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【礼二郎のつぶやき】

慣れ方を習え

習うより慣れろ、という言葉がありますが、僕はこの解釈について一言申し上げたい。

確かに習うことだけ一生懸命やっていても応用力のないガチガチの石頭になってしまう危険性があり、その環境に慣れて世界観をしっかりと身体に馴染ませて学ばないと本末転倒、という意味でこの言葉は存在すると思うのだが、「慣れろ」の解釈を間違うと折角の格言も無用の長物。

「慣れる」プロセスの中に「だれる」「甘んじる」「審美眼が衰える」の三大悪が混入してはならないのである。

長らく学びの場に居ると、どうしてもある程度「わたしはこれだけ学んだし、まぁいいか」と自分を甘やかす思考に陥りがち。上を見たらキリが無く幾らでも成長出来る余地はあるのに、程々に出来る自分を良しとして成長しようという意思を捨ててしまう。そして、与えられた課題をダラダラとなぞって満足する。

ダラダラとなぞって満足することも別に悪いことではない。「継続は力なり」という新たな美徳によって護られるからだ。しかし、そこに「加齢」というブラックホールのような恐ろしい概念があることに多くの人は気付こうとしない。いや、その恐ろしささ十分知っているからこそ気付きたくないのだ。「加齢」は残酷だ。継続で得た力をゼロどころかマイナスにしてしまうほどの驚異的なパワーで「維持」では済まされず容赦なく「劣化」させるのだから。

この「劣化」を食い止めるために僕は己の身体を犠牲にして日々毒舌を吐いている。何もそこまで言わなくても…と思うことも敢えて口にする。ブラックホールに吸い込まれそうになっている宇宙船の操縦席で、「私はまだ飲み込まれる訳にはいかない!」と操縦桿を握っている人のために。

思い返せば、数年前まで僕は慕って集まってきて下さる皆さんを甘やかしてきた。甘やかしていたつもりはなく、個人の意思を尊重し自由にのびのびと学んで貰おうと配慮した結果だったのだが、まるでゆとり教育の弊害よろしくボウボウに生えた雑草だらけの庭状態になってしまい、これはイカン!と方針を変更。

「慣れる」など有り得ない。常に新鮮な学びが無ければレッスンを受ける意味などない。目から鱗が剥がれ落ち続けて目玉が消滅してしまうぐらい膨大な気付きを提供出来るようにいつでも自身が邁進していなければならない。

去年からパーソナルトレーニングを始めたのも、今年から映像作品を何本も撮っているういにカメラにハマってしまったのも、自分の在り方を根底から見直す良いキッカケになってくれた。どれも頑張って体当たりで臨むにも関わらず、上手く行くことの方が少なく、大抵は敗北感を味わうことになる。そんなダメな自分が恥ずかしいから次に同じことをやる時は失敗しないように歯を食いしばって臨む。これこそが「慣れる」ことだと思う。

こんなことを2日かけて書いていたらまたしても糸井氏の言葉が奇跡的なタイミングで降ってきた。

心の中を覗かれているようでなんだか恥ずかしい。
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・よく、「失敗」が大切だと言われるのだけれど、どうしてそれが大切なのか、じぶんに説明できたことがあったろうか。人には言える、平気で言えるし、信じつつ言える。「失敗が、なにより大事な経験になる」と説ける。

しかし、じぶんの失敗については、納得しないままに「失敗も経験だから」と、慰めるように、あるいは半ばあきらめたように、思いこむことが多いような気がする。

ずいぶんと大人になってから、「失敗」が大切な宝であることが、わかるようになる。いろんな大人が、それを教えてくれると思うが、ぼくにとって、いちばん簡単な説明とはこういうことだ。「失敗は、やろうと思ってできないから」、これだ。やろうと思ってする「失敗」、というものはない。やろうと思って、うまく「失敗」ができたとしたら、それは、ただの「計画の成功」だ。だれも「失敗」なんかしたくないし、どうやって「失敗」しないかさんざん考えているのに、してしまうのが「失敗」だ。つまり、「失敗」というやつはうまくいくための「計画の網の目」をかいくぐって、やっと出現してくれる「貴石(奇跡)」なのである。

「失敗」と出合って、そこで終わりにならなければ、(できたら元気に)生き続けてさえいたら、「あの失敗があったおかげ」に気づくことになるだろう。あらゆる周到な計画も、いかにもでっかい夢も、「失敗」という宝に出合えぬままでは、ありふれた「ただの成功」にしか届かないだろう。

「失敗」という「貴石(奇跡)」は、運命と呼ばれる「つながり」のなかにあって、ひときわ輝く宝石である。ほしいと思っても与えられぬ宝の石だ。こんなものさえなかったらと忌避されていたのに、それがあったからこそ、すべてがつながってくれる。「失敗」のある人生にこそ、感謝と歓喜を。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。気取って書いてますけど、なにかあったわけじゃないです。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-18 13:09

必要な痛み

首が痛いです。

昨日のレッスンで「本当はここまで身体を追い込んで踊って欲しい!」と己の身体を酷使して何度もお手本を見せつつ皆さんに気付いて頂こうと必死で力説したが為。

頭も痛いです。

僕はレッスン中、かなり目を酷使しています。それに気付いたのもこの数年なのですが、もともと視力が極度に弱いのにもかかわらずコンタクトレンズ越しに被写体が焦げるぐらい目を凝らしているせいで、特にあやふやな人が多いクラス後は眼球が岩かと思うほど硬化してしまい、血行不良で頭も痛くなります。

でも胃は痛くありません。

感情的にキイキイとわめいた後は胃のあたりがズーンと重くなり、腸の動きも鈍くなり、身体中にガスが溜まります。しかし、キイキイ言わなくても皆さんに通じた時はとても爽やかな体内環境になります。昨日は確かに最初こそあやふやな人は多かったのですが、熱血指導に徹していたら「死ねばいいのに!」と感じてしまう人など一人もおらず、充実感しか残らない素敵なレッスンになったので首と頭はズキズキしてますが、首から下と心はとても健やかです。

そんな時に流れて来る大好きな糸井氏のエッセイのホッコリ加減に完璧に癒されました。 

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・人は、夏になると海に泳ぎに行きます。ぼくも何度も行ったものです。人でいっぱいの砂浜や海を見て、「何十人もの人間がCをしているんだよな」と、だれかが言ったりします。そうかもしれないとも思うのですが、なんか感じわるい。でも、ぼくにはそれを否定することもできませんでした。

しかし、大人になってから、その言い方には、ちょっと矛盾があると気がついたのでした。否定するというより、その矛盾をどうするかが問題です。まったくきれいな水で泳ぐにはどうしたらいいのか? そこに答えはあるのかよ、ということなのです。人体のすべてをきれいに洗ってから、水に入る? もちろんウォッシュレットみたいなものも、激しく使っておいてもらいましょう。海中でCやら、ましてやUなどしないのは前提ですよ。暑いからって汗をかいている人にも遠慮してもらいます。他人の汗なんて、口に入ったらいやですからね。それでも、じぶんの人体の汚れは水に溶けこみます。そのことはいいのか、とも思います。すでにもう、かなり無理なことに挑戦しているのです。しかし、その前に、海中のタコだとかイカだとか、イワシだとかマンボウだとかフナムシだとかは、大いに、自由にたれ流してますよ。CもUも我がもの顔でひり出し放題ですよ。さらに、魚たち死んだりして死体を浮かばせてます。ぼくは、これでもライトに表現しているつもりですが、クジラあたりがするUはものすごいらしいですよ。「それは自然だからいいんだ」と言われても、思えば人間のCもUも自然ですからね。

つまり、理屈できれいと言えるような海で、現実の生きものである人間が泳ぐことなんかできない。多少のきれいでないものも含めて世界なんだと、ある種の諦観を身に着けていくしかないんですよね。

「この海でたくさんの人間がCをしている」への返事は、「そうだなぁ」の一択で、そのまま海に入るのです。ぼくらは、観念の世界に生きてるわけじゃないので。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。それはそうと、あなたは海でCをしましたか? ぼくは…。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-16 11:30

イイ人

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他人には「イイ人ぶるの辞めない?」なんて偉そうに言うくせに、さて自分のこととなるとやっぱりどこかで「イイ人」の仮面を被っているわけでして。

本当はイイ人でも何でもなくてあらん限りの悪態とか平気でつくし、世のため人のためになんて生きていたくないというのが本心だったりもするんです。

それを取り繕ってオブラートに包んだ物言いして波風立てないようにしてひっそりと生きていることにある日突然嫌気がさして大噴火を起こし、それはものの見事に周りに人が居なくなります。

そりゃそうですよね、当たり障りなくふんわりとイイ人ぶってるから、傷付きたくない表面的に生きている人ばかりが周りに集まってきて、突然「寄るんじゃねぇよデブ!」と悪態をつかれるわけですからねぇ。

しかし、50を越えてまだそんなことを繰り返していたらそれこそ本物の老害。だ〜れも寄り付かない偏屈爺で余生を過ごすのは幾らアウトローの僕でも寂しすぎて耐えられそうもありません。

ですので、過去の失敗を教訓にして大噴火を起こす前にほぼ毎日小噴火することで甚大な被害を避ける術を身につけました。

思い返せば何故そんな事まで我慢して言わずしてナァナァにしていたのか、今となっては苦笑することばかり。

スポーツクラブに通っている、しかもダンスなんてルックスが非常に大切になる種目にも関わらず、大した努力もせずにポヨポヨお腹でヨタヨタ踊り「せんせぇーい、腰が痛いのよー。どうやったら治るの〜?」とすがってくる方々に「そうですねぇ、こんな体操を無理なく続けてみてはいかがですか?」とやんわり助言していたあの頃が懐かしい。

今では一刀両断。「え?デブだからですよね?痩せれば治りますから。」

せっかくYouTubeで参考動画を上げても実際のレッスンでそれを活かしている人はごく稀。やっても意味無いんだから嫌になって暫く動画を上げないと「せんせぇーい、動画載せてくださーい!何もお手本が無くてレッスンに参加するの緊張するんですぅー」と直談判。どんな方でも僕にとっては「お客様」であり、理不尽に辛く当たるのもどうかと思っていたので「ちょっと忙しくて動画を撮る暇がなくて今回は載せてないんですぅ。ごめんなさいね。頑張って実際のレッスンでモノにしてくださいねー!ニコニコニコ」とやんわりお伝えしていたあの頃が懐かしい。

それが今じゃ「は?そんな風にチンタラやってるんだったら死ねばいいのに。」

昨日の某店でのレッスンで僕は何回「死ねばいいのに」「そういうのほんとムカつく」と言ったことでしょう。それぐらいほんとにムカついたし、半分本気で死ねばいいのにと思いました。

でもね、死んじゃダメですから。

死んじゃうのはダメ。死ぬ気で頑張るのはヨシ。

あまりにも「死ねばいいのに」を連発するので皆さん爆笑するしか手立てがなくなり、それでも笑って済まされない状況らしいと察知し、最後の頃には見違えるように逞しい踊りを披露してくださいました。

「死ね死ね」言おうが、最後にはちゃんと結果を出してこその暴言。そこが成立していないとただの悪口。どうしても伝わらない場合には身体の中で変な音が鳴りながらも身を削って見本をお見せすることで、単なる口が悪くて生徒を奴隷としか見ていない先生にはならないように自分を律するのはプロとして当然の在り方。

ええ、テメーのケツはちゃんとテメーで拭きますから。

そこは何とか皆さんと共有できているからこそ、こんなにも長きに渡って沢山の皆さんがご愛顧下さっているのだと思います。

加えて、こんなにも毎日思い悩むネタを提供して下さる皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

大脳皮質がツルッツルで死ぬのだけは死ぬほど嫌ですので。

それでは恒例となりました糸井氏のエッセイをどうぞ。

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・「いい人」ということばには、いろんな意味があります。どういう人が「いい人」なのか、定義するのも、なかなかむつかしいでしょう。でも、とても具体的なだれかについて話すとき、ぼくらは「あの人はいい人だねぇ」と言ったりします。他の人もそれについて賛同してくれたりもします。つまり、「いい人」を探すのは簡単じゃないけれど、結果的に「いい人」であると認められる人は、たしかに存在するわけですよね。

