしい内容にも関わらず滝のような汗をかきながら丁寧に身体を使っている皆さんを見て自分の指導は間違っていないことを確信しました。

そして、レッスンを始める前にご迷惑をおかけしたことをお詫びしたら皆さんから拍手で迎えられた木曜日、これは誠心誠意向かい合わなかったらバチが当たるぞ、とキリリと身も心も引き締まり、いつも以上にハードルを上げたレッスンを行い参加して下さった皆さんにヘトヘトになって頂きました。

はい、そんな訳で金子、完全復活です。というより寧ろ怪我をする前よりコンディションは良いぐらいです。

どれだけ身体に無理を強いていたのか怪我をして初めて理解しました。「身体に無理のない流れるような全身の連動を促して」を売りにしていた己を恥じました。「自分のクラスでは比較的怪我人を出さない」と自負していた事も誤りであったことが分かりました。

「比較的」じゃダメなんです。「自己責任」なんて教師の言い逃れでしか無いのです。「絶対に怪我人を出さない!」という意気込みと信念が無かったらインストラクターなんて即辞めるべきです。

思いを刷新してくれた衝撃的な出会いはまさに怪我の功名でした。僕が腰を痛める数週間前、パートナーが酷い背中ギックリを患ってしまい本人は大の医者嫌いときてますので仕方なく僕が最寄りで何処か素晴らしい治療院は無いものか?とインターネットで探し、勘を頼りにとある整骨院を探し当て嫌がる彼を半ば強制的に送り出しました。それから数週間、流石に鈍感な彼でも日に日に体が楽になっていくのを明らかに感じているようで治療の日は嫌がるどころかイソイソと準備して出掛けていくようになりました。

そんな経緯があっての僕の事故。

「きっと一晩寝れば治るよ」と根拠の無い自信と共に眠りましたが、翌朝目覚めてみると寝返りが打てないほど完全に酷いギックリ腰が出来上がっていました。

「はい!いってらっしゃい!」と背中を押され、ヨチヨチと整骨院に向かい半泣きで施術台へ。「何をしたらこんなに仙腸関節ズレるんですか?!普通だったら歩くのも無理なハズですよ!」とまくし立てる担当の先生の言葉を遠くに聞きながら、幾ら揉まれても何も感じない己の身体に必死で語りかけました。

「お願いだから普通の痛みは感じるレベルに回復して…」

その後もトウトウと「痛みに強いのは勲章でも何でもないですからね!」とか「感覚を麻痺させてまで動きの美学を追求する在り方に僕は賛成出来ないなぁ!」とか「有り得ないとは思いますけどもし万が一一週間ぐらいで治って何事も無かったように仕事復帰出来たとしても油断は禁物ですからね!」などと説教は続きますが、これで全て終わったな…とドンヨリしている僕の耳には鳥のさえずりのようにしか聞こえません。

ガッチガチにテーピングを貼られ、翌日も朝一番に来るように言い渡され、自宅への帰り道をまたヨチヨチと歩いていてハッと気付きました。

とても健康的にお腹が空いていることに。

おかしな言い方ですが、いつの頃から食事に義務感を感じるようになっていて、旅館で食べる朝食のようにココは天国か?と思うぐらい美味しく食べられる、という経験を日常生活の特に朝食で味わったことが皆無であることに気付いたのです。

この日を境に施術を受けた後の朝御飯は毎回夢見心地。担当の先生がお休みで施術を受けられない日の朝食はやはり以前の曇天ムード。

相変わらず寝返りに手を焼くほぼ寝たきり生活が5日経ち、ようやく少し離れた場所まで出掛けられた6日目も帰宅するや否や発熱からの気絶レベルで寝落ち。

そして奇跡の復帰day、となるわけです。

6日目のバス移動往復1時間、リハーサル立ち会い3時間、それだけで発熱してしまうぐらい身体は本調子からは程遠い状態に有りながら翌日の電車往復3時間・レッスン3時間に果たしてこの身体は耐えられるのだろうか…動いた瞬間にまた腰砕けになるのではないだろうか…そんな不安で押し潰されそうになりながら担当店舗へ向かいました。

いつもにも増して入念なボールコロコロ解しを行っていると、普段ならその程度では何ともないのにジンワリと汗が出て来てウェアがシットリする程に。それは明らかに運動による汗、というよりも怪我を負ってダメージを受けた細胞たちからの悪い物が全て出切る感覚でした。

体勢によってはまだまだ不完全ではあるものの、レッスンに参加して下さった皆さんが「本当に怪我されてたんですか?」と不思議に思うぐらい身体は良く動いてくれたのは言うまでもありません。

担当してくれている先生が「一日で完治させられたらその先生は名医です。僕はまだまだですので、二ヶ月猶予を下さい。必ず治してみせますから。」と謙虚に仰って下さいましたが、6日であそこまで治せてしまう彼は正真正銘の名医です。

施術ベッドを隔てる筈のカーテンもずっと開けきった状態で、次々に来院する患者さん達は勝手に低周波治療器や温熱器を操作し、施術が終わると受付にお金を置いて帰っていく。

先生方は大声で的確な指示を飛ばし面白いように患者さん達は操られ膝や腰が悪いお年寄りは自ら進んでリハビリ器具を装着し歩き回っている。

まさに、「野戦病院」。

ドアを開ける瞬間に奥の施術ベッドで他の患者さんをグイグイ揉みながら3km先まで聞こえるであろう大声で「はーい金子さーんおはようございまーす!」と挨拶して下さる先生方は、声も風貌も威勢の良い八百屋の若主人にしか見えませんが、僕には「神」なのです。

こんな「神」しか居ない整骨院を全国に知らしめないのは身体に密接に関わる仕事をしている者として怠慢でしかない!と思い、「僕の周りの皆さんにガンガン宣伝してるんですよ!」と報告すると、「やめてください!金子さんみたいな重病人は一人で十分です!」と断られました(笑)

なんかねぇ、そういう在り方もドンピシャなんですよ。ビッグマウスだけど、それは自信に裏打ちされてこそのビッグマウス。なのに決して「俺は凄い!」と自慢することは無く謙虚極まりない。と見せかけて、誰彼構わずケラケラ笑いながら猛毒を吐く。

痛快です。

でも僕が一番してやられたと思うことは、整骨院に某アイドルの元ネタ写真の隣に堂々と貼られているこちらの写真。

完全に確信犯です。
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# by reijiro_kaneko | 2019-11-15 15:23

明日から復帰いたします。

長らくご迷惑をお掛けしましたが、明日から全てのレッスンに復帰させて頂きます。

とは言え、まだ本調子には程遠く無理な態勢や不可能な動きも多く、完璧なお手本をお見せできる状態ではございません。

幸い、鳩尾から上の上半身は全く機能を損なわれておらず寧ろ饒舌に動けますので、臍から下の下半身が心許ない分を上半身の動きと巧みな言葉にてカバーさせて頂きながら、何時もにも増して楽しく有意義なクラス作りを目指してゆきたい所存です。

とか何とか言っておりますが、今回の大怪我で身体だけでなく頭も鈍くなってしまい、普段なら有り得ない凡ミスをしでかし、数名の方々に多大なる迷惑をかけてしまいました。

しかし、そのことで落ち込んでいる暇も余裕もありませんのでこれからは精進あるのみ。

引退後ちょうど一年経った今日、本当に色んなことと対峙し、今後を見据える良い機会となりました。

今までとは何かが違う…と感じて頂けるように明日から心改めて丁寧に生きる所存です。

いつも見守って下さる皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。
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# by reijiro_kaneko | 2019-11-10 22:49

第10弾作品公開にあたり

昨日公開いたしました第10弾動画ですが、ただのお詫び動画みたいなご紹介になってしまったので改めて色々想いを述べさせて頂きます。

第9弾動画では僕の中での追悼の想いとは裏腹に、フルで踊ってしまっているのでどうしてもカッコつけ動画の域を脱せず、結果中途半端な作品となってしまいました。

もっと存在を消したい、もっと影になりたい、ダンス動画なんかじゃなくていい、胸の奥がザワザワする作品にしたい。
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幼い頃から刷り込まれてきたミヒャエル・エンデの「モモ」、チャップリンの「モダンタイムス」、マグリットの「ゴルコンダ」、ダリの「記憶の固執」、ダヴィンチの「最後の晩餐」、コルコバードの丘に聳えるキリスト像、そして後にやらせ写真であることが発覚したが多感な少年時代にはトラウマレベルの衝撃を与えてくれたこの写真。
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これらの作品が僕に与えた影響が色濃く反映されたものを創りたい。それだけを考えて動画や写真を撮り続けました。

