人気ブログランキング |

【礼二郎のつぶやき】

落第万歳

またまた性懲りもなくトレーニング記事です。

以前のblogで少し触れましたが、ダンスに関しては「先生」なんてもんをやらせて頂いているので怪我でもしていない限り自分がブザマな姿を見せるなんてことはしませんし、してちゃいけないと思います。自分が出来ないこと、不得意なことは皆さんにやらせず、自分の得意なことを皆さんが少しでも会得出来るよう指導するのが仕事だと考えています。

しかし、当たり前のことですが、他人に師事するという状況ではそれが180度変わります。出来ることもあるけれど、出来ないこと・不完全なことの方が占める割合は高くなる、それが普通。

昨日もそんな1時間でした。

一年続けてきたトレーニングの成果が上がっている部分もありますが、やはり弱点は弱点のままデンと鎮座していて「俺はテコでも動かんぞ!」と昭和の頑固親父よろしくむっすりとご機嫌斜めなご様子。そんな頑固親父を「ほらほらお父さん、愛娘の旦那様にそろそろおはようの一言でもかけてあげなさいよ」となだめすかしたり、胡座をかいている座布団をテーブルクロス抜きの芸当のように華麗に引き抜いて親父をコロンと転がしたり出来る名トレーナーの妙技に毎回感動させられています。

それにしても、出来ないことが多すぎて凹みます。未だ逆立ちは未完成ですし、出来る様になった懸垂からの逆上がりも何度もやっていると筋肉が耐えられなくなって諦めたナマケモノみたいになってしまいます。
a0052916_11534813.jpg

そんな時にやはり糸井氏は救ってくれるのです。

「落第万歳!」

大学卒業時、会社を辞めた時、ダンスから一度離れた時、そのそれぞれで己の至らなさを突きつけられ落胆はしたはずなのですが、そこには巧妙な言い訳が伴い真に事実を受け止めきれていなかった自分がいたことを数十年経って思い知らされる。

なんとも痛快です。

「落第万歳!」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

・こんな年齢になってから、いまさらの話をします。ぼくは、少し遠慮がちにですが、大学生の人なんかに、「落第とか留年とかは、したほうがいいね」と、言ってやりたいと思うようになりました。

遠慮がちにと、あえて付け足したのは文字通り遠慮です。人生に対する考え方はそれぞれにあるでしょうから、ぼくが思う「いい」を、人も「いい」と思えるかどうか、わからないので、文に「逃げ」を入れているだけです。「息子の人生をダメにしたら責任とってもらえますか」みたいなことを言われたらかなわないからです。

とか、言ったうえで続けますが、「落第とか留年」あるいは「退学」は、卒業してからではできないことです。もう卒業してしまったら、取り返しがつかない。それまで歩んできたまっすぐな道の、外れようなのか、曲がりようなのか、戻りようなのか、それを経験することになるわけです。このことを挫折と呼ぶ人もいるでしょうし、失敗ととらえることもあるでしょう。どのみち「価値観」を問い直す機会になると思うのです。逸脱だか挫折だかを軽く経験することで、ぬかるみに迷い込む場合もあるでしょうし、いままでと別のおもしろさを知ることもあるでしょう。どちらにしても、不安と期待が増えそうです。そして、その分以上に自由を見つけることにもなります。線路の上だけを走る電車のようにではなく、広い道狭い道、道のない道を行かざるを得ない自動車のような動き方を覚えるかもしれません。

とにかく「勉強ができる」ということだけが、なによりいちばんの価値だという考えから、すこしでも解き放たれることは、大チャンスなのです。ぼくのこの考えは、昔よりいまのほうが言いやすい。決まった勉強でいい点数を重ねていったら、人に認められて幸福を手に入れやすくなるということが、昔よりもずっとやりにくい社会になっているからです。いま、ぼくに大学生の息子がいたら、きっと、留年とか退学とかしないかなぁと期待してると思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。失敗や挫折は狙ってはできないけど、運よく得られるもの。

# by reijiro_kaneko | 2019-10-18 11:43

第9弾映像作品公開しました

ハイペースで動画を上げていたにも関わらず、ピタッと新作を創らなくなって早4ヶ月。

何人もの方から有難いことに新作を楽しみにしてくださっているとの声を頂き、すっかり枯れ果ててしまった己の創作意欲を恨めしく思うも、うんともすんとも言わない状況が長らく続きました。