じぶんのことを「いい人」だと判断するのも、たぶんとてもむつかしいことです。じぶんが「いい人」のようなふるまいをしたことだとか、「いい人」と言われるようなことをしたことだとか、じぶんで知っているとしても、その「いい人」としてのふるまいの前に、なかなかの悪いことを考えていた…というようなことを、じぶんだから、知っているんですよね。どこかで、ぼくらは、「いい人」は悪いことを考えないと思いこんでいる。実際に、ほとんど悪いことを考えないような純真な「いい人」も、具体的にぼくらは知っています。そういう人ってほんとにいるんですよ。それと比べたら、もう、たとえばぼくなんか、悪いことだっていやらしいことだって卑怯なことだって、考え放題、思い浮かべ放題だとも言えます。なるべくこころ美しくして、悪いことを考えないように練習してきたようなこともあるけれど、じぶんの知っている実際の「いい人」の前に出たら恥ずかしいほど「非いい人」なんですよ。

ただね、そう思うときに、想像力で仕事をしている作家たちのことを思い出すんです。人の悪や、世の地獄を余るほど描いたシェイクスピアは、「いい人」じゃないということになりそうだけれど、それはそれで「いい人」かもしれないよなぁ、と。別にシェイクスピアが「いい人」でなくてもいいんだけど「いい人」かどうかというのは、こころの問題ではなく、なにをしたか、どんな態度でいたかじゃないかなぁ。というようなことを岩田さんと話したことがありました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。やっぱり「どういう人でありたいか」が、いちばん大事か。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-11 14:30

撮らない勇気

写真を趣味にして良かったと思うことの一つに、「思うようにイイ写真が撮れないのは、自分のせいだ」と思えることです。

なんだ、そんなの当たり前じゃないか!と思われる方も多いと思いますが、そうなんです、ほんとに当たり前のことなんです。

確かにカメラの性能だったり被写体が良くなかったりするという原因もあるでしょうけれど、それはもっともっともっともっと後で出てくる不満であるべきで、ド素人の今はとにかく何も分かってない訳ですから、失敗するのは全部自分のせい。

それはね、案外カメラのことだけに限らないんですよ。

人とのコミュニケーションが上手く行かない時は大抵自分に非があると思って間違いない。相手に非があると決め付けて自分は頑固に貫いていたら拗れることの方が多いのです。

カメラで例えると興味のある被写体にカメラを向け距離を測り画角を決め色味を決めピントを合わせてシャッターを切るかどうか少し悩む。

それと同じ事を果たして人と接する時にやっているだろうか?と考えてみると、全ての段取りが上手く行くなんてことの方が珍しいのではないか?とさえ思ってしまう。

まず、その人に興味を持てるのか・そうでもないのか、好きか嫌いかのベクトルがハッキリとしているほど近寄ったり遠ざかったりすることが普通、どのようなシチュエーションでその人と相対するのか、どんな口調や論理で話そうと心算をするのか、いざ決戦をどのタイミングで始めるのか…

これを割と頻繁に且つ瞬時に判断して仕事に臨んでいる僕のような人間は余程シビアに線引きをし脳をフル回転しておかないと呆気なく心は疲弊し切ってそれこそ引き篭もりになってしまいます。

昔はよくそうなっていました。理由は簡単です。「その被写体には興味がないから撮らない」という選択肢があることを知らなかったからです。

または、「キッチリとピントを合わせたシャープな写真を撮る」のか、「わざとピンを甘くしてフンワリとした写真を撮る」のかの選択肢も持ち合わせていなかった、というのもあります。

困っている人がいたらとことん付き合って解決出来る策を一緒に練ったり、ただのファンでしかない人に対して誠心誠意ダンスが上達するためのお手伝いを勝って出てみたり、本当に上達したいが為に熱心に通ってくれている人に対してピンボケのアドバイスをしてしまったり。

全てトンチンカンで裏目に出てしまうことばかりしていたのです。

街角で出逢った素敵な被写体にカメラを向け、撮れた写真を見て「おっ!いいな!」と思えたらその時はきっと全ての段取りが上手く行って無心で臨めた時。「うーん、なんかビミョウなんだよなぁ…」と思ったらそれはきっとセッカチにシャッターを切ってしまったり変な欲が出て過剰な演出をしてしまった時。

もっともっと無心で「これだ!」という写真しか撮れないぐらい上達したいものだと願いつつも、やはり失敗するからこそチキショウ!絶対上手くなってやる!と奮い立つ訳なのでそれもまたよし、と思います。

これからは「撮らない」と決める勇気も持ちつつ、「どう撮るか?」の厳しい選択もしつつ、楽しく有意義なカメラ道を究めていきたいと思います。
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# by reijiro_kaneko | 2019-08-10 08:20

高級コンデジデビュー

一眼レフを買ったは良いものの、完全オフ日が年内はほぼ消滅してしまいフル装備でロケハンに出掛けるという至福の喜びが当分お預けになってしまったので、写真や動画を頑張って撮って技術を磨く機会が激減しすっかり意気消沈しておりました。

平たく言うと、一眼レフは重いしかさばるし三脚やジンバルなどの他の機材も携行するとなると、通常業務の日に片手間に、なんてことは不可能、ということなのです。

「どうせ写真や映像を撮るなら良いカメラで撮りたい!」と考えて、春ぐらいから猛烈な勢いで下調べをして、価格と性能の折り合いがつくCanon Eos Kiss X9という一眼レフ機を購入し、画角や性能の異なる数本のレンズも買い揃え、これらで撮れる絵にはほぼ満足していたのです。

しかし、何せ一眼レフなものですからひょいと気軽に持ち出せない。加えてこの猛暑。機材でパンパンになったリュックのベルトがギチギチと肩に食い込み、背中に汗疹を大量にこしらえて、なんてことをしてたら流石に平常業務に支障をきたします。

なんか良いものないかなぁ…と当て所もなくYouTubeやSafariを徘徊すること1ヶ月。とあるカメラが不意に目に飛び込んできました。

Canon G7X Mark II
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このカメラは所謂「コンデジ」と呼ばれるタイプのカメラで、現在はスマホカメラの飛躍的な性能向上の煽りを受け、少々肩身の狭い境遇にある市場の製品。しかし、最近のコンデジ業界はわざと高価格帯の商品を打ち出し「一眼レフ並みの性能をスマホ並みのお手軽さで」を売りに一定数のニーズを潤すことに成功しているようです。

昔一時期使っていた一万円前後のコンデジにあまり良い印象が無く、正直「一旦一眼レフに手を出してしまったのに、今更コンデジに戻るなんて屈辱に耐えられるだろうか?」と激しく悩みましたが、色々調べるうちにデジタルカメラの心臓部であるセンサーサイズが重要な鍵を握っている事実を知り、コンデジの中には一眼レフと同じサイズのセンサーを搭載している機種があり、ぷらっと気楽に持ち出せてそこそこ綺麗な写真や動画を撮る目的であれば十分過ぎる性能を備えていることを学びました。

そうなるとまた話は変わってきます。先ほどのCanonのコンデジは手ぶれ補正もよく効いてCanon独特の色味もしっかり再現され、何よりもコンパクトで軽量。実際店頭で手に取ってみて何枚か写真を撮ってみましたが何かシックリ来ない。なんだかなぁ…と思いながらチラッと横を見るとそこに奴は鎮座していました。

まさに運命の出会いでした。

ファインダー越しの絵も液晶パネル越しの絵もこれこそまさに脳の中を銃弾が突き抜けるような衝撃的な感動。Fujifilmってなんだかダサいよね、と食わず嫌いしていたことを猛烈に反省。言われてみればフィルムカメラ時代は皆さん相当お世話になった筈だし、フィルムメーカーが作るカメラなんて良いに決まってる筈なのに、きっと「富士フィルム」というレトロな名前がこのただれきった大脳皮質に「ダッセェからやめたほうがいい」と暗示をかけていたのでしょう。そんな呪縛を断ち切ってすっかりこのカメラに魅せられ、それからというもの寝ても覚めてもあらん限りのリサーチをし呪文のように「X100F」と唱え続け、昨日のパーソナル中もずっと「これが終わったらカメラ買いに行く!」と呟いて頑張っていたらトレーナーの失笑を買いました。

新宿の中古カメラ販売店にいそいそと向かい、親切な店員さんと相談して比較的状態の良いものを選んで頂き、晴れてこの子を我が家に迎えることと相成りました。
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あまりにも可愛くて寝るときも枕元に置いていたほど。そして、今日の長距離移動dayには勿論お供。普段見慣れた景色がファインダー越しだと全く違う表情を見せてくれることに新鮮な驚きの連発。シャッター音が異様に小さいのでアングルに依っては盗撮疑惑を掛けられても仕方がない撮り方をしてみたり。

撮った写真はどこかで見たようなオシャレ写真の完璧な真似ですし、画角も甘すぎたり攻めすぎたり、ピントも残念なものばかりですが、それでもこれだけの力を感じられるは写真が撮れることは本当に素晴らしい。

富士フィルムさん、今まで邪険にしていてごめんなさい。これからは大好きになります。
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# by reijiro_kaneko | 2019-08-09 16:02

着地点

着地点を明確に脳内に描かずにどうも手持ち無沙汰に耐えられないので書き始めてみたらやはり上手く行く筈もなく行方不明のまま無理矢理どこかに着地させる、ということがよくありまして物書きのプロからしてみたらこれは邪道極まりないから是非即刻辞めろ!とお叱りを受けそうだなと思いつつも、別にプロの物書きでもないからこんなダメなボクちゃんを大目に見てね❤️と自己愛というシェルターの中に投げ込むのが日課となっている金子です。

この「着地点不明で書き出す」癖をなんとかなんねぇかなぁと憂いつつ、ロクでもない文章ではあるけれどトリッキーに結論に落ち着ける妙技をほんの少し誇りに思いつつ、でもやっぱりこれはアカンよなぁと自戒しつつなんて面倒臭い反芻をしていたらまたしても糸井先生の言葉が降臨されました。

彼でさぇそんなことがあるんだ!ならばこんな私でも生きてて良いんだ!勇気を有難う!