編集の最終段階で付け足された後半のモノクロに赤の差し色が垣間見えるカットは数週間前に偶然目にしたこの写真がヒントとなっています。
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僕の映像作品はこれまで敢えて死者への弔いや反戦メッセージ等とは無関係を装ってきましたが、今回はどんな人が観ても異様な雰囲気であることは少なくとも伝わるであろうという目論見の元、公開に踏み切りました。

ただしそれは、これ見よがしのプラカードを掲げるでもなく、胸を掻き毟る表現をするでもなく、銃弾の痕が無数に残る壁の前で祈るシルエットや、最後の晩餐の登場人物達を彷彿とさせるコマ送り画像や、ラスト以外極力色味を排除し続ける構成で匂わせるのが僕の美学なのです。

剣に対して剣を向けて正義を叫び、あわよくば正義を手にしたとしても、その正義は次の剣によって奪われるのが定石です。

人類の最も強力な武器にして財産であるべきものはやはり「想像力」であって欲しいと心から願って止みません。


# by reijiro_kaneko | 2019-11-08 14:13

お詫びとお知らせ

皆さま、本当に申し訳ございませんが、想定していたよりもかなり酷い状態となり、11/9(土)まで全てのレッスンを代行及び休講とさせて頂くこととなりました。

しっかりと治療と休養に専念し、一刻も早く復帰し、二度と同じ怪我をせぬよう以前にも増して一層入念なボディケアを行なってゆく所存であります故、ご迷惑をお掛けしましたが復帰後も何卒ご愛顧下さいますようお願い申し上げます。

このタイミングで公開するのも少々躊躇われましたが、説明欄にも記しましたように「今だからこそ」の作品となりました。

お詫びの印としては些か不適切な内容かもしれませんが、宜しければどうぞご覧ください。

なお、11/30,12/1に上演されます「studio √isions showcase vol.4」にて【decay-de】と銘打った小作品を出品しております。そちらは昨年11/11の引退パフォーマンスで使用した楽曲を用い再演と見せかけての初演作品となっております。

この動画で僕が訴えたい思いをまた別の角度から7名の少数精鋭の逸材達が全身全霊で表現してくれています。

興味のある方はどうぞ僕までご連絡ください。
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# by reijiro_kaneko | 2019-11-07 19:56

急告!本日は休講です!

本当に申し訳ございませんが、本日の中野スタジオのレッスンは終日休講とさせて頂きます。

昨晩リハーサル中に試みたリフトが原因で腰が抜けるような感覚があり、その後身体の自由が効かなくなりました。

今朝、かかりつけの整骨院で診て貰ったところ、懸念していた脊椎圧迫骨折や仙腸関節骨折の疑いは薄く、仙腸関節捻挫との診断を下されました。施術してもらってだいぶ楽にはなったのですが、痛みよりも依然として腰が抜けるような感覚が強く全身に力が入らないので今日一日は安静を心掛けます。

なお、土曜日の中野スタジオレッスンについてはなるべく判断を早く下し、連絡もまたこちらでさせて頂きます。

急に寒くなってきておりますので、皆さんもどうぞお気をつけくださいね。

# by reijiro_kaneko | 2019-11-06 11:32

忘れないために

11月のレッスンでは中野スタジオもティップネスも同じ曲でそれぞれニュアンスを変えて踊って頂くことにしました。

こちらの曲です。

ティップネスでは、この曲の前半部分を使用して切ないムードではあるけれど小手先の悲しい表現ではなく全身隅々まで使って伸びやかに大きく踊って頂きたいと思います。

一方、studio CASTではこの曲の後半部のリズムやベースラインが強くなる部分に振付を施し、丁寧にゆったりと動く箇所もあれば大きなムーブメントを素早くこなさなければならない部分もあるという緩急に富んだ内容にしております。

どちらの振付にも共通の意味があり、もしかして当事者にとっては激しく気持ちを逆撫でされたり、一見不謹慎にも感じられる内容なので憤られる方もいらっしゃるであろうことは想定内です。

軽々しく身近の不幸を題材に創作するつもりは毛頭ございません。

最近発表した映像作品第9弾、そして現在製作中の第10弾作品はどちらも311以来ずっと消えない弔いの気持ちで創っております。これだけ文明が成熟し多彩な技術進化を成し遂げた人間にでさえ、度重なる自然災害や世界遺産の消滅に対して為す術もなく脆く崩れ去っていく命や建造物をただ茫然と見ていることしか出来ない。

悲しいけれどこれが現実です。

一方で「自粛」という風潮には断固反対の姿勢でおります。悲しいからといって、辛いからといって、日本全体がどんよりと喪に服しているのは本末転倒。政府の補助金もあてにならない現在、被災地の復興を促すのは莫大な消費でしかありません。自粛をして募金をして一時的に援助をしたって何にもならないのです。「忘れないで」「経済を動かして」「いつかまた来る災害に立ち向かえる準備をする」それこそが311で日本全体が学んだ教訓のはずです。

しかし、人間は都合の悪い事は忘れる、という特技を持ち合わせています。その欠点を誰しも分かりすぎるほど分かっているから看板を立てたり標語を作ったりして注意喚起を促す作業に従事してくれる人々が少なからず存在する。

もし僕に出来ることがあるとしたら、この部分でしか無いと常々考えています。

「いつか自分自身に降り掛かるかもしれない何かに備えて、まずはきちんと悼んで、そして忘れないで、何があっても折れない心のバネを作ることに貢献する」

でもね、これ、やり方間違えると本当に恐ろしいことになります。「頑張れ!」と言っておけば励ませると思い込んでしまう浅はかな思考と、結果ではなく頑張ることこそがゴールだと勘違いしてしまうトラップを生まないために、僕は敢えて「頑張れ!」なんて言いませんし、むしろ燃え上がり崩れ落ちる首里城の姿をモチーフに組み込んでいたり、濁流を受け止める水門の様子を描いていたり、安っぽい表面的な感情を表現する代わりに堂々とした流麗な動きをメインに構成しています。

烏合の馬鹿はもう結構。

ダンスに出来ることなんて本当にちっぽけなことだけど、何か出来ることがあるかもしれないと少しだけ使命感を持って今年を締め括っていきたい所存です。
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# by reijiro_kaneko | 2019-11-01 21:11

Sentimental Journey

はい、やってきました、一週間に一度の更新日である金曜日が今週もやってきました。

元々馬鹿騒ぎは好きではありませんので今年もハロウィン(というかそれに便乗した変身願望の集大成イベント)には全く無関係で心穏やかに過ごし、かなりアグレッシブな内容にも関わらず聴いていると禅の境地に達することが出来るBeyonce夫婦のアルバムを聴きながら出勤している金子でございます。
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そうなんです、種火を完全に消し去ってしまって無の境地に至ってしまってはならない状況におりますので、適度にアグレッシブな刺激は欲していて外は猛吹雪なのに我が家は暖かく揺らめく暖炉の火を見ながらウトウト、みたいなシチュエーションでないとマズいのです。

いつの頃からでしょうか、感情に色鮮やかな色彩は必要なくなり少しばかり燻んでゆるりと腐敗していくような感情で十分、と思うようになりました。

喉を枯らして声を限りに「俺はここにいる!誰か気付いて!」と叫ぶのは性に合わない、というよりもそんなのは肉食狩猟民族であるどこかの民族がやれば良いことであり、自然の猛威に叩かれ続けながらも時折微笑んでくれる自然の恵みがあるからこそ生きる勇気を得るひたむきな農耕民族である日本人が在るべき姿ではないというのが僕の主観です。

若い頃は直情的な異文化にも強く惹かれたこともありました。しかし、歳を重ねる毎に過剰な主張を嫌悪する傾向が強くなり、口から泡を飛ばして口撃してくるような人からは距離を置くようになりました。

同時に、自分に出来ないことや身の丈知らずのことに関しては、変に取り繕って体裁を保つなど言語道断であり、知らないのだから不得意なのだからそれは第一人者にすかさず委任するのが得策だし、そうは言いつつも自分が至らないことは全くの別問題でそんなもんは黙って努力を積めば宜しいだけのこと。

でもね、人間だもの、自分が成し遂げた成果を他人から褒めて欲しいと思うのはとても自然なことですし、失敗したことを慰めて貰いつつ良きアドバイスを貰いたい、と思うのは至極当たり前なんですよね。

