今となっては大好きなアーティストの一人ではありますが、YMOの頃の教授には全く惹かれず、その後の転身でニューエイジやエレクトロニカ的な作風を極めていらっしゃる姿にもあまり心動かされず、長きに渡り僕の中で彼の音楽はある種『風』のような存在でした。吹いていることは分かっているけれど特に風の音色には興味を持たないどころか『寒いじゃないか!迷惑だ、吹くのやめろ!』とまで思っていた、そんな存在でした。
頑なに彼の音楽を拒絶し続けていた僕があろうことか強烈に彼を信望し始めたキッカケになったのがこちらのアルバム。
実はこのアルバム、因縁のアルバムでもあります。
収録されている一曲を前作『Hotel』のエンディングで自身のソロ曲として本番前日まで使用する筈でした。しかし、パートナーのアドバイスにより急遽変更しその曲はお蔵入りとなったのです。
納得して断念し、公演も成功を納め、未練なんて無いわ~と信じ込んでおりましたが、つい先月までいつも持ち歩いているCDホルダーにこのアルバムは入ったままになっていたのです。去年の5月ぐらいからなので半年以上常に携帯していた、ということはただの面倒臭がり故、ではなく執念に近い想いがあったのでしょう。
2月を目前に振付曲を変えるタイミングで、流石に聴かないのにいつも持ち歩いているのはオカシイと考え直し、『async』はホルダーから外され、CDケースが紛失していたためオーディオの前に裸の状態で放置される羽目に。
そんな前置きがあり、一昨日の阿佐ヶ谷ユジク訪問の折、この映画が上映されていることを知りました。
『async』発売後ほどなくして封切られたこの『coda』という映画には強烈に惹かれながらも年末の怒濤の外注仕事に追いやられ忘却の彼方へ。
ここで観なかったら一生観ないだろうと思い、水木の仕事疲れのピークにも関わらず本日鑑賞してきました。
正直、万人にはオススメ出来る映画ではありません。
坂本龍一という人物を一度は嫌いになった人にこそ観て欲しい。
音楽をこよなく愛しているけれどもその無力さも重々承知している人にこそ観て欲しい。
核や原発に対して声高に反対をする人よりも平和を守るために寡黙にひたむきに丁寧に生きている人にこそ観て欲しい。
そしてバッハを愛する人に、苦笑しながら観て欲しい。
最近の教授が出演している某CMで彼がこんなことを言っています。
『音楽に力なんて無いですよ。音楽が力を持ったらそれは恐ろしい。音楽なんて無力で良いんです。』
本当に矛盾に満ちた困ったお人です。しかし、だからこそ彼の産み出す音楽には圧倒的な愛と哀しみと喜びと力が秘められているのです。
ネタバレになりますが、映画の中に登場する一節をご紹介して今日のblogは締めさせて頂きます。
【人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。】