台風が遥か南の海上に発生すると必ず頭痛が起こる特異体質なのですが、今回の台風19号はちょっと勝手が違っていました。

発生した瞬間から異常な創作意欲が湧き、頭痛は怖いくらいピタッと形を潜め、勝手に構成が脳内で完成し、本日無事に撮影敢行して参りました。

動画の説明欄にも書きましたが、今回は少し趣向が異なります。

被災した皆さんからしてみればこんな動画など何の役にも立たないどころか独り善がりな想いなど逆鱗に触れて当然、だと思います。

なのに、何故公開するのか。

自分でも疎ましく思う自己顕示欲ゆえ、なのでしょうね。ナンチャッテ作品を創り続ける業の強さに呆れ果て反吐が出そうになりながら、心の何処かで自分を可愛いと思っているのです。

本当にそんな奴、死ねばいいのに、ですよね。

とかなんとか言ってますが、折角創ったので是非ご覧ください。
a0052916_20032295.jpg




# by reijiro_kaneko | 2019-10-13 19:42

足掻いてます…

のんびりと移動する時間がある金曜日は割と筆が進む。調子に乗って余計な事も書いてしまいがちなのが困った事ではあるけど、書いたそばから読み直せば要らんことは割愛出来るから一行書いては添削、を繰り返しながら書いている。それでもスピードはだいぶ速いようだ。

昨晩、ある動画を観た。カメラのことについてオジサン(と言っても、僕よりだいぶ若い)が滔々と言いたいことを言っている動画なのだが、性差による撮り方の違いや出来上がった写真の特性を見事に分析されていてウーンと唸ってしまった。

男性はメカ好きのあまり如何にカメラの機能を最大限に発揮させるかに思考が囚われてしまい勉強して頑張れば誰が撮ってもそうなる絵しか撮れない人が多く、対して女性はカメラの性能は二の次で魅力的な構図やカワイイ物を撮るかということに長けている人が多い。

ステキな写真を撮りたい!というゴールが山頂にあるとしたら、男女は全く反対の登山道から登山を始める。その例えにも深く共感した。

じゃあ、ジェンダーフリーの自分は果たしてどうなのか?

ええ、見事に中途半端です。徹底的に機能を使いこなそうとしてはニッチもサッチもいかなくなり諦めて、感性という魔法の言葉で撮ろうとするも敢えなく失敗。機械オタクにもなれないし、カワイイ物も撮れやしません。

ダンスに長年携わっていてこれほどの劣等感を感じたことはありません。身体能力もそれほど高くないのに、何故かイイトコ取り出来る才能には恵まれたので、ちょいちょいとそれっぽい形やムードにしてしまえるダンスと違って、写真は赤裸々にセンスが露呈されてしまいます。

嗚呼、そんな分析をしていたら、肝心のダンスでさえ自信が無くなってきました。「ダンスは運動ではないですから」というトレーナーの衝撃的な一言を頂いてから、脇目も振らず「運動機能の向上とバランスのよいボディ」を得るためにトレーニングを続けてきて、ふと立ち止まって考えてみると「綺麗によく動いて身体の歪みもないけれど、なんかクソ面白くない」ダンスになってしまっていて、一体これはどうしたもんだか…とこの一ヶ月ほど撮った自分の動画を観ては途方に暮れています。

まさになんちゃってオジサンカメラマンが陥る最先端技術を駆使して撮った写真が何の面白味もないシンドローム、あろうことかそれと全く同じ状況にある自分自身のダンス。

こんなんだったら今すぐダンスもカメラも辞めた方がいいのかもしれません。

でもねぇ、人間てそう簡単に諦められないんですよね。くっだらねぇ!と思っていてもバッサリ辞められる人の方が少ない。自分も多分に漏れずそうです。

辞められないからもう少し足掻きます。

それにしても、なんかこうパアアッと様変わり出来ないもんですかねぇ。いっそのこと脳みそ取り出して一度ホルマリン漬けにしたら劇的に変わるのかなぁとかくだらないことを考えています。
a0052916_15135716.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-10-11 15:12

