ファンタジーとかく若い時は身の回りに起こる些細なすれ違いや人間関係のもつれや社会体制に対する不満などをテーマに作品を創ってしまいがち。 かく言う僕も若い頃はそうでした。恋愛が上手く行かなくて(その当時は)世界の終わりかと思うぐらい切ない気持ちにどっぷりと浸り込んで、それをエネルギー源として作品(と呼べるような代物では無かったけれども当時は命がけで創り且つそんな自分に酔っていた)と向かい合っていた気がします。 頑丈な鍵が掛かって開かないドアを必死に叩いたり、身体中に絡みついてくる得体の知れない何かを振り解こうとしたり、誰かに突き飛ばされてもんどり打ちながら床に倒れたり。 ファンタジーは本当に便利な道具であり、それらの「見えない何か」は作品の重要なファクターでもあります。誰の目にも見えないからこそ、自分自身の意思で自由にどうにでも出来る。そして自分と似たような妄想を抱いている人達の共感を呼ぶことが出来る。 しかし、一方で、色んな物事がきちんと「見えている」人達からしてみれば、何故そんな風にもがき苦しむことを敢えて舞台上で見せる必要があるのか全く理解出来ないという事実が存在することを年齢を重ねていくうちに徐々に理解し始める。 現実社会はそんなにあなたを苛めぬいてばかりではないし、逆にその程度の辛い妄想レベルのものでは済まされない残虐な仕打ちが待ち受けている場合もある。 「話せば分かる」健全な人間関係を築いてゆきつつ、限界まで手を尽くしたにも関わらず無残に呆気なく壊れる人間関係も多々経験しつつ、計り知れない未曾有の大災害を幾つか乗り越えていくうちに、ピーターパンで在り続けるのは不可能だと思い知らされ、それでも執拗に抱き続けるファンタジーの質は以前のそれと比べるとガラリと変わっていく。 大人になってからのファンタジーは「実体験に基づいた実現可能ではあるが現時点では実現出来ておらず、近い将来その夢を実現させたい!」と願う所以のそれと、「幼少期に想像した太刀打ち不可能な得体の知れない何か」を想像して愉しむ、という大きく二種類の性質のものに落ち着くのではないかと考えています。 これらの憧れたり奇抜な発想を楽しんだりする思考があるからこそ作品を産み出す原動力が生まれ作品を成熟させる規範にもなり得るのです。 一人っ子で育ち各地を転々と引越しし自己完結と根無し草の極みで成長してきた僕のような人間にとって、こういう当たり前のことを自覚するに至るのには本当に長い時間がかかりました。理解したとは言うものの実践できていないことは山のようにあります。 そんな不完全な人間ではありますが、一つのことを諦めずにやり続けてきてそれなりの人生経験も積んだからこそ少しだけ説得力を伴って発言できることもあろうかと今回も描き始めた、という訳です。 糸井氏曰くの「ファンタジーは力ない者の糧であり、武器である」を読んだ時に、これまで稚拙なファンタジーの領域を抜け出せていない他者の作品に対して頭ごなしの否定をしてきた僕もハッと目が覚めた気がしました。 いいじゃないの、どんな作品を創ろうが、どんな風に踊ろうが、それに対して目くじら立てるなんてナンセンス。やれ、それは芸術じゃないだの、やれ、それは大人になりきれてないだの、批判する資格など自分には無い。 色んな作品を色んな人が生み出し色んな人が一生懸命踊ってその世界観を表現しようとしている、世の中が平和であり自由であるからこそそれが許される訳で、その自由を満喫して世に出てくるモノに対してそれはダメだあれはダメだと文句ばかりつけていたら、それこそ表現の自由を奪ってしまうことになってしまう。 だからもう僕は何も言わない、いえ、言うべきではないと決めました。 あ、でもね、個人的に相談して下さった場合は歯に衣着せず辛口批評させて頂きますので、遠慮なくお声掛けくださいね。 では、本日の「今日のダーリン」をどうぞ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・趣味としてということならば、ぼくはオカルトは大好きだったし、いまも、否定してなくしてしまおうとは思わない。正直に言って、20歳代のじぶんが考えていたことは、もっとずっとオカルト寄りだったと思う。空飛ぶ円盤(いまはUFOと言ってるみたいだけど)は、ない可能性もあるけれど、あると思いたかった。後にインチキだったと判明する空飛ぶ円盤の写真や、アメリカの空飛ぶ円盤に関する資料などが、ときどき、さまざまなかたちで発表されて、「あるかもしれない」という期待を煽るのを、なんとなく「いいな」という気持ちで見ていた。 オカルト的な情報を肯定することは、なんとなく「夢がある」という意味をも含んでいた。ネス湖の恐竜ネッシーも、ヒマラヤの雪男も、超能力者ユリゲラーも清田くんも、なんなら地底大陸も、さらにはブルース・リーの空手の強さまでも、「夢がある」ということで大好きだった。そこらへんのことを簡単に科学で否定する人については、「否定する証拠もないのに否定することが非科学的だ」とかいうロジック(?)で、わからず屋扱いしていた。いまのような情報過多の時代の人たちには、ずいぶんこどもっぽい成人だったと思われるだろうが、恥ずかしながら、言い返すことはできない。 それから半世紀も生きているうちに、いろんなものごとが少しずつわかってきて、ほんとうのこととそうでないことの区別が、多少なりともできるようになってきた。そして、いまさらあのころのじぶんについて思うのは、「オカルトとか、奇跡とか、精神主義的なことだとか、現実の体系の外側にあるものを信じないと、じぶんの無力さに耐えられなかったのかもなぁ」というようなことである。オカルトに象徴されるもののなかにこそ、「弱きボクラ」の「勝つ可能性」を見てたのだ。当時のじぶんに、教えてやれることがあるとしたら、「とにかく、もっとよく見ろ。」かなぁ。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ファンタジーは、力ないものの糧であり、武器なんだよね。
by reijiro_kaneko
| 2019-08-05 18:25
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