その程度で?と感じるような成果を鼻パンパンで自慢されたり、自分はこんなにダメ人間なんです…と項垂れつつも「大丈夫!あなたには生きる価値があるから!by A子K原」みたいな慰めを待っている方に接する度に、うーん、これはどうしたものか、、、と悩みつつテキトーに「凄いですねぇ」とか「そうなんですかぁ」とか言ってます。でも、それは裏を返せば自分自身にも頻繁に起こることなので、まるでもう一人のダメな自分を鏡で見ているような感覚もあり、「馬鹿じゃないの?そんな低レベルなこと言ってるからいつまで経っても成長しないんだよ!」とにべもなく言い放つデリカシーの無さはどうしても持ち得ないのです。

そういう試行錯誤の結果、マシンガンの撃ち合い対決は選ばず、少し水替えをサボった金魚鉢みたいな感情で日々過ごしている方が何も事を荒立てず愉快に過ごせるということが分かってきました。

ピッカピカの新車じゃなくていいんです。

非の打ち所のない高性能の天体望遠鏡じゃなくていいんです。

見目麗しい9頭身美人じゃなくていいんです。

あー、でも、なんだかだんだん何が言いたいのか分からなくなってきました…

そして、こうやってあぁだこぅだ書いていることが、実はとてつもない自己主張になっていることに吐き気を覚えてきたので、今日はこの辺で。

秋は魔物ですねぇ。

# by reijiro_kaneko | 2019-11-01 14:56

生かされている意味

最近、嬉しいと思うと同時にやたら責任を感じる出来事がありました。

Instagramに僕が上げた動画を観て遠路遥々愛媛から受講しに来てくれたうら若き女性、去年公開の僕が出演させて頂いているKirinjiさんのPVを観て「渋い!」と感じてレッスンを受けてみたくなったと話してくれた好青年。

どちらも僕自身を生でご覧になって、というケースではなく、ネット上の動画でという時代を象徴する在り方に驚いたり感心したり。

しかし、よくもまあ星の数ほどいるダンサーやダンス教師の中から僕のような若干おかしな人間を選ばれるとは、本気で彼等の将来を危ぶみます。

毎週末イベントに作品を精力的に出品している訳でもないし、大手ダンススタジオでカリスマと呼ばれる先生達のような何百人も生徒さんを抱える状況にもいませんし、細々と更新しているYouTubeアカウントの再生回数も爆発的な数字には程遠いし、まるで台湾の山岳民族のようにひっそりと暮らしている僕のような人間でも世間にジワジワと周知拡散されていってしまうこのご時世が本当に有り難くも恐ろしいなぁと思うのです。

ちゃんとしなきゃな、と思います。

そして、やり続けなきゃな、とも思います。

大衆に支持される「そこそこ美味くて飽きない味」の大ヒット商品にはなれなくても、「美味しいのかマズイのかよく分からないけど、恐々もう一度食べたくなる珍味」を極めるためにも。

そんな珍味とも呼べない日頃重宝しているはずなのにうっかりその存在を忘れてしまう、そうだなぁ、ドアノブみたいな作品を今創っています。

「これをやったらウケるだろう。これをやったらドッカーン!と生徒増えるだろう。」みたいな事は全く考えていません。ひたすら、やりたい事をやってキャッキャと喜んでいます。

あ、そうそう、昨日ロケ中に嬉しいことがありました。歩き始めて間もないような幼児がカメラをセッティングしている僕のすぐ近くまでトコトコと寄ってきてじいっと眺めている、それも一度ではなく二度三度。とっとこハム太郎の着ぐるみを着ていたならそれも納得出来ますが、どう見ても不審者にしか見えない出で立ちの僕の側で見守ってくれている彼等に、叡智を超えた何かを感じたのは言うまでもありません。
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-28 11:28

「観ろ!」な作品と「観ないで…」な作品

blogの更新が一週間毎になりつつある金子です。

前回YouTubeに上げた新作動画製作に精も根も使い果たして燃え尽き症候群に陥っている、と見せ掛けて実は次の動画製作にいそいそと取り組んでいるが為にblogもそっちのけ、だったのです。

手探りで進めている新作動画の撮影と編集ですが、創りながら完成図を見出していくいつものやり方でようやく明確なビジョンが見え始めたので、ここら辺でホッと一息つこうとペンならぬ指を取りました。

同時進行で編集しているパートナーのハロウィン映像と自分の動画を見比べてみて新たに発見、いや分かっていたけど何故か認めたくなかったことを受け入れる心の準備が出来ました。

お許しが出たので間も無く僕のYouTubeアカウントにパートナーのその動画も載せますが、僕の動画との圧倒的な違いがご覧になればお分かり頂けると思います。

本人のアピール力と撮った時の画力が半端ない、のです。変に編集をかけて加工してしまうとその良さが半減してしまうのでなるべく最低限の編集に留めました。シンプルな編集にも関わらず画面を突き破って飛び出してこようとするエネルギーは酷い悪阻で苦しんでいる妊婦も驚いて一瞬症状が改善してしまうほど。

対して、僕自身の創る動画作品は「観て欲しいのにマジマジと観られると恥ずかしいし苦しいから観ないでくれたら少し助かります…」という表現者には有るまじき面倒臭さ。切れ味鋭い大阪人から「おまえ、どっちやねん!」とスコーンと頭を叩かれるツッコミを入れられるのをお花畑でヒラヒラと舞いながら待っている、とてつもなく面倒臭い奴です。

なんなんでしょうかね、この「観て欲しいのに観て欲しくない」という性分。

そんな面倒臭い自分をいつまでも甘やかしているのも不甲斐ないので、今回は思い切って「観て欲しくない」作品を創ろうと思いを新たにしました。

全てがひっそりとしていて、不気味で、寂しくて、観ていてソワソワしてしまうものを。

画像はその新作の一コマですが、これも使うかどうかまだ分かりません。

皆さま、どうぞ公開の暁にもご覧にならないでください笑
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-25 12:07

落第万歳

またまた性懲りもなくトレーニング記事です。

以前のblogで少し触れましたが、ダンスに関しては「先生」なんてもんをやらせて頂いているので怪我でもしていない限り自分がブザマな姿を見せるなんてことはしませんし、してちゃいけないと思います。自分が出来ないこと、不得意なことは皆さんにやらせず、自分の得意なことを皆さんが少しでも会得出来るよう指導するのが仕事だと考えています。

しかし、当たり前のことですが、他人に師事するという状況ではそれが180度変わります。出来ることもあるけれど、出来ないこと・不完全なことの方が占める割合は高くなる、それが普通。

昨日もそんな1時間でした。

一年続けてきたトレーニングの成果が上がっている部分もありますが、やはり弱点は弱点のままデンと鎮座していて「俺はテコでも動かんぞ!」と昭和の頑固親父よろしくむっすりとご機嫌斜めなご様子。そんな頑固親父を「ほらほらお父さん、愛娘の旦那様にそろそろおはようの一言でもかけてあげなさいよ」となだめすかしたり、胡座をかいている座布団をテーブルクロス抜きの芸当のように華麗に引き抜いて親父をコロンと転がしたり出来る名トレーナーの妙技に毎回感動させられています。

それにしても、出来ないことが多すぎて凹みます。未だ逆立ちは未完成ですし、出来る様になった懸垂からの逆上がりも何度もやっていると筋肉が耐えられなくなって諦めたナマケモノみたいになってしまいます。
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そんな時にやはり糸井氏は救ってくれるのです。

「落第万歳!」

大学卒業時、会社を辞めた時、ダンスから一度離れた時、そのそれぞれで己の至らなさを突きつけられ落胆はしたはずなのですが、そこには巧妙な言い訳が伴い真に事実を受け止めきれていなかった自分がいたことを数十年経って思い知らされる。

なんとも痛快です。

「落第万歳!」

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・こんな年齢になってから、いまさらの話をします。ぼくは、少し遠慮がちにですが、大学生の人なんかに、「落第とか留年とかは、したほうがいいね」と、言ってやりたいと思うようになりました。

遠慮がちにと、あえて付け足したのは文字通り遠慮です。人生に対する考え方はそれぞれにあるでしょうから、ぼくが思う「いい」を、人も「いい」と思えるかどうか、わからないので、文に「逃げ」を入れているだけです。「息子の人生をダメにしたら責任とってもらえますか」みたいなことを言われたらかなわないからです。

