無から産み出すことは本当に大変なことで、それが現場に持っていくまでの間の独りの作業の間は何度も気がふれそうになる。ノートの中にはメンバーの名前が沢山散らばっているから恰も彼等と会話しながら進めているように感じる時もあるけれど、大抵はとてつもなく孤独な時間が一日の大半を占める。
文章や実際の言葉でシーン毎の意味や構成をメンバーに伝えてはみても、完全に彼等が把握してくれることも稀なので、やはり現場で実際に僕が動いて見せて初めてそこで『ああそうか、そうなってるのね』と理解してもらう。あるいは全てが出来上がってから真相を理解してもらうことも多々ある。時には公演が終わってから数ヵ月してから『あのシーンの意味は実はこうだったんですか?』と問われることもある。
他人は所詮他人。全く同じ世界観・美意識・身体の使い方を持っている人など一生に出会える可能性は限りなくzeroに等しい。
そんな寂しい確率を重々承知の上で複数のメンバーと一つの公演を創り上げることの大変さを改めて思い知る。
パッと見は平易で楽しい表現を多く用いているので、それが僕の言いたいことと錯覚されがちだが、そうではなくその裏に潜む喜怒哀楽の塊と人生の真理を読み取って貰えるかどうかも想像力の豊かさに掛かっている。
こんなことを書くとメンバーやお客様を全く信頼していないとよく誤解されるのだが、もともとの根っこが他人への不信感100%で出来ている人間なので、信頼するも何も『分かって貰えなくて当然』がデフォルトなため、そもそも信頼するという概念が欠落しているので仕方がない。
昨日はあまりに煮詰まってしまったので、フラフラと第2の我が家、タワーレコードに赴き坂本龍一教授の新譜が視聴機に入っているのを見つけてヘッドフォンを耳に当ててみた。友人との待ち合わせの時間が迫るのも忘れ彼の音に没頭した。『あまりに出来が良すぎて誰にも聴かせたくない作品』と彼が言う意味が痺れるほど理解できる音だった。
今手掛けている振付曲はアップテンポなチャールストンぽい曲なのに、教授のアルバムをずーっと流して聴いていると不思議なことにどんどん動きが産まれメモを取るスピードが加速度的に上がり、あっという間に一曲完成。
こうやって無条件に信頼を寄せるアーティストの音に耳を傾けている時には想像力が掻き立てられ湯水のように振りが涌き出てくるのに、少しでも疑心暗鬼になると途端に思考が停止する癖はなんとか克服したいものだが、まだまだ時間はかかりそうだ。