その当時、まだ新進気鋭の振付家だったとある方に抜擢され出演した作品「Uncertain(不確かな)」にて、僕は予め録音した自分自身の声に合わせてほぼソロを踊る、という地獄のような経験をしました。それだけを聞くと「あら?なんかそれって素敵じゃない?」と思う方も多いかと思いますが、実はこれが17歳当時抱えていたコンプレックスを美化せずに発した単語が幾重にも重なって鳴り響く代物でして正気を失いそうになりながら必死に踊っていた、というよりもがいていたというのが本当の所でした。
今となっては感謝の気持ちしか抱いておりませんが、その後暫くは自我も崩壊し自信も失い好きなはずのダンスも苦痛でしかない時期を過ごし、経済的な理由もあって一旦はダンスの道から外れ希望も目的ももたずにただ流されるように生きていました。
そんなどん底の生活を送っていたからこそ、もう其処には戻りたくないと踏ん張れる底力を身に付けスタジオを主宰しつつ本公演も7回も実現しました。現役を退き好き勝手に映像作品を撮っては、隠居の身で目覚めたカメラ爺さんが望遠レンズで撮った野鳥の写真を大きく引き伸ばして友人に満面の笑みと共に披露する、という状況に酷似したやり方を無意識にしてしまっていることに何とも気恥ずかしい思いでいっぱいですが、あの頃の自分を思い出しては「いや、今の方が断然幸せだ」と思うのです。
そして、僕より二つしか年上ではないのにも関わらず「不確かな」という正に今の時代を象徴するような作品を手掛けられたその方のセンスと才能を改めて尊敬します。
最新作「Life」は、実はその「不確かな」へのアンサーソングのような気持ちで創りました。僕はあくまで実体を持たずに風景に溶け込む不確かな存在であり、今を盛りと壮大に咲き乱れたかと思えば儚く散る圧倒的な生命と死のエネルギーをこれでもかと見せつける桜の前では自分などは途方もなくちっぽけな存在でしかない、そんなことを描きたかったのです。それまでの三作品の親友曰く「ちょうど良い自己顕示欲」とは真逆のスタンスで、ダンスは情景を引き立てるお飾りぐらいが適切でダンスが主役になってしまっては映像作品である意味が無い、と信じて疑わない自分のポリシーにようやく近付いた作品になったかなぁと思っています。
でもですよ、やはりまだまだエゴが見え隠れどころかドーンと前面に鎮座していて観ていて辟易してきます。どうしてももっとフィルムノワールのように削ぎ落とされた時空間の表現が出来ないのか、水墨画のような美しい余白を取れないのか、腹立たしくなります。
まあでもねぇ、そんなの撮れちゃった日にゃ、もう死ねってことでしょうからもうちょっともがくことにします。