とか、言ったうえで続けますが、「落第とか留年」あるいは「退学」は、卒業してからではできないことです。もう卒業してしまったら、取り返しがつかない。それまで歩んできたまっすぐな道の、外れようなのか、曲がりようなのか、戻りようなのか、それを経験することになるわけです。このことを挫折と呼ぶ人もいるでしょうし、失敗ととらえることもあるでしょう。どのみち「価値観」を問い直す機会になると思うのです。逸脱だか挫折だかを軽く経験することで、ぬかるみに迷い込む場合もあるでしょうし、いままでと別のおもしろさを知ることもあるでしょう。どちらにしても、不安と期待が増えそうです。そして、その分以上に自由を見つけることにもなります。線路の上だけを走る電車のようにではなく、広い道狭い道、道のない道を行かざるを得ない自動車のような動き方を覚えるかもしれません。

とにかく「勉強ができる」ということだけが、なによりいちばんの価値だという考えから、すこしでも解き放たれることは、大チャンスなのです。ぼくのこの考えは、昔よりいまのほうが言いやすい。決まった勉強でいい点数を重ねていったら、人に認められて幸福を手に入れやすくなるということが、昔よりもずっとやりにくい社会になっているからです。いま、ぼくに大学生の息子がいたら、きっと、留年とか退学とかしないかなぁと期待してると思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。失敗や挫折は狙ってはできないけど、運よく得られるもの。

# by reijiro_kaneko | 2019-10-18 11:43

第9弾映像作品公開しました

ハイペースで動画を上げていたにも関わらず、ピタッと新作を創らなくなって早4ヶ月。

何人もの方から有難いことに新作を楽しみにしてくださっているとの声を頂き、すっかり枯れ果ててしまった己の創作意欲を恨めしく思うも、うんともすんとも言わない状況が長らく続きました。

台風が遥か南の海上に発生すると必ず頭痛が起こる特異体質なのですが、今回の台風19号はちょっと勝手が違っていました。

発生した瞬間から異常な創作意欲が湧き、頭痛は怖いくらいピタッと形を潜め、勝手に構成が脳内で完成し、本日無事に撮影敢行して参りました。

動画の説明欄にも書きましたが、今回は少し趣向が異なります。

被災した皆さんからしてみればこんな動画など何の役にも立たないどころか独り善がりな想いなど逆鱗に触れて当然、だと思います。

なのに、何故公開するのか。

自分でも疎ましく思う自己顕示欲ゆえ、なのでしょうね。ナンチャッテ作品を創り続ける業の強さに呆れ果て反吐が出そうになりながら、心の何処かで自分を可愛いと思っているのです。

本当にそんな奴、死ねばいいのに、ですよね。

とかなんとか言ってますが、折角創ったので是非ご覧ください。
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-13 19:42

足掻いてます…

のんびりと移動する時間がある金曜日は割と筆が進む。調子に乗って余計な事も書いてしまいがちなのが困った事ではあるけど、書いたそばから読み直せば要らんことは割愛出来るから一行書いては添削、を繰り返しながら書いている。それでもスピードはだいぶ速いようだ。

昨晩、ある動画を観た。カメラのことについてオジサン(と言っても、僕よりだいぶ若い)が滔々と言いたいことを言っている動画なのだが、性差による撮り方の違いや出来上がった写真の特性を見事に分析されていてウーンと唸ってしまった。

男性はメカ好きのあまり如何にカメラの機能を最大限に発揮させるかに思考が囚われてしまい勉強して頑張れば誰が撮ってもそうなる絵しか撮れない人が多く、対して女性はカメラの性能は二の次で魅力的な構図やカワイイ物を撮るかということに長けている人が多い。

ステキな写真を撮りたい!というゴールが山頂にあるとしたら、男女は全く反対の登山道から登山を始める。その例えにも深く共感した。

じゃあ、ジェンダーフリーの自分は果たしてどうなのか?

ええ、見事に中途半端です。徹底的に機能を使いこなそうとしてはニッチもサッチもいかなくなり諦めて、感性という魔法の言葉で撮ろうとするも敢えなく失敗。機械オタクにもなれないし、カワイイ物も撮れやしません。

ダンスに長年携わっていてこれほどの劣等感を感じたことはありません。身体能力もそれほど高くないのに、何故かイイトコ取り出来る才能には恵まれたので、ちょいちょいとそれっぽい形やムードにしてしまえるダンスと違って、写真は赤裸々にセンスが露呈されてしまいます。

嗚呼、そんな分析をしていたら、肝心のダンスでさえ自信が無くなってきました。「ダンスは運動ではないですから」というトレーナーの衝撃的な一言を頂いてから、脇目も振らず「運動機能の向上とバランスのよいボディ」を得るためにトレーニングを続けてきて、ふと立ち止まって考えてみると「綺麗によく動いて身体の歪みもないけれど、なんかクソ面白くない」ダンスになってしまっていて、一体これはどうしたもんだか…とこの一ヶ月ほど撮った自分の動画を観ては途方に暮れています。

まさになんちゃってオジサンカメラマンが陥る最先端技術を駆使して撮った写真が何の面白味もないシンドローム、あろうことかそれと全く同じ状況にある自分自身のダンス。

こんなんだったら今すぐダンスもカメラも辞めた方がいいのかもしれません。

でもねぇ、人間てそう簡単に諦められないんですよね。くっだらねぇ!と思っていてもバッサリ辞められる人の方が少ない。自分も多分に漏れずそうです。

辞められないからもう少し足掻きます。

それにしても、なんかこうパアアッと様変わり出来ないもんですかねぇ。いっそのこと脳みそ取り出して一度ホルマリン漬けにしたら劇的に変わるのかなぁとかくだらないことを考えています。
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-11 15:12

台風19号接近に伴うスケジュール変更のお知らせ

皆様、平素からstudio CASTをご愛顧下さり誠に有り難うございます。

10月・11月のスタジオスケジュールのお知らせです。

10/12(土) 台風19号接近に伴い休講
10/30(水)振替レッスン(昼・夜共に実施)

11/30(土)休講

以上となります。当初10/30は5週目にあたり休講としておりましたが、今月に限り振替で通常通りの開講となります。宜しくお願いいたします。

なお、写真は昨晩のレッスンに突然現れたスペシャルゲストの方です。
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-10 09:32

ひとやすみ

ごく稀に心の中にポッカリ穴が空いてひゅうひゅうと風が吹き抜けていくような感覚を覚えることがある。

何があったわけでもない。身の回りで不幸があったわけでもないし、仕事が上手くいかないわけでもない。とにかく、心に空いた穴の中にちょろちょろと虚しい水が流れ込んで、さっきまで吹き抜けていた風すらも止んで凪いだ水面を何とも言えない気分で眺めている。

もともと、心のダイナミックレンジはそれほど広くはないからどん底の気分を味わうことも身体が震えるほどの激昂を感じることもない。しかし、そのあまり動かないメーターが時折カタッと止まってしまいどちらにも動かなくなることがある。それが厄介だ。

以前なら全てが停止してしまい日常業務にも支障をきたしていたのに、心がどう在ろうと関係なく創り出す大脳辺縁系の部位は休むことを辞めない。それも厄介だ。

そろそろどこかへ行方をくらまさないと辻褄が合わないのかもしれない。

雄大な山が見たい。風にそよぐ木々の幹に身体を預けて煩雑な思考を追い払いたい。ただただ眠りたい。
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# by reijiro_kaneko | 2019-10-07 11:31

ヘイトをヘイト

またしても糸井シンクロで有頂天の金子です。

「罪を憎んで人を憎まず」と言いますが、究極の綺麗事だと思うのです。対個人、対社会に於いて「罪」を犯した人を「あいつは悪い奴だ!」と決め付けて「悪いことをしたんだから死刑だ!」と安直に言い放ってしまうのは本当に楽なのです。勧善懲悪のヒーロー物が思春期の男子に賛美されるように、「◯◯さんのご主人、左遷ですって。夫婦揃ってダメ人間ね。」などと悪口を言う主婦友達のように、「罪」や「悪」をその人のアイデンティティと同一化して攻撃したり排除しようとするのが人間という生き物の性なのです。

そんなことを分かったように吹聴している僕ですが、ちっとも悟ってなんかいません。好みは相変わらずハッキリしているし、何らかの理由で「攻撃してくる」ように見える人に対して「ややや!お主、やるおつもりか!」と臨戦態勢に入るなんてこと日常茶飯事です。