と、一瞬ヌカ喜びした自分に反吐が出ました。

文章力もさることながらマルチな才能をお持ちの方がそう仰るのと、鼻クソみたいな僕が言うのでは雲泥の差。

しかし、どうして、人間て「ほら、僕ってこんなにドジでマヌケなんですよ。でも頑張って生きていればなんとかなったりするもんなんです。」なんてアピールをされると「そうかそうか、あんなに凄い人でもそうなんだ。じゃあ自分なんてほんとちっぽけだけど毎日ウンザリすることばかりだけど、頑張って生きてればきっといつか救われることもあるんだ!」と都合良く解釈してホッと安堵してしまう生き物なんでしょうか…獣だったら昆虫だったら魚だったらそんな呑気なこと言ってたら天敵にガブッとやられてしまうか、飢え死にしてしまうのがオチ。

なんて言ってますが、「着地点不明で書き出してもなんとかなっちゃう僕ってドジだけどちょっぴり策士っぽくて可愛くないですかぁ?」アピールをしてる自分はほんとに一度死ねばいいのに、と思うぐらい嫌気がさします。

では恒例の糸井氏の珠玉のエッセイをどうぞ。

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・書きはじめてはみたものの、書いている話が、どういう展開になるのか、どう着地するのか、まったくわからないことがあります。「そんなの信じられない!」という人もいるでしょうが、ぼくにはあるのです、そんな例をこれからお見せします。

さて、マンガ家になりたいと思ったぼくでしたが、さしたる努力もせず、はじめの一歩も踏み出さず、ただうやむやのうちに、マンガ家はあきらめたのでした。で、ふと、いまさら思ったのです。ぼくがもっと努力をして、研究したり修業したりして、相当の力量を身につけてマンガ家になったとしたら、水木しげる先生だとか浦沢直樹先生だとか、吉田戦車先生だとか和田ラヂヲ先生だとかと、「しょうばいがたき」になっていたということだぞ、と。いやいや、そんな方々と競争できるとしたら、それはもうオリンピックに出るようなクラスの話だから、それよりはずっと低いレベルのところで、苦労したり自己満足したりしながら生きてたんだろうな。…危なかったぜ! ほんとうのじぶんより40倍くらい才能があったり努力ができたりしていたら、もっとずっとキビシイ人生を送っていたにちがいない。

野球なんて、もっともっと怖いよ。ぼくが、実際のじぶんより80万倍くらい才能があって、しかもまじめに練習もしていたら、もしかすると(!)プロ野球選手になっていたかもしれないじゃん。そしたら、ぼくがファンという立場でえらそうに「あいつがしっかりしないからどーのこーの」なんて言ってる、二軍と一軍の間くらいの選手に成長していたかもしれないわけですよ。もちろん実際の80万倍くらいうまくいったら、ですよ。最高にうまく行ってしまったら、大変だったですばい。小学校6年生くらいの早い時期に、野球の選手になる夢をあきらめてよかったですよ。

宇宙飛行士の夢も早めにあきらめてよかったし、言いにくいけどビートルズになることも、あきらめた。夢をあきらめ、努力もせずに生きてきてどうでしょうか。結論的に言えば、ほんとに助かったよ、でした。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。なるようになった、というのは、けっこう幸せかもなぁ…。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-09 11:19

ファンタジー

とかく若い時は身の回りに起こる些細なすれ違いや人間関係のもつれや社会体制に対する不満などをテーマに作品を創ってしまいがち。

かく言う僕も若い頃はそうでした。恋愛が上手く行かなくて(その当時は)世界の終わりかと思うぐらい切ない気持ちにどっぷりと浸り込んで、それをエネルギー源として作品(と呼べるような代物では無かったけれども当時は命がけで創り且つそんな自分に酔っていた)と向かい合っていた気がします。

頑丈な鍵が掛かって開かないドアを必死に叩いたり、身体中に絡みついてくる得体の知れない何かを振り解こうとしたり、誰かに突き飛ばされてもんどり打ちながら床に倒れたり。

ファンタジーは本当に便利な道具であり、それらの「見えない何か」は作品の重要なファクターでもあります。誰の目にも見えないからこそ、自分自身の意思で自由にどうにでも出来る。そして自分と似たような妄想を抱いている人達の共感を呼ぶことが出来る。

しかし、一方で、色んな物事がきちんと「見えている」人達からしてみれば、何故そんな風にもがき苦しむことを敢えて舞台上で見せる必要があるのか全く理解出来ないという事実が存在することを年齢を重ねていくうちに徐々に理解し始める。

現実社会はそんなにあなたを苛めぬいてばかりではないし、逆にその程度の辛い妄想レベルのものでは済まされない残虐な仕打ちが待ち受けている場合もある。

「話せば分かる」健全な人間関係を築いてゆきつつ、限界まで手を尽くしたにも関わらず無残に呆気なく壊れる人間関係も多々経験しつつ、計り知れない未曾有の大災害を幾つか乗り越えていくうちに、ピーターパンで在り続けるのは不可能だと思い知らされ、それでも執拗に抱き続けるファンタジーの質は以前のそれと比べるとガラリと変わっていく。

大人になってからのファンタジーは「実体験に基づいた実現可能ではあるが現時点では実現出来ておらず、近い将来その夢を実現させたい!」と願う所以のそれと、「幼少期に想像した太刀打ち不可能な得体の知れない何か」を想像して愉しむ、という大きく二種類の性質のものに落ち着くのではないかと考えています。

これらの憧れたり奇抜な発想を楽しんだりする思考があるからこそ作品を産み出す原動力が生まれ作品を成熟させる規範にもなり得るのです。

一人っ子で育ち各地を転々と引越しし自己完結と根無し草の極みで成長してきた僕のような人間にとって、こういう当たり前のことを自覚するに至るのには本当に長い時間がかかりました。理解したとは言うものの実践できていないことは山のようにあります。

そんな不完全な人間ではありますが、一つのことを諦めずにやり続けてきてそれなりの人生経験も積んだからこそ少しだけ説得力を伴って発言できることもあろうかと今回も描き始めた、という訳です。

糸井氏曰くの「ファンタジーは力ない者の糧であり、武器である」を読んだ時に、これまで稚拙なファンタジーの領域を抜け出せていない他者の作品に対して頭ごなしの否定をしてきた僕もハッと目が覚めた気がしました。

いいじゃないの、どんな作品を創ろうが、どんな風に踊ろうが、それに対して目くじら立てるなんてナンセンス。やれ、それは芸術じゃないだの、やれ、それは大人になりきれてないだの、批判する資格など自分には無い。
色んな作品を色んな人が生み出し色んな人が一生懸命踊ってその世界観を表現しようとしている、世の中が平和であり自由であるからこそそれが許される訳で、その自由を満喫して世に出てくるモノに対してそれはダメだあれはダメだと文句ばかりつけていたら、それこそ表現の自由を奪ってしまうことになってしまう。

だからもう僕は何も言わない、いえ、言うべきではないと決めました。

あ、でもね、個人的に相談して下さった場合は歯に衣着せず辛口批評させて頂きますので、遠慮なくお声掛けくださいね。

では、本日の「今日のダーリン」をどうぞ。

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・趣味としてということならば、ぼくはオカルトは大好きだったし、いまも、否定してなくしてしまおうとは思わない。正直に言って、20歳代のじぶんが考えていたことは、もっとずっとオカルト寄りだったと思う。空飛ぶ円盤(いまはUFOと言ってるみたいだけど)は、ない可能性もあるけれど、あると思いたかった。後にインチキだったと判明する空飛ぶ円盤の写真や、アメリカの空飛ぶ円盤に関する資料などが、ときどき、さまざまなかたちで発表されて、「あるかもしれない」という期待を煽るのを、なんとなく「いいな」という気持ちで見ていた。

オカルト的な情報を肯定することは、なんとなく「夢がある」という意味をも含んでいた。ネス湖の恐竜ネッシーも、ヒマラヤの雪男も、超能力者ユリゲラーも清田くんも、なんなら地底大陸も、さらにはブルース・リーの空手の強さまでも、「夢がある」ということで大好きだった。そこらへんのことを簡単に科学で否定する人については、「否定する証拠もないのに否定することが非科学的だ」とかいうロジック(?)で、わからず屋扱いしていた。いまのような情報過多の時代の人たちには、ずいぶんこどもっぽい成人だったと思われるだろうが、恥ずかしながら、言い返すことはできない。

それから半世紀も生きているうちに、いろんなものごとが少しずつわかってきて、ほんとうのこととそうでないことの区別が、多少なりともできるようになってきた。そして、いまさらあのころのじぶんについて思うのは、「オカルトとか、奇跡とか、精神主義的なことだとか、現実の体系の外側にあるものを信じないと、じぶんの無力さに耐えられなかったのかもなぁ」というようなことである。オカルトに象徴されるもののなかにこそ、「弱きボクラ」の「勝つ可能性」を見てたのだ。当時のじぶんに、教えてやれることがあるとしたら、「とにかく、もっとよく見ろ。」かなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ファンタジーは、力ないものの糧であり、武器なんだよね。

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# by reijiro_kaneko | 2019-08-05 18:25

在庫

糸井愛が止まらない金子です。

またしてもタイムリーな内容のエッセイを書いてくださいました。共感する部分がとても多かったので、僕なりにアンサーエッセイを書こうと思い立ちました。

いきなりまるで一見反対論?から述べたいと思います。

僕の場合、「在庫」という概念が欠如しています。つまり、「入荷」した瞬間に「販売」あるいは「消費」を始めてしまうので、常に「在庫不足」の状態なのです。

わかりやすく説明しますね。

ダンスに限って言うと、新しい音楽を仕入れたらすぐに使って振付してしまうし、新しいダンステクニックを教わったりYouTubeなどで観たりするとすぐに拝借して振付に盛り込んでしまうし、素晴らしいダンサーと出会うとすぐさま即戦力として起用してしまいます。

何年もかけてストックしていたり熟成させたりといったことは殆どしません。逆にそうやって機が熟すのを待ち知識を深め用意周到に準備して、というやり方が出来る人を本当に尊敬します。

そうなんです。すぐやらないと忘れちゃったり飽きちゃったりするんです。

洋服を買いに行って、買った側からその場で着替えて帰る、という性分でもありますから創作時にも同じ思考回路が自動的に適用されるみたいです。

だから正直、糸井さんの今日のエッセイを読んで「へ?」と当惑しました。世間てそんなに在庫過多なのか?と。

考えてみれば確かに世の中在庫過多。

最近、スーバーにうず高く積まれた惣菜を見ては、彼らの何%かが数時間後に廃棄処分される運命を待っているかと思うとやりきれない思いでその前を通り過ぎる、なんてことが多々あります。

余るなら作らなきゃいいのに…品揃えで消費者の目を楽しませるなんてサービス無くなればいいのに…廃棄処分されてしまう食材をもっと有益に使う方法を考えた方がいいのに…と。

Amazonで探し物をすると品切れであることは稀で早ければその日の夜に現物を手にすることが出来る。速すぎないか?流通…こんなニッチな商品まで在庫を揃えてるなんてどんだけ敷地が広くて在庫管理が徹底してるんだろう…ていうか無い物なんて無いんだろうな…

振付に煮詰まってヒントを得ようとYouTubeで検索かければアッと言う前に最適なお手本動画が一本どころか数本見つかる。こんなことされたら実際にお教室を訪ねてレッスンを受けなくともある程度は学べてしまうというインストラクターの生活を圧迫する事態になっているのではないだろうか…人の事は言えないがこうやってつまみ食いしてお手軽に作品を創る輩が増えてしまうと世に出てくる作品がどんどん軽薄になってしまうのではないか…

おっと、在庫の話からだいぶ脱線しました。

僕の場合は世間の生産・消費の構図からは少しケースが異なりますので比較対象としては相応しくないですし、生産→消費の過程でマーケティングとか消費者センターとかを中継せずにレスポンスを直に受け取れるので恵まれた環境だなぁと思います。

だからこそ、在庫は必要な分だけ蓄えれば良いし、その蓄えも即出荷出来てしまうサイクルの良さ。

もうちょっと苦労した方が良いのかなぁ・とたまに思います。在庫を増やしシステマティックに管理しタイムセールなども頻繁に行って「Amazonか?!金子か?!」と比べられるような商売をした方が良いのかなぁ、とね。

ま、やりませんけど。
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では、「今日のダーリン」の引用をお読みください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・何年か前から、ぼくは「在庫の時代」と言っている。

よく時代に名前をつけることってあるじゃない? 「女性の時代」とか……他に…思い出せないけど。いまは、ずうっと「在庫の時代」が続いていると思う。

辞書に載っている意味は「品物が倉庫などに置いてあること。また、その品物。」「一定期間での生産者、販売業者の材料、仕掛品、製品、商品の手持ち量。」ということなのだけれど、ここはぼくに超訳させていただく。「つくったけれど、つかわれるまでにならず、溜まったままでいるモノやコト」としよう。おおむねこれでまちがいではないと思う。

材料があって、つくる仕組みがあるなら、生産というのはいくらでもできる。とりあえず、缶に入った飲み物のことでも想像しよう。ほしい人がいて、つくっただけ買ってもらえたら、うまく循環していくのだけれど、売れなければ溜まる、つまり「在庫」になる。やがて売れるとわかっていれば、それでかまわないが、いつまでも売れない場合は、安売りにしたり廃棄する。このイメージが、あらゆる場面に当てはまると思うのだ。

たくさんの似たようなモノが生産されるのだけれど、どこにでもあるようなものは、そんなに要らない。ほしい側と、売る側とのつながりができなくなっている。だから、つくったものは「在庫」になって、「売るほどあります」という状態になる。

比喩的に考えれば、恋愛だって「在庫の時代」にある。エネルギーはあるのに、届かないまま「在庫」になる。就職にしても、企業の側から見ても学生の側から見ても、やる気やら知識やら技術やら、組織やら仕事場やらが、つながらないままに「在庫」として迷走している。あれはどうだこれはどうだろうと想像してみてください。生産はできるのに、消費までに届かず「在庫」になるという例はいくらでもあるはずです。あなたの情熱やら動機やらも、「在庫」化してない? 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。昔は「生産」がもっと難しかった、とも言えるんだけどね。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-02 15:12

再演?!

