舞台を観て熱い想いを此処で述べる、というケースが稀な僕ですが、今回は少しだけ熱く語りたいです。
昨日とある本番のゲネプロを主宰の方のご配慮にて観覧させて頂いてきました。
一言で言うならば、この数年で観たり関わったりしてきた舞台の中でダントツの舞台でした。
主宰の方の深い愛情を受け継いだアシスタントの皆さんの作品や出演者に傾ける愛情、そしてその気持ちに全身全霊で応えようとする出演者の皆さんの気持ちが見事に一致団結した、まさに『想い』に尽きる舞台でした。
『想い』よりも様式美を重んじ出演者には酷を強いてしまう僕としては少々気恥ずかしくなる愛情が前面に押し出された作品もありましたが、そんなことはどうでもよくなるぐらい心地好く浸りつつ終始感嘆の呻き声を漏らすひとときでした。
中でも一昨年から関わらせて頂いている熟年ダンサーの皆さんの目を見張るような成長と凛々しさには息を飲みました。プロのダンサーさん達は巧くて当たり前。しかし、素人であちこち故障も抱えながら必死で頑張っているアマチュアの彼女達のここぞとばかり咲き誇っているダリアのような強い美しさについ落涙いたしました。
そして、もう一方。
この方とはもうだいぶ長い顔見知りであったにも関わらず、一昨年末ようやく初めましてとご挨拶を交わすに至る、というお互いどんだけシャイなんだよ的な関係性の方でして、昨日初めてその方の作品やご本人のダンスをマジマジと拝見させて頂けたのです。
その人が登場すると他のダンサーも俯瞰で観たいと思いつつもどうしても目が行ってしまい、その理由をあれこれと考えてみました。
僕の大好物である『面が分かっているタイプ』でもないし、四肢がスラッと長い訳でもない、センターでこれ見よがしに己を誇示するスーパースタータイプでもない。
それでいて、ズイと心に入ってくる存在感の強さ。
観ているうちに次第に分かってきました。その方には『正面』という概念が存在しないのです。全ての方向が正面であり、その全ての方向に等しくエネルギーを放ち、その上その熱量を巧みに加減している。力の配分は音と完全にシンクロしていてその人が音そのものに成っている。まさに目で音を聴いている感覚。
こういうダンサーは本当に何時間でも飽きずに観ていることが出来ます。
実はこの方、かなり前から僕の作品を必ずと言っていいほど観て下さっていて、人づたいではありますがどうやら僕の世界観を慕って下さっていたようだと最近知るに至りまして、何故ジャンルも年齢も体格もまるで違うのにそんなに気にかけて下さるのか、昨日その理由が少しだけハッキリしたような気がします。
音をあたかも食事を摂るように体内に一度飲み込み、その質量を失わないように丁寧に空間に再び放つ。それを追究することに命を賭けている。いや、きっと、その方にしてみたら命を賭けるなどという仰々しい感覚ではなく、素朴に楽しんでいるだけなのかもしれない。
僕はその方ほど純粋でも真摯でもありませんが、見ている景色は同じ気がします。
奇しくも本日の某T店での祝日プログラム、そして来週の8ppy.さくらさんWSでの振付曲としてMaroon 5を選びました。ポップでありながらどこか深淵なムードも漂わせるその曲で聴こえてくる音を丁寧に拾い、多少気恥ずかしい表現も能書きも垂れず素直にしてしまおうとしている自分がいます。この曲を使おうと思い立ったのが土曜日。そして、昨日日曜日のそんなこんな。
まさしく『合縁奇縁』です。