心に余裕がある時は、あまり好みではない物事に対して寛容になれますし、喧嘩を売られても戦おうとは思いません。

しかし、人間ですもの、いつも平たいワケにもいかず心も身体も悪天候な状況に陥ることなんてザラにあり、そんな時に目の前を仰々しく行軍なんかされようものなら無駄に重い甲冑を身に纏い錆びた剣を振りかざして単身大軍勢の中に飛び込んでやみくもに斬れもしない古刀を振り回してしまうこと、しょっちゅうあります。

この刀、古いし錆だらけなんですけどね、意外と良く斬れるんですよ。斬れる、というよりはその重みで無理矢理ぶったぎる、というお粗末な仕事ぶりですので、まぁ後味は悪いことったらありゃしません。

骨皮辛うじて繋がって生きているおぞましい怪我人の山を目の当たりにしてようやく正気に戻ります。

あぁ、またやっちまった…

正義をふりかざして成敗、なんて気持ちが1%でも自分の中に存在してたら全くお話にならないダメっぷり。果たして、その正義とやらですけど、地球上のすべての人にアンケートを取りディベートをした上での正義ですか?自分に都合の良いどっかから借りてきた浅はかな正義なんじゃないですか?と冷静になった時に鼻の穴パンパンにして荒ぶっている自分に尋ねてみると何も言い返せないことが殆ど。

自分と違う考え方や行動や様式美を完全に違和感なく受け入れることは不可能だとしても、それらが存在する事実や意義を理解し尊重し自分を成長させてくれる何かを盗む努力を続けることは大きな価値があると思うのです。

これは、以前書きかけて引き出しにしまってしまった「プライド」と「自尊心」の違いにも関連します。

「プライド」はその根底に劣等感があるのに対し、「自尊心」にはそもそも劣等感という概念はありません。

「プライド」はその劣等感故に自分より優っていても劣っていても関係なく他人を攻撃しますが、「自尊心」は自分とも他人とも戦っていません。

対して「自尊心」のある人はありのままの自己を肯定し欠点も含めて自身を尊重するので、常に前向きであり無益な争いをせず真の紳士淑女となり得るポテンシャルを有しています。

あぁ、本当にそうなれたらどんなに良いでしょう。そんな人ばっかりだったら世の中諍い事など消滅するでしょう。

もうとうの昔にプライドなんて捨てたと思っていても、消火したはずの焚き火がまたチロチロと燃え出すように嫌な感情が湧き起こってくると、自分を呪い殺したくなります。

例えそれが面白半分でチョッカイをかけられたが故だったとしても、そんな誘導に易々と負けてしまう自分はヘタレもいいとこです。

一体、紳士になれる日は来るんでしょうか?

それにしてもラガーマンはカッコいいです。
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・戦いというと、他の考えもなく、「敵を憎む」ということになってしまうのは、かなり遅れた思考なんだろうなぁと思う。

「敵」と決めたとたんに、もう、「だから憎むべきである」と決めてしまい、「敵にはなにをしてもいい」となってしまうこと。ここから、抜け出すような考えを、ぼくらはたしかに、あんまり教わらないできた。

「敵」を決めて、それを「憎む」ことは珍しくない。いったん「敵」であると決めつけたら、それはもう人間として扱うのではなく、「敵」という「憎むべきもの」になってしまうのだから、「敵」には、嘘をつこうが、脅かそうが、ときとして暴力に訴えかけようが、こころは痛まない。そこには、それはもう大変な判断があったはずなのだが、実際の「敵」認定は、あんがい根拠なくなされる。

これを書いているぼくだって、どこかのだれかに「敵」認定されているだろうし、この文を読んでいるあなたにしたって、どこかで「敵」にされたり「敵」をつくったりしている。

もしかしたら、いずれ、人間の社会が、もっとましなものになっていたとしたら、まず、「敵」は憎むものとはかぎらないということが、わりと常識のようになっているかもしれない。しょうがなく「敵」ができることはあっても、それは憎んだり、陥れたりする相手とはかぎらない。いま言うと、甘っちょろい非常識かもしれないけれど、少なくとも「そういうことはあるよ」くらいのことは、人がふつうに考える時代はくるような気がしている。

いま、ラグビーワールドカップの試合が、あんなにもおもしろく感じられているひとつの理由は、「敵」は憎む相手ではないということが、試合から、よく伝わってくるからだと思うのだ。社会をそのまま反映させたスポーツではなくても、「人のひとつの理想」を見せ合う競技なのだとは思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「憎む」ことは、やがて、じぶんをも「憎む」ことになる。

# by reijiro_kaneko | 2019-10-04 16:23

はらぺこあおむし

ベランダガーデニングしているコレクションの中のクチナシの新芽がことごとく食べられており、どうやらオオスカシバという蛾の幼虫が大量に発生しているが故らしいと分かり、撃退作戦が決行されました。

作戦とは名ばかりで見つけたら摘んで捨てるだけのこと。試しにアボカドの葉っぱに移住させてみたりしましたが、あからさまに「イヤーッ!」と海老反りになって拒否なさるので、ならば地獄へ行きなさいということで灰皿の中のニコチン&タール血の池地獄へと。可哀想だけど丸坊主にされるクチナシを黙って見ている方がよっぽど辛いので彼らにはお引き取り頂くことにしました。

もっと大自然の中でならそんな了見の狭いことは言わないんですけどね、申し訳ないことにクチナシ一株しかありませんからねぇ、もっと大量に生育している場所で是非親御さんには産卵して頂けると助かります。

あ、そうそう、青虫のことを大々的に書きたかったのではなくてですね、そのアボカドにたからせた子が見事な海老反りをしているのを見てふと考えた事があったので今回のトピックにしようと思ったんです。

この青虫達の大好物がクチナシ、というとても偏った嗜好であるように、僕にも非常に食生活が偏ることがよくあります。

喉の調子があまり芳しくないと無性にコーラを飲みたくなり、関節がギシギシするとハリボーを一気食いしたくなり、熱が出そうになるとネギと生姜を麻薬常習者の如く欲します。昨晩はコーラとポテトチップスとハヤシライスが異常に食べたくなり、パートナーも恐れおののく勢いで貪り食って今朝は常軌を逸する量のお通じがありケロッと健やかになりました。

結果論から言うと、バランスの良い食事と運動と休養を習慣づけて生きてる人の方が絶対体内環境は花園みたいに美しいと思うんです。

でもね、なんかそういう優等生な生き方、無理なんです。

そりゃあ毎日ポテチとコーラと餃子食べ放題、みたいな生活しててブクブク太ってしまうのはどう考えても自堕落でしかありませんし、そうはなりたくないですけど、たま〜にそうやってジャンクフード療法で衝撃的なデトックスをして身体をリセットするのは悪くないなぁと思うのです。

でもね、良い子は真似をしないでくださいね。

そう言えば昔、庭のグレープフルーツの木が毎年アゲハ蝶の幼虫達のお陰で丸坊主にされていましたが、母は別に気にすることもなく「大人になって飛び立ったらまた葉っぱは生えるんだからいいのよ」と寛容の見本みたいなことを言っておりました。

クチナシにたかっている青虫達を摘んで血の池地獄に落とすたびに、チクチクと胸が痛みます。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-30 11:39

初社交ダンスレッスン

人生初の「社交ダンスのお稽古場でレッスン」を担当してきました。

お世話になっているとある方からこのお話を頂いた時には正直戸惑いしか感じませんでした。

社交ダンスのお稽古場で僕が教えられることって何だろう?

ウォーミングアップ無しでクロスフロアーや振付のみ、それも45分間で何をやれと言うのだろう?

そもそも僕みたいななんちゃって中年教師が社交ダンスの次世代を担う若手ダンサー達に何を教えろと言うのだろう?