さて、度々お伝えしていますが、僕は昨年の11月11日をもちまして舞台出演という形でのダンサー人生からは引退しました。

次々に映像作品をリリースしたり、レッスンでは以前と変わらないどころか寧ろ以前より身体のキレも良くなりバンバンお手本を見せていたりする姿をご覧になっている方々はきっとピンと来ないことだらけでしょうね。

でも、紛れもなく僕は引退したのです。

嗚呼、それなのにまたしてもこんな動画を上げてしまいます。。。

ここ数年関わらせて頂いているstudio √isionsさんから、今年の3月の「Roots vol.2」に続いて年内二つめとなる企画に有り難い事にお声掛け頂き、また新たな作品を発表させて頂ける機会を頂戴しました。

これまで10分超えの作品を好き勝手に創らせて頂いてきましたが、今回は潔く5分足らずの小作品一本に賭けて冗長な語り口は避けることに決めました。「老害」と陰口を叩かれるのは本当に嫌ですのでね。

しかし、小作品だからと言ってショーケース形式の公演の中でひっそりと埋もれてしまうような無難な作品など僕が創るワケがありません。

ということで、今回は去年の引退パフォーマンス「四大元素」の終曲「気」をリニューアル再演することにしました。SNSでも宣伝していたのでご存知の方も多いと思いますが、公募という形を取りながら実際は厳しくオーディションしておりまして、何名か勇気を出して名乗り出て下さったのにお断りさせて頂くという本当に申し訳ない仕打ちをしてしまいました。

その方々の気持ちを無駄にしない為にも、陰ながら応援して下さっている皆さんの為にも、絶対に凄いものを創ります。

この「四大元素」のオリジナル・パートナーである島田真奈にお願いして、参考動画を本日撮ってきました。彼女に敬意を表する意味で初演時の映像を随所に盛り込み、且つ今の私達のありのままの姿での改訂版バージョンを織り交ぜて構成しています。
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皆さま、11/30,12/1は是非生の眼でこの再演にして新作「四大元素」をご覧ください!

# by reijiro_kaneko | 2019-07-31 23:45

その程度で…

いつも皆さんに苦言を呈している僕ではありますが、そんな僕を軽く否してくださる有難い存在がいます。

それが、このblogにも度々登場しているパーソナルトレーナーのN氏です。

彼にかかると「合格」なんて言葉は一切ありません。前回より少しマシになったかなぁ…と淡い望みを抱いてトレーニングに臨んでも些細な上達ぶり程度では褒めて貰えることなど皆無。稀に上達していたとしても何も言わず次の段階の課題をサラリと言い渡されます。

先日のトレーニング時にも一番言われたくない言葉を一度ならず二度三度と浴びせかけられました。

「その程度でダメになっちゃう身体の構造なわけですよ」

本当にショックで凹みます。

具体的に説明しますと、僕の胸部から腰部にかけての背骨のコンディションは硬かったり動きに癖があったりして幾らトレーニングで矯正してもウッカリ気を抜いたり無理な動きをした後では元々のダメな状態にいとも簡単に戻ってしまうのです。トレーニングを始めた頃に頻繁に指摘され続け悔しい思いから頑張って直した成果が実り最近はあまりこの言葉は聞いていなかったのですが、先日のトレーニングで久しぶりに連呼されガラスの心臓は粉々に。

ま、跡形もなく木っ端微塵にされたので、甘ったるい未練など残るはずもありません。生まれ変わった気持ちでまた明日から邁進するのみです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-28 20:50

メリハリ

ずっと僕のこの拙いblogを読んでくださっていたり、長らくレッスンに通って下さっている皆さんにとってはお馴染みの話題ですが、定期的にこの話をしておかないと「人間都合の悪いことは忘れる」習性がありますので、またしつこくお話しておこうと思います。

ええとですね、僕のダンスのスタイルを一言で表現するならば「メリハリ」で済みます。

そうは言ったものの「メリハリ」の本当の意味や語源が気になったので調べてみました。

「メリハリ」は、邦楽用語である「メリカリ」が転じた言葉です。
「メリカリ」とは、 微調整して音を低めることを「減り(めり)」、高めることを「上り・甲(かり)」と呼んでいた邦楽用語で、現代では、主に尺八などの管楽器で使われています。「減り(めり)」は「減り込む」など、一般的にも使われていた言葉ですが、「上り・甲(かり)」は邦楽以外で使われることがなかったため、一般的には代わりに「張り」を使って「減り張り(めりはり)」と言うようになり、「音声を緩るめることと張り上げること」を意味するようになったそうです。
その後、音の高低以外にも「メリハリの利いた話し方」「仕事にメリハリをつける」など、比喩的に用いられるようになりました。

なんですって。「メルカリ」もまさかそんな意味で名付けた名前なのかしら?それは置いといて…

意味は間違って使ってはいませんでしたので安堵しました。

さて、本題へ戻りましょう。

「メリハリの効いた踊り」と言われてもピンと来ない方のために例を交えて説明しますね。

宝塚の男役のダンスはどうでしょう?ビシッとして凛として決してナヨナヨせず四肢を常にピンと張って踊り続ける姿に虜になる女性の皆さんは多いでしょう。

一方で、ベリーダンスはどうでしょう?おなかを中心に絶えず悩ましくうねり続けるスタイルはとてもエロティックで世の男性の大好物であったりしますよね。

両極端の二種類のダンスを例にあげましたが、それぞれを極めることよりも二つを融合してみたら面白くねぇか?というのが僕の発想なのです。

ずーっとカチカチ動いているだけではなく、カチカチの中に急にうねる動きが入ってきたり、かと思えばそのムーブメントが意外なタイミングで一時停止し硬い動きに変わる。そういう予測不可能な動きをこれまた抑揚豊かな曲に合わせてみたらどうなるか?と面白がってしまう。

1・2・3・4と単調なカウントで単調な動きを繰り返していることがこの上なく楽しい、と感じる方にとっては単なるストレスでしかない僕のスタイルですから、これは世の中のスタンダードとして認められるようなものでは決してありません。

白米中心の日本で「私はクスクスしか食べません」と言ってるようなものです。

誰にでも分かるお米ではなく、敢えてクスクスを選んでクスクス親善大使を買って出ているわけですから、そりゃあメジャーになるわけなんかないですよ。

だから、「メリハリの効いたダンスをしましょう!」と幾ら叫んでもずーっと白米しか食べていない「私の体は100%白米で出来ています」という人にとっては、クスクスを食べることなど言語道断、問答無用、不届き千万非国民、なわけですよ。

ごく稀に重度の便秘に悩む方がクスクスの食物繊維のお陰で翌朝ドッサリ、そしてクスクスに少しだけ感謝、なんていうケースがあり1ヶ月に一回程度クスクスを食べるようになる奇跡が起こることがありますが、大抵は米派は米派、パン派はパン派と一途な方が大半なのです。

なので、「メリハリの効いたダンスをしましょう!」と叫びつつも、皆さんが賛同して下さり貪欲にメリハリされることは基本的に諦めています。

もう夢で胸がはち切れそうな年齢はとうに過ぎました。世の中がこうなったらいいなぁとキラキラした目で熱く語り合うモラトリアムにまだ浸ってたらそれこそ気持ち悪い大人じゃないですか。

だからもう「メリハリの効いたダンスはこんなに素敵なんですよー!当店通常価格¥44,000が今ならタイムセール価格¥12,800!」なんて言いません。

「メリ」が苦手な方にはそれなりの筋トレを、「ハリ」が苦手な方にもそれなりの筋トレを黙って課するのみ。

頭で考えて分からない皆さんには身体で教えます。

どうですか?この体育会系システム。これを読んで大笑いしつつ、「そっか、ウダウダ考えても無駄なんだから立ち上がれなくなるくらい筋トレすれば身体が分かるのか!それは楽しみだぞ!」とヤル気になって下さる皆さんが3人ぐらいいたら僕は幸せです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-26 16:50

シェエラザード

ちょっと訳あってクラシックを最近よく聴いています。それもシェエラザードを特に。

シェヘラザード 、シェエラザード、どう発音するのが正式なのか分かりませんが、日本では「千夜一夜物語」という名前で余りにも有名なお話ですよね。

シェエラザードには深い思い入れがありまして、中学生時代吹奏楽にのめり込んでいた頃、全日本吹奏楽コンクールの強豪校は必ずと言って良いほどこのシェエラザードの第四楽章を完璧な演奏で金賞を勝ち取っていました。田舎の弱小吹奏楽部では到底太刀打ち出来ず専ら過去の優秀校の模範演奏が収められたレコードを音楽室で大興奮で何度も聴いては皆で「この曲演奏出来たらいいねぇ」と目をキラキラさせながら夢見ておりました。

あれから40年、すっかり大人、いやおじさんになったこの耳にもフルオーケストラ版のシェエラザードはあの時と同じ興奮と感動を持って心地良く響いてくれます。そしてこんなにカッコいい曲だったのか、と新たな感動をもたらしてくれます。

では果たして指揮者とオーケストラが変わったらどんな違いになるのか?気になり始めたらすぐさま行動。名盤と評価の高い三枚のCDを取り寄せ聴き比べてみました。
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驚きました。同じ曲とは思えないほど全く違うのです。

よく「作曲家と同じ国の指揮者やオーケストラ版が一番忠実に演奏するのでその曲が生きる」と言われますが、本当にその通りでアメリカは無駄に派手だしドイツは重苦しいしフランスは自分勝手だし日本はお行儀が良い。「シェエラザード」はリムスキーコルサコフが作曲者なのでそりゃあ旧ソ連邦出身の指揮者が振ってるものが間違いないだろう、と考えてコンドラシン、ロストロポーヴィチ、ゲルギエフのお三方の演奏を聴き比べると、同じ旧ソ連邦でもそれぞれ生まれ育った地域の違いもありコンドラシンは格調高く、ロストロポーヴィチは曲芸、ゲルギエフに至っては暴れん坊。

僕は個人的にゲルギエフの「成敗!」と斬り捨てながら幼子には相好を崩し良いお父さんと化す暴れん坊将軍のような切れ味も人情もある演奏が琴線に触れます。

映像で演奏を観ると、更にその違いが一層際立ちます。あくまでも主役はオーケストラですよと影の立役者に徹するマエストロもいれば、これでもかと髪を振り乱して振りまくる指揮者もいます。面白いのは、指揮者のパフォーマンスと音の鳴り方が一致するとは限らない、ということ。どんなに髪を振り乱して指揮をしていても聴こえてくる音はとても端正だったりもしますし、とても静かに流れるように指揮しているのにオーケストラは嵐の海のようにうねりまくる場合もあります。

参考例としてお見せするゲルギエフがウィーンフィルを振ったシェエラザードは、指揮者も凄いけれどそれに応えるオーケストラもこれまた凄まじく、両者一騎打ちの結果ゲルギエフの身体から音が洪水のごとく溢れてくるように見えます。