台風19号接近に伴うスケジュール変更のお知らせ

皆様、平素からstudio CASTをご愛顧下さり誠に有り難うございます。

10月・11月のスタジオスケジュールのお知らせです。

10/12(土) 台風19号接近に伴い休講
10/30(水)振替レッスン(昼・夜共に実施)

11/30(土)休講

以上となります。当初10/30は5週目にあたり休講としておりましたが、今月に限り振替で通常通りの開講となります。宜しくお願いいたします。

なお、写真は昨晩のレッスンに突然現れたスペシャルゲストの方です。
a0052916_09333635.jpg

a0052916_09333704.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-10-10 09:32

ひとやすみ

ごく稀に心の中にポッカリ穴が空いてひゅうひゅうと風が吹き抜けていくような感覚を覚えることがある。

何があったわけでもない。身の回りで不幸があったわけでもないし、仕事が上手くいかないわけでもない。とにかく、心に空いた穴の中にちょろちょろと虚しい水が流れ込んで、さっきまで吹き抜けていた風すらも止んで凪いだ水面を何とも言えない気分で眺めている。

もともと、心のダイナミックレンジはそれほど広くはないからどん底の気分を味わうことも身体が震えるほどの激昂を感じることもない。しかし、そのあまり動かないメーターが時折カタッと止まってしまいどちらにも動かなくなることがある。それが厄介だ。

以前なら全てが停止してしまい日常業務にも支障をきたしていたのに、心がどう在ろうと関係なく創り出す大脳辺縁系の部位は休むことを辞めない。それも厄介だ。

そろそろどこかへ行方をくらまさないと辻褄が合わないのかもしれない。

雄大な山が見たい。風にそよぐ木々の幹に身体を預けて煩雑な思考を追い払いたい。ただただ眠りたい。
a0052916_11344262.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-10-07 11:31

ヘイトをヘイト

またしても糸井シンクロで有頂天の金子です。

「罪を憎んで人を憎まず」と言いますが、究極の綺麗事だと思うのです。対個人、対社会に於いて「罪」を犯した人を「あいつは悪い奴だ!」と決め付けて「悪いことをしたんだから死刑だ!」と安直に言い放ってしまうのは本当に楽なのです。勧善懲悪のヒーロー物が思春期の男子に賛美されるように、「◯◯さんのご主人、左遷ですって。夫婦揃ってダメ人間ね。」などと悪口を言う主婦友達のように、「罪」や「悪」をその人のアイデンティティと同一化して攻撃したり排除しようとするのが人間という生き物の性なのです。

そんなことを分かったように吹聴している僕ですが、ちっとも悟ってなんかいません。好みは相変わらずハッキリしているし、何らかの理由で「攻撃してくる」ように見える人に対して「ややや!お主、やるおつもりか!」と臨戦態勢に入るなんてこと日常茶飯事です。

心に余裕がある時は、あまり好みではない物事に対して寛容になれますし、喧嘩を売られても戦おうとは思いません。

しかし、人間ですもの、いつも平たいワケにもいかず心も身体も悪天候な状況に陥ることなんてザラにあり、そんな時に目の前を仰々しく行軍なんかされようものなら無駄に重い甲冑を身に纏い錆びた剣を振りかざして単身大軍勢の中に飛び込んでやみくもに斬れもしない古刀を振り回してしまうこと、しょっちゅうあります。

この刀、古いし錆だらけなんですけどね、意外と良く斬れるんですよ。斬れる、というよりはその重みで無理矢理ぶったぎる、というお粗末な仕事ぶりですので、まぁ後味は悪いことったらありゃしません。

骨皮辛うじて繋がって生きているおぞましい怪我人の山を目の当たりにしてようやく正気に戻ります。

あぁ、またやっちまった…

正義をふりかざして成敗、なんて気持ちが1%でも自分の中に存在してたら全くお話にならないダメっぷり。果たして、その正義とやらですけど、地球上のすべての人にアンケートを取りディベートをした上での正義ですか?自分に都合の良いどっかから借りてきた浅はかな正義なんじゃないですか?と冷静になった時に鼻の穴パンパンにして荒ぶっている自分に尋ねてみると何も言い返せないことが殆ど。