千々に乱れる心を鎮め、いつも通りのお祭り騒ぎジャズダンスにしよう!と心が決まったのは前日のこと。パパパと創ったお洒落Vogue風アゲアゲ振付を携えていざ決戦へ。

少し早めに到着し、僕の前のクラスを見学。ルンバステップの基本をじっくりとレッスンされている様を物珍しそうに見入っている僕を受講者もチラチラと興味津々な様子で見ているというまさに探り合いの状態。

「なんなの?このオッサン。。。コンテンポラリーのレッスンとかマジ理解不能なんですけど。てか、そんなの受けてあたし達、なんか得することあんの?」

そんな無言の圧をヒシヒシと感じつつレッスンスタート。

「はいっ、こんにちはー。初めまして。あのぅ、コンテンポラリーの先生としてご紹介頂きましたけど、今日はコンテなんて一切やりません。その代わりにヴォーギング風のチョッ速の振付を瞬時に覚えてもらってガンガン踊ってもらいますのでとにかく難しいこと考えないで楽しんで帰ってくださいねー」とご挨拶。

その瞬間に先ほどまでの気をつけの姿勢で先生の話を聞いていた彼等に異変が起こります。

「えっ?ちょっと待って、基礎をみっちり教えてくれるんじゃないの?コンテだって言うから凄く身構えて来たのに…」と無言のざわめきがさざ波のように広がっていくのを感じながら振付スタート。

1分強の振付を10分で全て覚えさせ、早々に先生は踊らず皆さんだけで踊らせるという荒療治。もはや気取っている余裕などなく全員が悲鳴を上げながらもんどり打ちながら踊るその姿を見ながら、「みんなー!凄いよー!すんごく上手だよー!最高ー!」と踊ってる姿を見もしないで褒めちぎる僕に先生方が「あのぅ、全然出来てないですよね、彼等…」とボソッと呟くけれども我関せず「はいはい、大丈夫ですから、個性豊かで素晴らしいですよー」とニッコリ。

もうそこからは金子さんの真骨頂。長々と説明などせずひたすら踊らせながらたま〜にピンポイントで「ここをこうしたらもっと良くなる」アドバイスを投げかけ、メンバーの組み合わせもどんどん変えながら翻弄し続けました。

先程までシーンと神妙に先生の話を聞いていた彼等は人が変わってしまったかのようにワァワァ騒ぎ出し、アドリブも積極的に入れるメンバーも続出。完全に金子幼稚園の出来上がり。

主催陣数人に「いつもこうなんですか?」と聞くと、「いいえ、でもこれが本性なんですね」と驚いていました。

大騒ぎは最後まで続き、最初は戸惑っていたメンバーも目付きまで変わってショー本番を観ているかのような仕上がりに、主催側も呆気に取られていらっしゃいました。

今回のオファーは日本の社交ダンス界の低迷状態を脱すべく他ジャンルの専門家を呼んで様々な表現を学ぼうという主宰者の方のお考えから実現したものなのですが、社交ダンスなぞ全く未知の領域で完全アウェイの僕だからこそそんな風に好き勝手やらせて頂けたワケでして、本家の指導に関しては沢山の制約やメソッドが存在し、受講者がいつでも和気藹々と楽しくレッスン出来ることなど稀なのでしょう。

何が良くて何が悪いということではなく、部外者の僕のような者が変革に一石を投じられていたなら良いなぁと思うのです。変革とはいかないまでもあの20数名の参加者の中の一人だけでも「何にも縛られず絶叫しながら踊るってこんなに楽しいんだ!」と感じて頂けたのなら僕がお邪魔した意味があるのかな、と思います。

この機会に留まらず、僕の存在意義はやはりソコなのだと改めて実感したひとときでもありました。

こんな機会を頂けて本当に感謝です。

最後になりましたが、僕が大好きなペアをご紹介して今日の記事を終わりにします。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-29 18:52

より善き学びの場へ

皆さん、こんにちは。

改めまして、studio CAST主宰の金子礼二郎と申します。

あのぅ、改まって何なのですが、この度またまた初心に戻りましてレッスンの進め方も指導の内容も刷新していこうと思い立ちました。

グループレッスンでこれをやるのはどうかとずっと思い悩みつつも、これまで実際にちょこちょこと実践して来た「十把一絡げ」方式を更に推し進めたい、というのがまず一点。

どういうことかと申しますと、超初心者の方もプロレベルの方も一緒になって体当たりで臨めるボーダーレスなレッスン、ということ。

逆に言うと、どんなレベルの方でも意識の持ち様で多くの気付きを得られる刺激的なレッスンを提供出来たら良いなぁと思うのです。初心者だからあれは無理…という決め付けもせず、プロだからこのぐらい朝飯前!なプライドを打ち砕き、「あ、そうやって動きを紡ぐと身体が楽に繋がるし、何より楽しい!」と全員が感じて下さるレッスンこそが僕が長年実現したかったものなのです。

またこれまで続けてきたバーレッスンの概念を根底から見直し、「バーに掴まる必要が無いバーレッスン」を突き詰めてゆきたい、ということが2点目。

既存のバーレッスンの順番を追うことに必死なあまり本末転倒で身体をビルドアップしていけていない方を多く目にし、それでは逆に怪我の元となってしまう危機感を抱いておりました。

ですので、必ずしもバーに掴まってプリエ、タンジュ、バットマン、ロンデジャンブ、フォンデュ、デベロッぺ、、、という順番でレッスンを進めるのではなく、振付の中でよく使う動きや形に特化してどうすればスムースにその形に入れるようになるのかをダイナミックストレッチ・筋トレ・パートナーコンディショニングなどを交えて探っていけるようにしていきたいと考えております。勿論、時にはしっかりバーレッスンも行いつつ。

3つ目に、「みんなが先生」システムを導入します。

従来のダンスレッスンは「先生→生徒」という不動の上下関係が存在することが当たり前の常識でした。

これに関しても長年疑問を抱いておりまして、言われたことだけを烏合の集よろしくやっていても進歩など有り得ず、メンバー同士でああだこうだ指摘し合うことも先生が逆に皆さんからの知識や提案を受け容れることも健やかで豊かな成長には絶対に必要な要素なのです。

「先生に言われるのはいいけど、私より劣っている人になんやかんや言われるのは腹が立つ」なんて了見の狭い方はほんといらっしゃらなくて結構です。どんな意見も一理あると当たり前に感じられる思考体系を是非育んで頂きたいものです。

これまで様々な理由で二の足を踏んでいた皆さん、studio CASTから離れていった皆さん、そして現状studio CASTにて真剣に汗を流している皆さん、2019年残り3ヶ月は一人一人が大きく成長できる貴重な期間です。奇しくも10月の課題曲に設定させて頂いている振付は来年春の初心者公演への提供ナンバー。シンプルな振付ではありますが、これまでのようにトリッキーな動きで目眩しなんて小賢しいことは一切行わず、お米に字を書く神業如く細かく丁寧に誘導していきます。本当に羽交い締めします。出来るまで付き合います。

勇気を持って、過去のトラウマと決別して、ビジョンを抱いて、スタジオのドアを開けてください。全身全霊でお迎えいたします。


# by reijiro_kaneko | 2019-09-27 11:31

驕れる者久しからず

糸井さんの好きなところは色々あるのですが、中でもこういうこと(最後に引用しています)を潔くスパッと暴露してくれてしまうところは本当に胸がスカッとします。

僕もいつの頃からか「先生」として君臨することが生理的に無理になり、「どうだこのやろう俺はスゲーだろう?」と圧倒的な力の差を見せつけることなど心の底から恥ずかしいと思うようになりました。

だって、「特定のあること」しか誇れるものは無いんですもの。それも本当に誇れるものなのか?と客観的に見てみたらそーでもないチンチクリンな代物だったりすることばかりで、おまけに出来ないこと・知らないことなんて山ほどあるわけですよ。そんなペラッペラの輩が偉そうに「俺を敬え!俺に従え!」だなんて言えるわけがない。

出来ないこと、知らないこと、解らないこと、は素直に認めるべきだし、知ったかぶりなんて以ての外。絶えず新しいことに目を向けたり学び続けて「いやぁ、俺なんてまだまだですから」と心底思ってなかったら人間腐ります。

幸い、繰り返し初心に戻れる環境にいる身ですので、鼻持ちならない傲慢野郎に陥る前に必ずハッと目が醒める経験を幾度となくさせてもらっています。

今日もそんな日でした。

「自分にとっては当たり前のことを当たり前と思わずに皆が楽しくワクワクしながら取り組めるようにしてみよう!」

そう心に誓って二ヶ所でレッスンしてみました。結果は良かったなんてもんじゃありません。自己満足かもしれませんが、先生と生徒という関係ではなく、まるで文化祭の出し物をクラス一丸となって必死に練習しているような感覚が終始ありました。

2日後に本番を控えたリハーサルも、全員衣装を着けお膳立てが全て揃った中で皆が見せてくれた演技は凛々しく堂々として感動的でした。

誰が優れているとか誰が目立つとかではなく、皆がそれぞれに自分のすべきことに真摯に取り組んでいる姿は良い意味でのどんぐりの背比べ。皆んなツヤツヤとしてコロンとして思わず拾い集めたくなるどんぐり達をイベリコ豚に食べさせたら相当美味しいお肉が取れるのかしらねぇ…と妄想に耽りながら傍観しておりました。