今日はそんなわけでダンスとは一見無縁に感じる話題でしたが、あながち無縁でも無いのです。こういうことを面白いと感じて下さった方は自ずとダンスにもその意識が還元されるでしょう。動いてナンボ、ではなくて、観ている人の心を打つダンスがしたい!と思っている方に何かしらの引っ掛かりを提供出来たとすれば幸いです。

# by reijiro_kaneko | 2019-07-26 15:21

三つ子の魂

久しぶりのクリエイション期間に入り、昔取った杵柄的には物事が上手く進まないことに戸惑いつつも試行錯誤を繰り返しながら出演者の皆さんが納得して前に進んで下さることだけを励みに毎日生きております。

「これだけ言ったら伝わるだろう」なんて甘い考えは通用しません。「これだけ言っても絶対100%なんて伝わるはずがない」が基本にあるからこそあの手この手を使って皆さんの士気を上げることに必死です。

ええ、完全に無給残業です。

でもいいんです。

こんなにも学び多き機会に携われるのですから。

意外と強かな性格でありますもので、右も左も分からない方々を手取り足取り導いてそれなりの上達ぶりへと誘うことに全身全霊で取り組んでいるように見せかけて、実は自分自身の引き出しを増やすことに没頭しております。

「ダンス界で常識なこれをそのまま言ったら伝わらなかった。じゃあどうしようか?日常生活の何かに例えてみたらどうだろう?あ、通じた!じゃあこの路線でこのまま行こう」

とか。

「割と色々な事を知ってて身体もそれなりに動ける人に専門的なダンス用語で語りかけてみたら意外と通じない。じゃあやはり例え話にしてみよう。あら、どうしよう余計通じなくなっちゃった。うーん、困ったなぁ。嫌だけど考える余地を与えないスパルタな抑えつけにしてみようか。わぁ、物凄い反応が出た。ではこの人にはこれを徹底してみよう」

とか。

「そもそも形をなぞってカウントも正確に動いてそこで満足してしまってる人にそこから先があるんだよーということを伝えるにはどうしたら良いか?これも嫌だけど思いっきりけなしてみようか…あぁ、やっぱりdisられると何かしらの表現の芽は出るなぁ。でもそれって抑圧された上での無理やりな表現だよね。そんなんじゃ僕の目指してるダンス観とは相容れないんだよなぁ。じゃあここは僕がピエロを演じてみんなが楽しい気分になることで心の箍が外れてポジティブな感情が表に出るように誘導するしかないか…」

とか。

先生然として、こうすれば絶対上手くなるから信じてやれ!という在り方は全くもって実践出来ていません。寧ろ、その逆でとても嫌なことばかり自分に強いています。でも、それを乗り越えると以前よりも視界が開けているのです。

まさか、小学校の時に担任の先生から言われた「嫌なことを後回しにせず、そこから片付けていきなさい」の教えがこの歳になって身に沁みて理解出来、実践出来るようになるとは。

三つ子の魂百まで、なんですねぇ。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-25 18:57

課題曲変更のお知らせ

はい、ゴキブリ金子です笑

ええと、またしても悪い癖が出ました。始まったばかりだというのに曲を変更いたしました。
Madonna先生の新境地で是非皆さんに踊って頂きたかったのですが、意外とあれは難しかった…という判断を早々に下し、以前は大嫌いだったSam Smith先生の新曲に変更しました。テンポはこちらの方が少し速くて大変なんですけど、皆さんの「心」がMadonnaで踊るよりだいぶフンワリとするであろうことは予想できるので思い切って変えることにしました。

本日、久喜店にて試してみたところ、ワアワアキャアキャアなりながらも皆さん楽しそうでしたのでホッと安堵。

このSam Smithの新曲ですが、なんとあのドンくさいSamさんが初めてダンスに挑戦していらっしゃるのです。そして、これまで泣きのバラードを売りにしていたSamさんが楽〜にポップに歌っています。

Samさんもそうやって頑張っているのです。

皆さんも一緒に頑張りましょう!
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-22 19:56

少し呟かせてください。

参院選が終わりました。投票率は全有権者の半数を超える方々が何らかの理由があって投票しなかった、という結果に終わりました。病気や事故やのっぴきならない事情があって投票出来なかった方々は仕方がないですが、自らの意志で投票しなかった方々は今後一切国政に対して文句は言わない、という決意の元での投票棄権でしょうからとても立派な在り方だと尊敬します。

さて、焦点となっていた改憲に必要な与党及びそこに賛同する勢力が必要としている三分の二の議席は表面的には満たず、これから安倍政権は必死に水面下で手回しに勤しむことでしょう。

一方で台風の目となりそうな新しい立ち位置の方々が何名も当選しています。中でも重度の障害を抱えた立候補者を国会に送り込んだ山本太郎氏の健闘ぶりには頭が下がります。ご本人は惜しくも枠から漏れてしまわれましたが、きっと今後は当選した2名の議員をサポートすることに身を削られることと思います。

今回の選挙を通じて僕なりにひしひしと感じていたことがあります。

それは、若い世代ほど投票率が下がることを嘆くだけでなく、自分は投票したぞ偉いだろ!と胸を張るだけでなく、どんな世代の人達からも一目置かれる生き方を貫き「あの人が言ってるんだから投票しなきゃダメだよな…」と周りを巻き込める中年が果たして多く存在するのか?ということ。

データを調べて愕然としました。40・50代の投票率は60数パーセント。10人のうち3人は確実に投票棄権。今の20代の親世代がそんなんだから子供だって別に投票しなくたってオレ達生きてられるし、と考えてしまうのはごくごく自然な成り行きです。

僕の周りの20代の若者達は積極的に選挙に参加しています。きっと育ってきた家庭や学校や現在の環境が良かったのでしょうね。そんな彼等を見ていると、「今の若いもんは投票もしないし、自分のことしか考えてないし、全くけしからん!」なんて愚痴を言えるはずもないのです。

けしからんのは寧ろ大人の方。例のY本騒動の関しても次々に悪者を吊るし上げて短絡的に成敗をするマスコミ然り、ラッシュ時のホームで杖をついているお年寄りや障害者の方にぶつかるまでスマホから目を上げない大人の皆さん然り、なんにも出来ないくせに些細極まりない事でクレームを言い続ける中年熟年然り。

そんなんじゃお手本になんかなれるはずないじゃないですか。

かく言う僕自身はどうなのか?と考えたら全く大したことは無いのです。会社勤めが肌に合わずこんな歳になってまでチャラチャラとダンスなんぞを生業としている、それこそ世の中から一番最初に排除されるべきくだらない存在です。

でも、そんなゴキブリのような立ち位置だからこそ冷静に見える景色というものが確かにありまして、地面に這いつくばって見上げるゴキブリ目線から見ると世の中で当たり前と信じられているものが滑稽で脆弱に見えることがよくあるのです。だから金切り声を上げて僕を追い回すご婦人達にたまに逃げるのをやめて「ちょっと話を聞いて貰えませんか?」とお願いをすることがあるんですが、殺傷に必要以上の大量なゴキジェットを噴射されて息絶えるのがオチです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-22 11:34

シンクロニシティ

またしても糸井氏とシンクロニシティが起こり、嬉し恥ずかししている金子です。

このところ、周りの皆さんの士気が高まっているせいもあるのか、「こんなにも出来ていなかったことに愕然としました。でも落ち込んでる暇はありませんよね。やると決めたからには四の五の言ってないで死ぬ気で頑張ります!」という言葉を異口同音に拝聴しています。

毎回動画を撮られて間髪入れず見せられて米粒に字を書く職人レベルでの細かいtutorial動画も見せられて、それでも気付けなかったらきっとその方は1ステージ¥1,000,000超えのギャラのプロダンサーなんだと思います。そんな方がスポーツクラブの僕のようなしがないインストラクターのクラスに来て下さって本当に光栄極まりない思いです。

なんて嫌味はまず口にしなくて良いほどほぼ全員が撃沈してくださっています。そういう素直で真摯で客観的な目を持っている方々に囲まれて僕は幸せです。

そんな皆さんに僕は恩返しをしたいのです。

日々のレッスンの中で毎回何かしら気付きがあったり、発表会に出演する方々は本番当日にこの上なく楽しく充実した時間を過ごせたり、ダンスが上手になることも勿論大切ですがそれよりもまず毎日の生活にハリが出たり身体の調子が整ったりという変化が出るように、僕なりに全身全霊で取り組もうと考えています。

そして、その「変化」という一つのゴールに辿り着くための手段は多種多様あれど、金子礼二郎という選択肢を手段として選んで下さった皆さんが選んだことを後悔されないよう、あざとい計算や偏った常識の押し付けなどで皆さんを「低脳の烏合の衆」に貶めないように多少泥臭いやり方になろうとも誠心誠意をもって手を尽くそう、と思うのです。

そりゃあねぇ、物凄く高いレベルから見てダンスが桁外れに上達して下さったりしたらこちらも嬉しくない訳がありません。でもね、専制君主に徹してパッと見とても上手に見えるハリボテダンサーを育てられたとしても全く嬉しくないのです。

同じことを何度も繰り返し表現を変えて申し上げておりますが、これで最後にしますね。

折角自主的に気付いてご自分の至らなさをまざまざと実感しそれでも頑張ろうとしている皆さんに向かって、更なる平手打ちを罵声と共に喰らわせることなどしようものならそれこそ恐怖で自由を縛るDVや独裁国家になってしまいます。

僕はそんなことはしません。

でもね、非常に良く斬れる高性能のカッターで気付かれないようにスッと傷を付けるという秘技は割と頻繁に活用しています。

ええ、大抵の人は気付かないんです、その傷に。血が出ませんからね。

しかし、今までにない動き方をしたり僕から伝えられたイメージを忠実に再現しようとしたりした瞬間に皮膚が引っ張られて傷が露出しジワ〜と出血します。その血を見て初めて、「ああ、こういうことだったのか…」と理解できるのです。

大丈夫です、大量出血して失血死しないように程度は弁えていますから。ご安心ください。

そんなことを書いてたら今日の糸井氏のエッセイはこんな内容でした。ふんわりとした在り方を装っていらっしゃいますが、中身は策士にして狡猾。おまけにユーモアのセンスも持ち合わせていらっしゃる。

「あいつ、いなければいいのに!」の一文にはしてやられました。

あ、ちなみに彼のエッセイは過去に遡ってバックナンバーを読むことは出来ません。一日も休まず書いているのに毎日消えていってしまうというなんとも潔い掲載の仕方をとっています。

(以下引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
・「あなたがするようには、わたしはしない。」ということがある。行きたい先は同じだとしても、あなたのような方法では、行かない。ということがいくらでもあるのだ。

「わたしがするようには、あなたはしない。」ということだってある。やりたいことが同じだとしても、わたしのような方法では、あなたはしない。そういうことは、おおいにある。

行き方、やり方、というのは、目的と同じようにとても大事なことだと思う。ぼくの好きではないやり方について、例を書き記せば、もっとうまく伝えられるのだろうが、なかなかそういう気になれない。「目的のためには手段は選ばなくていいのか?」若いときにも、そういう言い争いをしたことがあるし、年を重ねてからも、それを考えたことが何度もある。

目的と手段のこと、いまごろになって、こう言ってもいいのではないかと思うようになった。「手段は目的に含まれている」よ、と。

たとえば、崇高な目的のために汚い手段を使うとしたら、その目的は崇高でもなんでもなく、汚いのではないか。たくさんの嘘をついて、相手の「悪」を倒すという人は、倒した後にも、だれにでも嘘をつき続けるのではないか。きっと、そうは言いきれない場合もあるのだろう。見方によっては、やむえない例外もあるのだろう。そう思う人がいるかぎり、そう言わざるを得ない。きっと歴史は、そうやって繰り返されてきたのだから。でもね、ぼくは「手段は目的に含まれている」と、そう思ってこの先も生きることにする。

「あなたがするようには、わたしはしない。」ということは、実はけっこうたくさんあると思うのだ。だってね、ちがうんだもの、あなたとわたしはね。同じでないあなたとわたしが、共にいられますように。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。あいつ、いなければいいのにと思うことも、ありますとも! 
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-19 16:03

