今日は僕の座右の銘、といいますか、ダンスも人生も全部ひっくるめての「こう在りたい」と思っていることを端的に顕した言葉をタイトルにしました。
珍しく借り物ではありません(^^;
自分の中から聞こえてきた言葉です。
人生論にまで拡げるとうまくまとまらないので今日はダンスのことに限ってお話ししますね。
常日頃「無駄がない動き」を模索し、その時点毎の僕なりの確信を皆さんにお伝えしている訳ですが、ベースはやはりバレエの美しさや往年のミュージカルスターの粋な佇まいがお手本になっています。
身体の芯がしっかり意識できていて、コアから産まれた動きを身体の表面に伝え、そこに「美しい所作とはどういうものだろう?」という探求心が加わると、とても品のある麗しさが出ます。
しかし、それだけだと少々味気なく非人間的にも見えてしまったりするので、ここで「遊び」の要素が大事になるのです。
例えば、王妃のような在り方なのに娼婦のような目付きをしてみたり、乞食なのに博士号を持っていたり、紳士なのにしどけなく酔っぱらってみたり…
「遊び」と言ってもただふざけるのではなく、人間誰しも持っている二面性の魅力を足してあげる、ということですね。
これが出来る人のダンスは例え超絶技巧をひけらかす圧倒的なものでなくとも、何時間でも観ていたい魅力を備えています。
とは言え、世の中の全ての人がそこに惹かれる訳ではありません。きらびやかで超人的で分かりやすいヒーロー・ヒロイン像を評価する人の方が圧倒的に多いでしょう。勧善懲悪ものや分かりやすく涙を誘うものがお好きな方も多いでしょう。
あくまでも僕個人の好み、そしてそこに共感してくれる方々の何かしらのヒントになればと思って書いているだけです。
ハリウッド超大作も嫌いではありませんし、「渡る世間は鬼ばかり」も見入ってしまったりします。
ただし、僕が舞台を創ったり普段のレッスンの中で提案する題材は、哀しいかな、そうはならないのです。
今日もスポーツクラブにて、一見分かりやすいお洒落セクシージャズダンスを皆さんに提示し、随所に隠された変なモチーフに気付いているのかいないのか、とても楽しく踊って下さっていました。数年前は全く手も足も出なかった方が嬉しそうにその変な形を見よう見まねながらもなかなか堂に入った踊り方をして下さっているのを見ていて、本当に心の底から感謝の念と安堵が込み上げてくるのを感じました。
皆さん、いつもこの、セクハラでうったえられてもおかしくない変態教師をご愛顧下さり、誠に有り難うございます。痛み入ります(笑)
とても勇気を貰えたので今月もまたグイグイ参ります。どうぞ覚悟なさって下さいね!