あぁ、どうしても茶化したくなる衝動には困ったものです。。。

大腰筋を怪我しているイベリコ豚は早く皆と一緒に駆けずり回りたいのです。

全然まとまっていませんが、今日の気付きを以て、長く暗いトンネルを完全に抜けた確信を持てました。再び美しい景色を見せてくれた皆さん、本当に有り難う。
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これはもう、ぼくにとっての告白でもあります。「先輩とか上司とか先生」などの「上の人」が、無意識でやっているズルいやり方についてです。こういう人たちは、よく、「下のもの」に、なにかをやらせてみたり、じぶんでやってみせたりして、「おまえもまだまだだな」などと実力差を見せつけます。ほんとに見事なものだなぁ、などと「下」は感心します。でも、これ、手品じゃないけどタネがあるのです。やらせたり、やってみせたりすることは、かならず「じぶんの得意なこと」なのです。足が速い「下のもの」と駆けっこなどしません。「そんなことも知らないのか?」と言う場合は、じぶんの知っていることについてだけです、もちろん。「じぶんも知らない」ときには、黙ってます。つまり、勝つ試合しかしないので、無敵なんですよね。ほとんどの「上」が、「下」に対してやってることです。

# by reijiro_kaneko | 2019-09-22 00:29

一難去って

幾度となくパーソナルトレーニング報告を書いておりますのでご存知の方も多いと思いますが、僕の身体はとても「ダメなボディ」でした。

ストレートネック、撫で肩、反り腰、仙腸関節が弛みやすい、O脚、扁平足…

今すぐダンスなんて辞めた方が良いレベルでのダメっぷりにトレーニングを始めた去年の今頃は何度もへこたれそうになっていました。

続けられた理由はただ一つ。

「悪い所にフォーカスせずに、他の良い所からの十分な連動を引き出して、本来悪かった部分の機能が向上する」トレーニングを教えてくださったから。

悪い部分を徹底的に集中攻撃されて、「そんなんだからダメなんだ!」と追い込まれたらきっとすぐに彼の元を去っていたでしょう。

勿論、ダメな箇所の指摘はそりゃあ残酷でした。何が悪いか伝えずに「これさえやっとけば絶対によくなりますから」という怪しい宗教みたいな要素は全く無く、「ここがダメですねぇ。じゃあそれはちょっと置いといて、試しにこれやってみてください。」と上手に誘導してくれて、「どうですか?何か変化はありますか?そうですね、これをやっとくとさっきダメだった部分が少し改善しますよね。」と動きながら自分で考えて応用出来るように導いてくれるのです。

そしていつも最後には「ちゃんと考えながら、ちゃんと要点踏まえて、ちゃんと運動すれば必ず改善向上しますから。」と優しいようで厳しい教訓を言い渡してくださる。

その言葉に背中を押されて二週間頑張って何か一つ新しいことが出来るようになって彼の前で披露すると、「あー良くなってますね。じゃあ今度はこれやりましょう。」と淡々と次のステージに連れて行かれる。

まあ、鬼、ですわ(笑)

いいもんですよ、51歳の中年教師がそのプライドをズタズタにされつつも明らかに日替わりで成長してる姿って。

困ったことが一つだけあります。

それは。

次のステージに行く前に必ずどこかしら怪我をしてしまう、ということ。

先日の「背中ギックリ」もそうですし、長年の反り腰で誤魔化していた臀部の硬さが腰椎を丸められるようになったことによって露呈してしまい今ではお尻のストレッチが地獄であることもそうですし、只今腸腰筋を負傷しています。

背骨がよくしなるようになったのにまだ残っている悪い癖で例えば腸腰筋だけを酷使してしまい、軽い炎症が起こってしまうのです。もうほんとに自分の身体の不器用さに腹が立ちます。トレーニング最中にブウブウ言ってたら、「仕方ないですよ。まだハイハイからやっと立った赤ちゃんみたいなもんですから。」と励ましてるのかバカにしてるのか分からない言葉が背後からヒラヒラと降ってきます。

よくもまあ一年も続いたもんだと我ながら驚きつつ呆れています。

お陰様で「ダメなボディ」が「そろそろ掴まり立ち幼児ボディ」ぐらいには成長しました。

このダラーンと引きずって歩いている左脚も数日後にはシャキーン!とアスリートな脚に完成していることでしょう。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-20 22:03

大嫌いな方がマシ

とても久しぶりにパソコンを開いてセレクトCDを作るべく数時間音浴をしてみた。

せっかく読み込んだのに全く聴いていなかった曲が沢山埋もれていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

アーティストは商業ベースに乗っかってある程度売れる見込みのある楽曲を営業的に生み出すことも多いと思うが、それでも彼らにとって大切な作品であることには変わりなく、「アルバムの中のこの曲はとても好きだけど、こっちはねぇイマイチなんだよねぇ」と軽んじられてしまう曲がごまんとある状況に対してゴメンナサイと思ってしまう。

そんな事を考えながら大量の曲を物凄い速さで早送りしつつ「聴く」というよりは「一瞬鼓膜に当てる」ような非礼極まりない聴き方をしている自分はどうなのよ?とフト考えた。

本当に自分のやりたい事だけを詰め込んだ振付など創ってしまったものなら、おそらく誰も「楽しむ」心境には導けないと経験上分かっているので、たまに「先生の真髄に触れたい」とお願いされることがあったとしても「怪我するどころか、きっとダンスなんて大嫌いになるから辞めておけ」をヤンワリと伝えることにしている。

あくまでも習い事、そして「適度なレジャー」であるべきダンスという見地に立って俯瞰し、楽しめることが前提で加えて怪我をさせない動きを提供することがプロとして至極当たり前だと思っているので、受講者の皆さんの目に触れる時点では自分のやりたい事の5%程度に希釈された嘘つき果汁グレープジュースみたいになってしまっているのである。

しかし、そんな薄まったジュースでも自信を持って販売している訳で、「今回の振付、なんかつまんないから行かなーい」とか「前に習ったことある振付と似てるからこんくらい動いとけばいいんじゃね?」と軽んじられると、憤りを通り越して「なんか、ほんと、つまんないモノしか創れなくてごめんなさい」という気分に陥る。

だから、そんな時は現状をこねくり回してなんとかしようと足掻かずに潔く新しい振付に変更してしまう。ほんの少しでも受講してくださる皆さんがハッとした顔になったりいつも安寧のスタンスで一滴も汗をかかない方がスプリンクラーのように汗をかいたり「はーい、お水飲んでくださいねー」と声掛けする前に我慢できなくなって走り去って蛇口に口を付けてガブガブ水を飲んだりする変化を生むために。

一方で、商品である振付の魅力を必死で説明するがあまり、同じく商品である自分自身の肉体が悲鳴を上げ無駄な八つ当たりを皆さんにぶつけなくて済む危機回避を早めに行うために。

今回も中途半端なタイミングで振付を変更しますが、そういうワケなのです。

今回の振付が皆さん全員のお気に召すとは決して思いません。とても大嫌いと感じる方もいらっしゃるはずです。でも、日々のルーティンとして軽く流されるよりは「あのハゲ、またナヨナヨした曲にキモい振付つけやがったよ、ほんとマジ勘弁、テメーが死ねっつうの」と思われた方がどれだけマシでしょう。

麻痺した感覚のローラー滑り台の上をゴトゴト滑っている方がよっぽど辛いのです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-20 12:02

ぎっくり背中

トンネルを抜けたらソイツは待ち構えていました。

このところ調子が良くてだいぶご無沙汰だったのですが、期せずして急遽再会することになってしまいました。

そう、彼女の名は「ぎっくり背中を引き起こす魔女」。
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「ぎっくり腰」は芸能人で例えるとタモリさんぐらいメジャーですが、「ぎっくり背中」はそこまで知名度は高くないと思います。

おそらく部位的にも近いため、首の「寝違え」の症状と混同していらっしゃる方が多いせいもあるかもしれません。

気になったので調べてみました。

【 ぎっくり腰 】は突然腰が痛くなって動けなくなる症状のこと。
主な原因がは腰椎捻挫や椎間板ヘルニア、筋膜の損傷によるものが多い。

【 ぎっくり背中 】は主に背中の筋肉の筋繊維や筋肉を包む筋膜が微細断裂を起こすことが原因で発症。状態としては軽度の肉離れのようなもの。

だそうです。「に、に、肉離れ…」と文字だけ読むとちょっと青ざめますが、トレーニングを積んでいると軽度の肉離れなんてしょっちゅうあるのでそんな大ごとでは無い気もします。