佐原旅行

今年も両親を連れての家族旅行を決行出来ました。彼らが元気でいてくれること、それだけが心の支えです。

秋のグループ展に向けてそろそろ出展する絵が出揃ってなくてはいけないのにも関わらず、日々シルバーサークルのカラオケに没頭し絵には手付かず状態の父に業を煮やして絵筆を持ったことのない母が父を発奮させるために描き始めたのは良いのですが、あろうことか父よりも才能があった事実に父は更に意気消沈。

そんな父に頑張って欲しくて、全国に点在する「小江戸」と呼ばれる町の中から「佐原」という町を選び、無理やり連れて行って肉眼で町並みを見て貰えば彼のヤル気も充電されるだろう、と企んでの今回の旅行と相成りました。

当日までは暇さえあれば天気予報をチェックし、なんとか当日大雨だけは避けてもらえるように祈り続けました。そんな息子の必死の想いとは裏腹に両親は「あなたが行くとこは絶対晴れるから大丈夫!」と根拠の無い楽天ぶり。結果、快晴とはならなかったけれども薄日が差すぐらい晴れたので面目躍如。お陰様で父の絵心をくすぐる写真が沢山撮れました。

とは言え、せっかく一眼レフを持参したのにボケ味をフルに発揮して撮ったこんな写真には見向きもしないという惨敗ぶり。。。
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そこは百歩譲って父好みのベターっとした面白味のない風景写真もしっかりと撮りました。それこそがこの旅のメインの目的でしたので。
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泊めて頂いた旅館を特に母がいたく気に入り、チェックアウトの際にはフロントの方に「またすぐに来たいわ」と満面の笑みで申しておりました。普段そんなこと全くしないのにお揃いTシャツまで買って「さあ、皆んなで着ましょう!」と言い出すほど上機嫌だったのです。そしてこんな写真を撮る羽目になりました。
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最初は気恥ずかしかったけど、なんだか意外と三人とも似合ってるしイイ感じ。

でも来年はお揃いTシャツは勘弁してほしいものです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-19 11:03

√isions Showcase vol.4 出演者募集

Studio √isions 主催 11/30〜12/1 √isions Showcase vol.4 @蕨市コンクレホール に去年に引き続き今年も作品を提供させて頂けることになりました。

当初別の曲で新境地を開こうと目論んでいたのですが、完全に気分が変わりまして、というよりトレーニングの成果で本当に身体が生まれ変わり引退する前よりも段違いに使える身体になってしまったのでこの身体で僕本来の大事にしてきたムーブメントを紡いでみたらどうなるだろう?という確認をしたいという気持ちがムクムクと持ち上がり原点に戻ることにしました。

使用曲はOlafur Arnaldsの「Ekki Hugsa」となります。

タイトルに聞き覚えの無い方も昨年の僕の引退パフォーマンスで使用した四曲のうちの終曲、と聞けば思い出して下さる方も少数いらっしゃるかと。

上演時はパートナーを務めてくれた島田真奈とのデュオでしたが、今回これを群舞編成に改訂し再演してみることにしました。

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初演時の動画を添付しますが、これでは群舞になった時のイメージが湧きにくい…とお感じになる方も多いと思うので、借り物ではありますがCosというアパレルブランドのインスタレーション動画を貼っておきます。

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出演ご希望の方は7/26(金)が締め切りとなりますのでお早めにお申し込みください。

沢山の皆様のご参加、お待ちしております。

# by reijiro_kaneko | 2019-07-18 21:38

初試合

敬愛する糸井さんが村田諒太選手の事を2日続けて書かれていたので、ボクシングなんてまるで興味はなかったけれど、どれどれそんなに感動するなら観てみようと思ってYouTubeを開きました。


迂闊にも落涙しました。

9ヶ月前、王座から引きずり下ろされ、メディアにも辛辣な批評をされ、辛酸を舐めたにも関わらず見事にリベンジ。

カッコいいとか天晴れとかそういう感想は出て来ません。負けた事で自分を恥じ、天狗になっていた己に気付き、そこからはもうなりふり構わず肉体と技術と精神を磨き、今回の圧巻の勝利。彼はきっと当然の事を当たり前に頑張った、そんな気持ちしか抱いていないと思います。翼をもがれた堕天使はもう一度立派な翼を得るために善い行いを積んだ、ただそれだけのことなのです。

今まさにこれと同じような境遇に面している皆さんがいらっしゃいます。

これまで平和に楽しくフィットネスクラブでのダンスライフを過ごしてきたのに、あまりにも酷い現実を突きつけられ落胆しつつも頑張るしかな、と打ちのめされてボロボロの身体でユラ〜と立ち上がっていく皆さんを全力でサポートしよう!と昨晩僕は決心しました。

大丈夫です。皆さんは村田選手とは違って一度チャンピオンの座に君臨なんかしていません。試合すら経験していなかったアマチュアボクサーだったのです。ですから、落胆するも何もまずは初試合をしてみないことには始まらないのです。だから、落胆している暇があったら今まで見ているつもりだった鏡を必死に見て、今まで見ているつもりだった鏡の中のご自分が本当のご自分では無かったことに気付いて、これからは「鏡の中の本当のご自分」と向き合ってひたすら上手になりたい!と願ってください。僕はセコンドとしてリングの外から喉から血を吐きながら応援しますから!
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-14 09:39

耳なし芳一

唐突ですが、皆さんは絵を描かれたことはありますか?

ちょっと思い出せないぐらい昔のことかもしれませんけど、どんなに現在絵画と関係のない生活を送っている方でも少なくとも一度ぐらいは経験がおありなのではないでしょうか。

絵を描く時によほどの天才かぶっ飛んでいる人でないかぎりデッサンというものをしますよね。鉛筆などで対象物の輪郭を描く下書きがまず有ってその後に絵の具を塗るという段階があるはずです。

ダンスに於いてもそれは全く同じ。

「それではレッスンを始めましょう!」とインストラクターの素敵な笑顔と共にクラスが始まり、最初は柔軟や筋トレやリズム取りを織り交ぜたエクササイズを十分に行った後にようやく振付に入る。

絵に例えるとエクササイズや振付作業は下書き、実際に踊ることが色を塗り重ねることと同等となります。

しかし、これだけでは不十分なのです。

色を塗り重ねる作業が無限大に拡がっているのと同様、踊ることも解釈や手法は際限なく続いています。気付いてしまった人はその広大な景色に直面し愕然とし試行錯誤を繰り返しながら見えている景色の一部になろうともがき苦しむこととなるでしょう。

でもね、こんな武者修行を皆さんに正義と信じ込ませて頑張らせるほど僕は鬼畜ではありません。もうちょっと誰でも簡単に出来ることをお伝えしなかったら100人に一人の無謀な武者修行チャレンジャーを輩出することは叶わぬ夢。

ということで、本題へ。

下書きが大切、とは言いますが、下書きを上手に行うために必要な前段階が存在します。

それは。

キャンバスを選ぶ。
書く道具を選ぶ。

ダンスに変換して分かりやすく説明しますね。

レッスン前に皆さんは何をされていますか?

レッスンを受けるために数日前から体調を万全に整え、動きを阻害しない着心地の良いウェアを選び、稽古場に入るまでの道のりで事故に合わないよう細心の注意を払い、いざ着替えてレッスンスタジオに入る。

これは皆さんが特に意識をしなくても自然とされていることだと思います。

さて、それでは何がキャンバスで何が書く道具なのでしょうか?

キャンバスは身体、道具は身体をどう整えるか?どう動かすか?どんな目標を持ってレッスンに臨むか?などなどを考えるということ、だと僕は考えています。

よほどのひねくれ者かお馬鹿ちゃんでない限り、まさか直前までポテトチップスを何袋も一気喰いしてレッスンに参加する人はいないと思いますし、インフルエンザなのに片道2時間かけてレッスンに来るなんて方はいないと思います。

たまに、「調子悪いんですけど参加していいですか?」と聞いてくる方がいらして、そういう方の殆どがレッスンに出ると不調が改善するということを身体で理解しているので僕も止めないようにしています。

それ以外の多くの皆さんは元気だからこそレッスンにいらっしゃるのだと思います。それは本当に素晴らしいことだし、せっかく諸々の予定を繰り合わせて参加してくださる皆さんがもっともっと元気になってお帰り頂けるようこちらも最善を尽くそうとヤル気満々になります。

元気なお顔を見せてくださる、ということはキャンバスの用意は万全だと理解し、さて次はどんな道具でデッサンをするのかの段階です。

サラリと2Hの鉛筆でデッサンをする方もいれば、あぶり出し用の線画をミカン汁をたっぷり付けた筆でうっすら書く方や、ゴリゴリと木炭で荒々しく書く方もいます。

これに関してもそれぞれの体調やペースや嗜好がありますので、「これをしなきゃダメだ!」と一喝することは不可能。

どんな道具でどんな書き方をしても良いのです。

絵の具を塗るための準備が整ってさえいれば。

常日頃、ご家族のために寝る間を惜しんで尽くして頑張っていらっしゃる方に「もっともっとそれ以上頑張れ!」などとは口が裂けても言えません。家族から解放されてホッと一息つくためにレッスンにいらしたのに何故そこでまたご自身の身体を酷使しなければいけないのでしょう。どうぞごゆるりと開始時間をお待ちになりご友人と歓談なさってください。

忘れっぽい方がクラスが始まる直前までYouTubeで色んな動画を観ている光景もよく目にします。それもとても良い習慣だと思います。まずは絶えず良い物を観て上手に踊るイメージをご自身の身体に刷り込む、これは本当に素晴らしい下書きになります。

ある程度真剣にダンスに取り組んでこられて幾多の怪我をされている方がレッスン前に入念にストレッチや筋トレをされている姿も多く目にするようになりました。当たり前過ぎて褒める気にもなりません。ご自分の身体を再度痛めないためなのですもの、これはもうほんと当然の義務です。

幾つかの例を並べましたが、とにかくどんな準備の仕方でも良いと思います。ただし、それを「これが私のベストな準備だ!」と自信を持って公言出来るのであれば。

では、何がダメな下書きなのでしょうか?

それはタイトルにもなっている「耳なし芳一」です。

耳以外にビッシリと隙間なくお経を書いた芳一は平家の怨霊に耳を捥がれてしまいます。

念には念を入れて全身お経を書いたつもりだったのにうっかりして耳には書き忘れてしまった、それが災いとなって耳を捥がれてしまう、それと同じ事がよく起こります。

沢山舞台を鑑賞しレッスンにも足繁く真面目に通い整体も定期的にお世話になり暇さえあれば解剖学の本を読んでいる、そんな方が先生の口からふと放たれた聞き覚えの無い言葉や観たことのない動きに戸惑ってしまい、頭も身体も融通が利かずに手も足も出なくなる。

そんな事態に陥るぐらいなら、レッスンが始まる直前までお友達と近所に新しくオープンしたスウィーツのお店の噂話をしていた方が良いかもしれません。

「この動きはバルーンドフルュイのようにやりましょう!」なんて急に先生が仰るかもしれませんからね。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-12 15:55

マッスルアップ

はい、昨日もパーソナルトレーニングの日でした。

与えられていた課題の上達を認めて頂いた一方で、まるで歯が立たないとはこのことか…と落胆する新たな課題を言い渡されました。

それがこちら。
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「え?ちょっと待って、こんなの簡単じゃない?」と思われる方のほうが多いのではないでしょうか。

低い鉄棒にトンと乗るのは確かに簡単なのです。しかし、トレーナーからやってみてと言われたのは、高い鉄棒にぶら下がっている状態から脚を振り上げる力を利用してフワーンと上がる、という鉄棒の「蹴上がり」という技よりも高度な技。先程調べてみたら「マッスルアップ」という技だそうです。ちなみに上記の空中姿勢は「ツバメ」と呼ぶそうです。



ようやく逆上がりが出来るようになったばかりだというのに、それよりも遥かに難易度の高い技をシレ〜ッと強要してくるトレーナーってどうなんでしょう。。。

でもね、彼は決して荒唐無稽な事をやらせようとしているわけではなく、今までに培った事があるからこそ三段階ぐらいレベルアップした理想図を見せてくれて、そこに辿り着くための幾つかのヒントを提示してくれるのです。

きっと、「よく出来ましたね!これが出来たからもうあなたは卒業です!」なんてトレーナーだったらとうの昔にお断り申し上げていることでしょう。

酷く落ち込んでいる僕の背中に向かって彼が言ってくれた言葉を胸にまた今日から頑張ります。

「一度コツを掴んだら絶対に出来るようになるし、しばらくやらなくても忘れませんから。」

# by reijiro_kaneko | 2019-07-12 09:21

間もなく振付変更いたします!

