またまた性懲りもなくトレーニング記事です。
以前のblogで少し触れましたが、ダンスに関しては「先生」なんてもんをやらせて頂いているので怪我でもしていない限り自分がブザマな姿を見せるなんてことはしませんし、してちゃいけないと思います。自分が出来ないこと、不得意なことは皆さんにやらせず、自分の得意なことを皆さんが少しでも会得出来るよう指導するのが仕事だと考えています。
しかし、当たり前のことですが、他人に師事するという状況ではそれが180度変わります。出来ることもあるけれど、出来ないこと・不完全なことの方が占める割合は高くなる、それが普通。
昨日もそんな1時間でした。
一年続けてきたトレーニングの成果が上がっている部分もありますが、やはり弱点は弱点のままデンと鎮座していて「俺はテコでも動かんぞ!」と昭和の頑固親父よろしくむっすりとご機嫌斜めなご様子。そんな頑固親父を「ほらほらお父さん、愛娘の旦那様にそろそろおはようの一言でもかけてあげなさいよ」となだめすかしたり、胡座をかいている座布団をテーブルクロス抜きの芸当のように華麗に引き抜いて親父をコロンと転がしたり出来る名トレーナーの妙技に毎回感動させられています。
それにしても、出来ないことが多すぎて凹みます。未だ逆立ちは未完成ですし、出来る様になった懸垂からの逆上がりも何度もやっていると筋肉が耐えられなくなって諦めたナマケモノみたいになってしまいます。
そんな時にやはり糸井氏は救ってくれるのです。
「落第万歳!」
大学卒業時、会社を辞めた時、ダンスから一度離れた時、そのそれぞれで己の至らなさを突きつけられ落胆はしたはずなのですが、そこには巧妙な言い訳が伴い真に事実を受け止めきれていなかった自分がいたことを数十年経って思い知らされる。
なんとも痛快です。
「落第万歳!」
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・こんな年齢になってから、いまさらの話をします。ぼくは、少し遠慮がちにですが、大学生の人なんかに、「落第とか留年とかは、したほうがいいね」と、言ってやりたいと思うようになりました。
遠慮がちにと、あえて付け足したのは文字通り遠慮です。人生に対する考え方はそれぞれにあるでしょうから、ぼくが思う「いい」を、人も「いい」と思えるかどうか、わからないので、文に「逃げ」を入れているだけです。「息子の人生をダメにしたら責任とってもらえますか」みたいなことを言われたらかなわないからです。
とか、言ったうえで続けますが、「落第とか留年」あるいは「退学」は、卒業してからではできないことです。もう卒業してしまったら、取り返しがつかない。それまで歩んできたまっすぐな道の、外れようなのか、曲がりようなのか、戻りようなのか、それを経験することになるわけです。このことを挫折と呼ぶ人もいるでしょうし、失敗ととらえることもあるでしょう。どのみち「価値観」を問い直す機会になると思うのです。逸脱だか挫折だかを軽く経験することで、ぬかるみに迷い込む場合もあるでしょうし、いままでと別のおもしろさを知ることもあるでしょう。どちらにしても、不安と期待が増えそうです。そして、その分以上に自由を見つけることにもなります。線路の上だけを走る電車のようにではなく、広い道狭い道、道のない道を行かざるを得ない自動車のような動き方を覚えるかもしれません。
とにかく「勉強ができる」ということだけが、なによりいちばんの価値だという考えから、すこしでも解き放たれることは、大チャンスなのです。ぼくのこの考えは、昔よりいまのほうが言いやすい。決まった勉強でいい点数を重ねていったら、人に認められて幸福を手に入れやすくなるということが、昔よりもずっとやりにくい社会になっているからです。いま、ぼくに大学生の息子がいたら、きっと、留年とか退学とかしないかなぁと期待してると思います。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。失敗や挫折は狙ってはできないけど、運よく得られるもの。