でも、呼吸するだけで痛いし、コーラを飲んだ後ゲップが出ないと苦しいし、床に落ちた物を取ろうと屈むとビシッと激痛が走ります。はい、完全に「怪我」ですね。

原因として考えられるものは、長時間同じ姿勢で身体が固まってしまったり、慢性的な運動不足が故、だそうですが、僕の場合運動不足でも同じ姿勢でデスクワークをしていたわけでもありません。

僕の場合の原因は思い当たります。

一年続けたトレーニングのお陰で背骨の可動域は明らかに増え、行える動作の種類は格段に増えました。しかし、やはり依然として苦手な動きや形もあるのにも関わらず、レッスン後で身体が十分に温まっていると意外とすんなり出来てしまう場合もあり、調子に乗って何度も練習してしまったりするのです。

二日前、よく動ける若い子がレッスンに来てくれたので「これは出来る?あれは出来る?」と色んなことをやらせてみていたら「えーっ?やったことないですぅ!」と言いながらどれも初チャレンジにして大成功。

骨格も年齢も違い過ぎて競うことがナンセンスなのは分かりきってはいましたが、「ようし!おじちゃんも負けないぞー!」と挑んでしまったのが敗因であることは歴然。

負け惜しみに聞こえるかもしれないのですが、今回のぎっくり背中は嫌な感じがしないのです。長らく動かなかった胸椎の1箇所がグリッと動いたがためにその周辺の筋肉が未だかつてないぐらいペロリと引き伸ばされた感覚があるのです。この怪我が完治したら念願のゴロゴロウネウネと床を転がる技が習得出来るかもしれません。

あー、、、でもやっぱり痛いものは痛いです。今日明日はこのツボを押しまくってゆるゆると生活します。皆さま、口先先生で申し訳ありませんがご容赦くださいね。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-13 16:31

灯台

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歩むべき道を照らしてくれた一番最初の人は紛れもなく両親であったと思う。

他の新生児達より少し低い声でオギャーと誕生し、今日に至るまで「俺達はお前のためにこんなに素晴らしい事をしてきたんだ」と自慢気に主張する親でもなかったので、特にそんなことを意識させられることもなくごく当たり前に生きてきてしまったけれども、よくよく考えるとやはり彼らの存在は途方もなく大きいのである。

そして今、幸いなことに僕には彼ら以外にも沢山の「灯台」の存在が居てくれる。

その「灯台」の導きがあってこそ、僕は幾つかの転換期を乗り越えてきた。

そして「灯台」の導きが現れる前には必ずどんよりとした厚い雲が垂れ込める鉛のような色をした不気味に凪いだ海が目の前に横たわる。

まさに今、それが再び出現している。

どうして糸井氏はそんな僕にチャンネルを合わせてくるのだろう…本当に怖くなるほど彼とのシンクロニシティには驚かされる。

たまたま、なのだろう。

友人でもなんでもないし、社会的地位からしてみれば彼は雲の上のお方。

ただ、これだけ絶妙なタイミングで啓示を与え続けて下さると、何か特別な関係が僕達の間に出来つつあるのかと錯覚しないわけにはいかない。

そろそろ、長いトンネルを抜けるはずだ、という感覚が強くなってきている。糸井氏も仰っているように、ここで変に焦って未来を見たがったり入り口まで後戻りしてみるのはやってみなければ分からないけれど、きっと実行したところで良くない結果が待っているであろうことも本能で分かっている。

だから、今はやるべきことを淡々とやるだけ。

少し時間に余裕がある木曜日には必ず100本単位の動画を観る。その最後に関連動画で流れてきたのがこちら。

Princeの音楽は未だに好みではないが、この「Cream」という曲はべらぼうに好きだった。セクシーな、というよりカッコいいおねえちゃん達がこれでもかと出演しているMVはVHSビデオテープが擦り切れるほど観た。

あれから数十年。久しぶりに観た「Cream」はやっぱり相変わらずカッコよかった。

ドキドキしている自分がいた。

もうすぐだ。

もうすぐ明るい丘が見えてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

・同じようなことを何度か書いた気もするけれど、次の段階にステップする手前で、激しい停滞感に襲われることが、よくある。身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、漠然とした不安に覆われてしまって、何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、周囲の散らかった状況が気になってみたり、親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、とにかく、いったんどんより沈むことがある。

ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、空が晴れるようにあかるくなってきて、新しい地点からものごとを見られるようになっている。そして、しばらく前のあの停滞感は、ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、気がつくことになる。

じぶんで何度も経験してきたことで、なおかつ、友人や知人たちの発言やらから感じとることでもある。次のフロアに出る前の、薄暗い階段の踊り場。気分はよくもないし、そんなところにいたくもないが、かならず通過しなきゃならないものなんだよね。その時期に、簡単に気晴らしをしてしまうと、前の階にもどっちゃうのか、そういうルールなのか、確かめたこともないので、いまだによくわからない。

「なんだかなぁ」などと、ちょっとぼやきながら、ちょっと辛抱して腫れぼったく過ごして、黒雲が風に流されるのを待つしかないのだろうな。

実を言うと、ぼく自身がここしばらくそういう時期で、どうしたものかと足取り重く生きていたのでした。ただ、長年生きてきた経験もあるから、次の階にやがて上がれるという自信みたいなものが、こころの奥にあったのはありがたかった。「停滞感」は悪いものじゃないと、これは、ほんとう。前を向いていながら足が動いてないと気づいているから、感じることができるものなのだ。で、いま、もう次のフロアが見えてきてるんだ〜。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。いろいろ、おもしろくなりそうです。接戦上等、苦労厳禁。

# by reijiro_kaneko | 2019-09-12 23:06

左官の垣根

「餅は餅屋」という諺があります。

分からないことはその道の専門家に聞くべし、その道の専門家が作るものが間違いない、等の意で使われる諺ですね。

これをきちんと守ろうとすると少々困ったことが起こります。

ダンスをご指導させて頂く際に、基本的な身体の使い方や振付の動きの順番や振付に込められた意味などを機械的に杓子定規的に伝えていると、誤った理解や身体の故障や想像力の欠損という弊害を生みがちです。

感覚の優れた(というよりは、ダンスや他のアートに通じている、というべきでしょうか)方々は、もし仮にマニュアルから外れない機械的な指導者に当たったとしても、その類い稀なセンスとテクニックで与えられた知識以外の広い領域にまで理解を深めてしまうことでしょう。

しかし、世の中、そんな方々は逆に珍しい存在。小さなことをコツコツと積み上げながら長い期間をかけて学ばなくてはならない方々の方が多い訳ですから、そんな風に一生懸命頑張っていらっしゃる皆さんの味方でありたい、と思うのです。

ここに「餅は餅屋」の例えがようやく出てくるわけですが、少しでも皆さんに理解を速めて頂いたりどうせ学ぶなら楽しく学んだ方が良いですよねぇという考え方の元、杓子定規に基礎練習をひたすら反復するのではなく、ダンスに一見何も関係ない例え話をしたりイメージが限定され過ぎないように日本語の歌詞の曲を極力使わない、などの工夫をなるべく沢山するようにしています。

つまり「餅は餅屋」から少々逸脱して、異なるジャンルの世界観を拝借しつつ本来の目的であるダンススキルの向上に結び付けようとしているのです。

しかし、それらの拝借するエピソード全てに関して僕自身がプロフェッショナルであるはずもなく、その殆どは深みのない聞きかじり、なのです。「一芸に秀でるものは多芸に通ず」が僕だとは口が裂けても言えません。ただ、感覚的にこれとこれを繋げたらより豊かな表現になるよね、ということを本能的に察知する力が少しだけ強いのでそのジャンルに精通していなくともなんとなく理屈がわかってしまう。故に、それを例え話として聞かされたらイメージ豊かに理解できるよなぁ、という誠に漠然とした感覚で皆さんに伝えてしまっているというわけです。

「餅屋」が聞いたらほとほと呆れてしまわれるような有り様ではありますが、この高田純次先生仕込みの「テキトー例え話」を面白がって楽しく学んで下さる方々が少なからず居ることを励みに台風一過の今日も「左官の垣根」をモットーに皆さんを巴投げさせて頂く所存です。
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# by reijiro_kaneko | 2019-09-09 11:54



ダンサー兼インストラクター『金子礼二郎』が気ままに呟いています。
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