いつも沢山の皆さんのご参加を頂き、熱気溢れるステキなレッスンとなっているJazzdance クラスの新しい振付動画を只今YouTubeにアップしましたので、どうぞご覧下さい。

前回の動画はいささか簡素すぎてTutorial コーナーも取ってつけたような雑な説明でしたので、この度はかなり丁寧に解説を加え振付の説明だけで5分以上要しています。

「ここは大切!」なポイントではテロップも多用し、たまに可笑しな具合になったりもしてますが、とても分かりやすい説明になっていると我ながら思います。

7/18以降、この振付に変わりますので皆様どうぞ予習や実際にレッスンを受講した後で復習としてご利用くださいね。

なお、7/20(土)のレッスンのみ現行の振付になりますのでご容赦ください。

それでは引き続き沢山の皆様のご参加お待ちしております。


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# by reijiro_kaneko | 2019-07-11 00:53

自信

皆さんはご自分に自信がありますか?

僕はあるようで無いようであるようでやっぱり無い…というのが本音です。

というより自信のある自分と自信の無い自分の間を常に彷徨っている感覚、と言った方がしっくり来ます。

そんな時にYouTubeサーフィンしてたらこの動画に行き当たりました。

ゲストの本田晃一さんのお話が今日のテーマの「自信」についてであることは言うに及ばず、僕が共感するのはこのチャンネルの主であるクリスさんの在り方。

英語が苦手な日本人に対して体当たりで苦手意識を払拭してもらおうと尽力している姿には胸打たれます。心無い人達は「Samurai Englishでいいんだよ!カッコつけないで一生懸命伝えようとすることが大切なんだよ!」と力説する彼の揚げ足を取って「そんなこと言いつつ日本語堪能すぎて笑」とか「松岡修造入っててツボ」などとからかったり、かなりの数の「よくないね」マークをつけたりする一方で、とても前向きになれた!と感謝するコメントも数多く寄せられています。

彼のチャンネルを見て、説かれている内容を素直に実践しトライ&エラーを試みる人達はおそらく自分に自信を持てるようになるのではないでしょうか。

かたや、揚げ足を取ったり誹謗中傷している人達はある意味自分に自信を持てず他人を批判ばかりして自分の自信を保っている人達でしょうからこの先もずっと負のスパイラルから脱却出来ないことでしょう。

彼がこんな動画も上げています。

この「おじいさんとデッカい石」の話には心底共感しました。

今回のテーマである「自信」とは少し外れてしまう内容ではありますが、自信を得るために人はそれぞれのやり方があり絶対に崩せないスタンスがあるはずなのです。そのスタンスを攻撃してまで僕はその人に自信を持ってもらう導き方はしたくありません。もっと楽な自信の付け方はあるはずだけど、そこで敢えて余計なお世話を焼かず愛を持って距離を置く。そうすることでその人がいつか自分自身で揺るぎない自信を勝ち得るかもしれない可能性に賭ける、それこそが僕の信じる道なのです。

ですから、目下僕自身にも自信はあるようで無いようで困ったなぁな状況ですが、愛を持って自分自身に距離を置いています。


# by reijiro_kaneko | 2019-07-10 10:22

千枚田

糸井さんの「今日のダーリン」という毎日更新されるエッセイを読むのが楽しみで、そして毎回感心しすぎて自分で物を書くということにエネルギーが回らず、「うおー!blog書きてぇー!」という気持ちが全く起こらない僕です。

そこに輪をかけて心身ともに満ち足りるロケハンなんかしてきちゃったものですから、もうなんか塩かけられたナメクジみたいになってます。

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はい、惜しみなく写真のっけちゃいます。

千葉県鴨川市にある大山千枚田という段々畑に行ってまいりました。

晴れ男の僕も今回ばかりは同行者の暴風雨男に勝てず、前日までの横殴りの雨予報こそ覆したものの当日はうっすら晴れてるのに霧雨、というカメラ泣かせの天候。自然光が回り込んで満遍なくグレーに明るいので対象物の色がしっかりと捉えられて良い写真が撮れる一方で、カメラを濡らさないように撮らなければならないので思ったようにアングルが切れず凡庸な写真ばかりになってしまいました。

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棚田は2箇所あり、この「大山千枚田」は観光地化されていてイベントもよくおこなわれているそうですが、もう一つの「天水棚田」は知る人ぞ知る穴場スポット。
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僕個人的には動画撮影をするならこちらの「天水棚田」さんかなぁと直感的に感じています。誰もが認める絶景のこれ見よがしのスペクタクルなロケーションでドローン撮影まで駆使してしまったら最後、それこそありきたりな流行り映像になってしまうのがオチ。

ひねくれ者の僕としては「え?これ、棚田で撮ってたんですか?全然分からなかった…」と思われるようなアングルとカット割りの連続の絵が撮りたいのです。

「そんなんだったらそこらへんの田んぼでいいじゃん?」と短絡的に思われる方も多いでしょうね。

しかし、考えてみてください。何のために僕は業務用の巨大なビデオカメラを買わずに一眼レフを購入したのかを。

ピントが合っているダンサーまでの距離は近く、背景は遥か彼方、という構図じゃないと狙っている雰囲気が出せないのです。しかも背景はただやたらめったら遠く、ということではなくて傾斜があるが故に舞台セットの背景画のようになっている必要があります。

どうでしょう、お分かり頂けたでしょうか?

写真は借り物ですがこんなイメージです。
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こんなにネタバラシしてしまって自ずとハードルを上げてしまっているわけですけど、だからこそヤル気も出るというものです。

どのぐらい未来の話になるか分かりませんが、どうぞご期待ください。

では最後に今回も一眼レフ練習の成果を。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-08 11:09

全力で鬼ごっこ(お手本動画つき)

某店での発表会リハーサルクラスが始まりました。参加するにあたり躊躇なくエントリーされた方もいらっしゃれば、ギリギリまで葛藤し迷われて一大決心をして申し込みされた方もいらっしゃることと思います。また今回はスケジュールが合わなかったり自信がなくて断念された方も少なからずいらっしゃることでしょう。

決して安くはない参加費を支払って時間も犠牲にして踊る!と決めたからには皆さんの思いを無駄にしない為にも僕は全身全霊で発表会まで臨む所存です。普段のレッスンでは自由意志を尊重し個人的にキツイ指摘をすることも控えておりましたが、今回は容赦しません。

セッカチにどんどん前のめりで誰よりも速取りになってしまってまるで50メートル走で一位ゴールして鼻高々になってるみたいなそこのあなた!音をしっかり身体に飲み込んで270度の視界で周りをしっかり観察して丁寧に踊る、ということを今回学んでください。

逆にまだまだ不慣れで自分に自信も持てず他の人を目の端で追いながらワンテンポ遅れて踊っている、というよりも立ち歩きをし始めた乳児のようなそこのあなた!大丈夫です、羽交い締めにして無理矢理強制的に動かしますので、動かされている感覚を覚えて次第にご自分の意思で身体をコントロールし、最終的には曲を聴いて感情が動きながら踊る、というダンスの小学校入学を目標にしましょう。

なんて書き方をするともしかするとせっかく頑張ろうと思っている気持ちをポッキリと折ってしまうかもしれません。それが僕の本意ではないことは是非お判り頂きたいのです。

かと言って美辞麗句を並べて気持ちよくさせて波風立てずに平和になんとかやり過ごす、なんて事もしたくないのも正直なところです。ある程度のケチョンケチョンな物言い(これでも本心の5%ぐらいなんですよ)で皆さんが発奮し、これまでズルズルとダンスを続けてきてあまり進歩もなかった数年間〜数十年間が嘘のように3ヶ月で奇跡の成長を遂げる、それが僕の目論見でもあるのです。

そのためにはこうやってblogで辛辣なことを書いてるだけではあまりに不十分で失礼。

ですので、今日YouTubeに動画を上げました。日頃レッスンに足繁く通って下さっている皆さんにはお馴染みだとは思いますが、動画上で僕が肉声で喋るのは初、となります。どうぞ、新鮮な気持ちで僕の言葉一つ一つに耳を傾けてみてください。もうそれだけでズルズルと続けてきたダンス人生がガラリと変わります。

それでは毎回のレッスンでもリハーサルクラスでも日に日に急成長してゆく皆さんとお会い出来ることを楽しみにしております。

最後になりましたが、この動画はこの新しいレンズを装填した一眼レフで撮りました。このレンズのお話はまた後日。
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# by reijiro_kaneko | 2019-07-04 00:42

Dimitris Papaioannu

僕は必要なものを手に入れる際に「アンテナを磨く」ということをします。

「アンテナを立てる」では不十分でして、真鍮の棒がツヤッツヤになるぐらい磨きます。実際のアンテナが磨いて精度が上がる訳ではないと思いますが、感覚として錆び付いていたり埃だらけだったりすると必要な情報を感度良く受信出来ない気がするので、ええそりゃあもう自分の顔がクッキリと写るぐらい磨き倒します。

そうすると、「何故このタイミングでこんな催し物のお知らせが来るのだろう?」と鳥肌が立つぐらい願ったり叶ったりのランデヴーが起こるどころではなくて、連鎖的に頻発します。

先日のショーン・タン展に続いて昨日彩の国さいたま劇場に観に行ったDimitris Papaioannuの『The Great Tamer』もそんな巡り合わせのひとつ。

彼の名前は全くと言って良いほど存じ上げておらず、アテネオリンピックの開閉会式の演出を手掛けた人、と言われて初めてあぁそんなこともあったねぇと懐かしく思い出す程度の存在でした。アテネオリンピックも2004年のことですからねぇ、ましてアートにもギリシャ神話にもさほど興味が無かった頃に観てますから、なんかもうほんと申し訳ない印象しか残っていませんでした。

幸い、vimeoという映像サイトに彼の過去の作品が沢山上げられていたのでシラミ潰しに眺めていたら、心を鷲掴み、というよりは寧ろ生理的に嫌悪するイメージが多く決して心地良く高揚するタイプの作品ではないのに強く惹かれている自分に気付き、これほ観ておくしかない!と決めてからはいつものつむじ風アクション。スマホでチケット予約した1分後にはコンビニで支払い完了。遠足を待ちわびる小学生が着替えやお菓子が詰まったリュックを開けたり閉めたりするように、毎日予告編を観たりSNSで彼の動向を追いかけたりしてそれはそれは楽しみに待ち侘びておりました。

そして昨日ようやくご対面、となった訳です。

開演ギリギリで客席に飛び込むと既に舞台には照明が入っていて、異様な形に組まれたセットの上にはスーツを着た男性が一人微動だにせず立っていて、時折身繕いをしたり顔だけ動かしてどこか遠くを見ていたり。その光景を見守りながら「この空間に居られて良かった。」と心の底から思えたのです。

作品のテーマが、綿々と繰り返される生と死や不格好で不完全な人類の愚かさと愛しさであるからには、それが他人事として川の向こう岸で行われていてはならないし、かといって威圧的にお仕着せをしてくるような類のものでもあってはならない、と思うのです。

『The Great Tamer』という作品は、まさに劇場全体を同じ空気で包み込み、執拗に繰り返されるモチーフによって観客との距離をジワジワと詰め、舞台上にいるはずの演者達のお互いに投げ掛け合う視線がまるで自分に向けられているような錯覚すら及ぼす巧妙な演出が施されており、それでいて子供の自由な発想を遮らない寛容さも持ち合わせているので、「観ている」という感覚よりも「そこに居させてくれて、勝手にさせてくれる」配慮をとても強く感じたのです。

出演者全員がどこかしらのシーンでかならず全裸にさせられるという日本ではあり得ない演出も、最初こそイケナイモノを観る恥ずかしさや妙な興奮を覚えましたが、次第にブラブラする男性器も形の良い女性のバストも滑稽にしか映らず三歳児のようにキャッキャとはしゃいでしまう有様。挙げ句の果てに、客席に向かって性器を晒す態勢でのブリッジ祭りシーンでは笑いを通り越して考えることを良い意味で放棄することが出来て、爽やかな後味を残してくれました。

荒唐無稽。空前絶後。大胆不敵。そして、支離滅裂。

なのに、ストンと腑に落ちる。

こんな人物にオリンピックの開会式の演出を任せるギリシャという国のセンスに嫉妬します。

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# by reijiro_kaneko | 2019-07-01 11:51

下手の考え休むに似たり

貧乏性、なんです。

ずっとソワソワしてるんです。

2年続けて大作を発表し、今年は公演自体を行わずチマチマと映像作品を撮り続け請負の小作品製作に没頭すると決めたのは良いのですが、映像作品製作が思いの外面白くなってしまって、そこから火がついた一眼レフ熱が日に日に高くなり隙あらばいそいそと何処かへ出掛けパシャパシャ撮っている日々。

今度はどこでどんな写真を撮ろうか、あそこでこんな映像を撮ったら面白いんじゃないか、そのためにはどんな技術が必要なんだろう、どれどれ参考になる資料を探してみよう。

そんな思考経路故、出掛けない時や電車で移動中の時ですらずっとYouTubeで一眼レフ撮影テクニック動画を観ています。

なんにもしないで脳をのほほんと休ませられる人がほんとに羨ましい。
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尊敬する糸井重里さんがこんなコラムを書いてらっしゃいました。

以下転載となります。
ーーーーーーーーーーーーーーー

これは、なんなんだろう。おれは、いまなにをやっているんだろう。こいつは、どこからきたんだろう。どうして、こういう考えになったんだろう。ここから、次の一歩をどこに踏み出せばいいのだろう。なぜ、この人はこう言うのだろう。もともと、これは、なんだったんだろう。この考えは、どこらへんから行き詰まっているんだろう。だいたい、おれはなにがしたいんだろう。どうしたら、この人はよろこぶのだろう。このいさかいは、どうしたら解決するのだろう。このことは、もう動かしようがないのだろうか。


文字で、一行ずつ書いたら読み飛ばされてしまうような、ただの疑問を並べただけの文なのですが、思えば、こんなふうななにかしらの疑問を、人はずっと考えているのかもしれません。考えてばかりいたら、なにもできなくなりそうですが、なにかしながらでも、考え続けることはできます。


先日、公開の場で、幡野広志さんと話して、また「この人は、このことについて、いまじゃなくて、もっと前から考えていたんだろうなぁ」と思いました。それは、彼のやっている「人生相談」の回答の文章を読んでいても、いつも感じていることです。どういう必要があったから、なのかはわかりません。あるいは好奇心だとか探究心だとかが、その動機なのかもしれませんが、そこここに、なにか、「そのことについて考えた形跡」があるのです。いつ、どういうときに考えたのかは知りません。たぶん、と、勝手な推察をさせてもらうなら、「痛かったり、悲しかったり、迷ったりしたとき」に、その場所から考えがはじまったのだと、ぼくは思います。どうして、そう思うかというと、不肖わたくしが、そうだから、と言わざるを得ません。


あらゆる疑問は、あんまり快適なところからは、発生しないように思うのです。考えざるを得ないというのは、少し悲しいことです。…また、「あはれ」みたいなことを考えてしまった。


今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。へたの考え休むに似たりとも申しますが、どうにもねぇ。



# by reijiro_kaneko | 2019-06-26 09:16

撮影2日目

本日も曇天。そして時々雨予報。

うむむむむ、どうして僕がやる気満々だとそんな予報になってしまうのか。しかし、やるぞ!となったら必ず雨雲は僕を避けて通ってくれるので、今日もニワカ・カメラマン出動です。

最初に向かおうとしていた上野公園・不忍池は勘が働いて後回しにし、まずは都電に乗ろうと流石B型判断。目白駅から歩いて鬼子母神前駅へと向かいました。
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紫陽花を撮るのが目的なのに助平根性を出して都電を撮ろう!と思ったわけです。

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撮ってみて分かりました。鉄道ファンの皆さんの凄さが。

時刻表とにらめっこし、仲間内での情報交換を念入りに行い、てるてる坊主を軒先に数千個吊るして入念な下準備をした後に撮らないと絶対いい写真など撮れるわけがないのです。

さっさと都電は諦め、本題の紫陽花撮影のために飛鳥山公園へと向かいました。

線路沿いの小道、数百メートルに渡って圧巻の紫陽花ロード。家族連れやカップルが多い中、アイドル撮影ロケも何組かいらっしゃいました。お花に顔を寄せて挑発するような目付きでパシャパシャ撮られている彼女達を見ているうちに見てはいけないものを見ている気分になり早々に退散。
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そして、後回しにした不忍池へ。

ここでの目的はただ一つ。「大賀蓮を撮りたい!」

池を前にして愕然としました。

花らしきものは見渡す限り見当たりません。

まぁ、いいか、水面を覆い尽くす葉っぱを撮って帰ろうかと諦めつつ池の周りをブラブラ歩いていると何やら人だかりが。

そこには。
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ありました!まもなく開花しようとしている蕾が!

そんなこともあろうかと望遠レンズを用意してきておりましたので、いそいそとレンズ交換しグイグイと人の隙間をかいくぐり場所を確保して撮影開始。
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望遠レンズだけでは撮りきれず広角レンズに替えたりiPhoneでも撮ったりしてるうちに、勘違いした女性二人組が寄ってきて写ルンですで撮ってくれませんか?とお願いされ、快く引き受けてあわやお二人の顔にカメラがぶつかるんしゃないかぐらい寄って撮ってあげたら、とても喜んで下さって「やっぱりちゃんとした機材を持ってらっしゃる方は違いますね!」と大はしゃぎで帰っていかれました。

現像したらボッケボケ…でないことを全力で祈ります。。。

なかなか思うようには進歩しませんが、とにかく数あるのみ!と信じてこれからも沢山写真も動画も撮ろうと思います。

皆さま、どうぞ温かく見守ってくださいませ。

# by reijiro_kaneko | 2019-06-23 17:25

一足遅れの父の日プレゼント

一眼レフを購入しました。というご報告はしました。

公開した動画の中で一部頑張って一眼レフで撮った映像も入れています。

でも肝心の静止画の腕前は全く向上していません。スチル写真もちゃんと撮れずに動画を極めるなんてそんなもの何も勉強せずに東大に入ろうとしてるぐらい無茶なことなんじゃなかろうか?とふと思い立ちまして、昨日は鎌倉〜江ノ島を撮影練習一人旅してきました。

天気予報は雨。アメダスの雲の流れとにらめっこしながら、行っちゃえば何とかなるだろう、と意を決して向かいました。やはり私、晴れ男みたいです。最初の目的地、浄智寺に着いた頃はまだパラパラと降ってはいたものの、境内に入った途端薄日が差し込んでくるぐらい晴れてしまいました。
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このお寺の側には紫陽花寺として有名な明月院があるのですが、入場制限かかるぐらいの混みっぷりに戦意喪失して代わりに近くで素敵なお寺さんは無いかと探してこちらを選びました。紫陽花こそ少ないものの鬱蒼と茂った草木や上手にさえずるウグイス、そして木々の間を駆け巡るリス、と最高のロケーションでした。
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このお寺さんを選んだのはもう一つ理由がありまして、このお方に会いたかったからなんです。
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お腹を撫でると元気になる、と言われている布袋様。お顔が思わず微笑んでしまう可愛らしい表情をされています。
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期せずしてこんな愉快なお三方にも会えました。

一眼レフの練習と申しておりますが、実は目的が別にありまして、今年も秋に予定されている父の同期展覧会に出品するにあたり彼が創作意欲を掻き立てられる風景写真をどっさり撮っておこう、というもの。

水彩画にも関わらず、画面の隅から隅までベターっと油絵のように塗りつぶしてしまう癖が抜けない彼のために、ピントが合っている部分以外はボケる絵を撮ることに長けている一眼レフで撮った写真を見せれば流石の彼も少しは感化されてそれっぽいタッチの絵を描いてくれるのではなかろうか…と一縷の望みをかけて必死でシャッターを切り続けました。

結果はやはりニワカカメラマンなもので惨敗ではありますが、今日も別の場所で撮り貯めてこようと思います。
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# by reijiro_kaneko | 2019-06-23 09:43

製作秘話その2

【Arrival of the birds】製作秘話の続編です。

以前このblogでも記しましたが、The Cinematic Orchestraの「Arrival of the birds」という曲との出会いは3月の『Roots vol.2』公演でのことでした。

他の振付者さんがこちらの曲に何とも言えない素敵なムードの振付を施されていて、何度観ても飽きないどころかずっと観ていたい作品でした。

その振付者さんとお話ししてみると、曲名こそbirdsとなっていますがご本人は蝶をイメージして振付をされたとのこと。

ならば僕は曲名通り鳥をイメージした振付を試みてみよう!と思い立ち、4月のstudio CASTの課題曲として参考動画も撮り1ヶ月間皆さんに頑張って踊って貰いました。

それがこちらです。


レッスンをしているうちに次第にイメージが変わり、この振付をスラリとしたダンサー数名で踊ったらどうなるのか観てみたくなり、今回のお三人方を抜擢しました。

三人のうち、島田真奈はレッスンで何度も踊っていたので身体が覚えていましたが、川島優子さんと中山菜ちゃんのお二人は動画こそ事前に観て貰っていたものの実際に僕から直接振付を渡されたのは撮影の2日前。それもたった2時間弱のリハーサルで完璧を求められるという残酷さ。

もともと力んで踊るのが素敵なタイプのダンサーではなく、サラリとフワリといとも簡単そうに踊る姿が美しい三人であることを見越して、敢えて細かな手直しは要求せず彼女達のごく自然な在り方をカメラに収めようと考えていました。

さて、撮影当日です。

前々日に仮縫いでフィット感こそ確認していたものの圧倒的に布の分量が増えて動きづらくなってしまった衣装に現場で初めて袖を通し、捌きも慣れぬままシーン毎にブツ切りで畳み掛けるように撮影が続き、Die-co★の臨機応変な提案で本編とは関係ないシチュエーションもかなりの分量を撮り、あっという間に1時間半で全てのシーンを撮り終えました。

振付全体を一度も通して踊ることなく、完璧にPV撮影のやり方で細切れで踊らなければならなかった彼女達の心中は決して穏やかでクリアではなかった筈。しかし、そんなことは微塵も感じさせない堂々として気高い姿がフィルムにはしっかりと焼き付けられていたのです。

彼女達の本領を余すところなく発揮して貰うにはあまりにも短い2分半。もっと観たい!終わらないで!と感じるぐらいがちょうど良い、が持論の僕でさえこれは勿体ないと感じる仕上がりとなりました。


いつかタイミングが合ったら、三人だけでなく高身長のダンサー達が百花繚乱舞い踊る姿をカメラに収めたいと思います。

個人的にベストショットの川島優子さんの写真と共に今日はおしまいです。
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# by reijiro_kaneko | 2019-06-21 11:51



ダンサー兼インストラクター『金子礼二郎』が気ままに呟いています。
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