自分と違う考え方や行動や様式美を完全に違和感なく受け入れることは不可能だとしても、それらが存在する事実や意義を理解し尊重し自分を成長させてくれる何かを盗む努力を続けることは大きな価値があると思うのです。

これは、以前書きかけて引き出しにしまってしまった「プライド」と「自尊心」の違いにも関連します。

「プライド」はその根底に劣等感があるのに対し、「自尊心」にはそもそも劣等感という概念はありません。

「プライド」はその劣等感故に自分より優っていても劣っていても関係なく他人を攻撃しますが、「自尊心」は自分とも他人とも戦っていません。

対して「自尊心」のある人はありのままの自己を肯定し欠点も含めて自身を尊重するので、常に前向きであり無益な争いをせず真の紳士淑女となり得るポテンシャルを有しています。

あぁ、本当にそうなれたらどんなに良いでしょう。そんな人ばっかりだったら世の中諍い事など消滅するでしょう。

もうとうの昔にプライドなんて捨てたと思っていても、消火したはずの焚き火がまたチロチロと燃え出すように嫌な感情が湧き起こってくると、自分を呪い殺したくなります。

例えそれが面白半分でチョッカイをかけられたが故だったとしても、そんな誘導に易々と負けてしまう自分はヘタレもいいとこです。

一体、紳士になれる日は来るんでしょうか?

それにしてもラガーマンはカッコいいです。
a0052916_16241121.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

・戦いというと、他の考えもなく、「敵を憎む」ということになってしまうのは、かなり遅れた思考なんだろうなぁと思う。

「敵」と決めたとたんに、もう、「だから憎むべきである」と決めてしまい、「敵にはなにをしてもいい」となってしまうこと。ここから、抜け出すような考えを、ぼくらはたしかに、あんまり教わらないできた。

「敵」を決めて、それを「憎む」ことは珍しくない。いったん「敵」であると決めつけたら、それはもう人間として扱うのではなく、「敵」という「憎むべきもの」になってしまうのだから、「敵」には、嘘をつこうが、脅かそうが、ときとして暴力に訴えかけようが、こころは痛まない。そこには、それはもう大変な判断があったはずなのだが、実際の「敵」認定は、あんがい根拠なくなされる。

これを書いているぼくだって、どこかのだれかに「敵」認定されているだろうし、この文を読んでいるあなたにしたって、どこかで「敵」にされたり「敵」をつくったりしている。

もしかしたら、いずれ、人間の社会が、もっとましなものになっていたとしたら、まず、「敵」は憎むものとはかぎらないということが、わりと常識のようになっているかもしれない。しょうがなく「敵」ができることはあっても、それは憎んだり、陥れたりする相手とはかぎらない。いま言うと、甘っちょろい非常識かもしれないけれど、少なくとも「そういうことはあるよ」くらいのことは、人がふつうに考える時代はくるような気がしている。

いま、ラグビーワールドカップの試合が、あんなにもおもしろく感じられているひとつの理由は、「敵」は憎む相手ではないということが、試合から、よく伝わってくるからだと思うのだ。社会をそのまま反映させたスポーツではなくても、「人のひとつの理想」を見せ合う競技なのだとは思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「憎む」ことは、やがて、じぶんをも「憎む」ことになる。

# by reijiro_kaneko | 2019-10-04 16:23

はらぺこあおむし

ベランダガーデニングしているコレクションの中のクチナシの新芽がことごとく食べられており、どうやらオオスカシバという蛾の幼虫が大量に発生しているが故らしいと分かり、撃退作戦が決行されました。

作戦とは名ばかりで見つけたら摘んで捨てるだけのこと。試しにアボカドの葉っぱに移住させてみたりしましたが、あからさまに「イヤーッ!」と海老反りになって拒否なさるので、ならば地獄へ行きなさいということで灰皿の中のニコチン&タール血の池地獄へと。可哀想だけど丸坊主にされるクチナシを黙って見ている方がよっぽど辛いので彼らにはお引き取り頂くことにしました。

もっと大自然の中でならそんな了見の狭いことは言わないんですけどね、申し訳ないことにクチナシ一株しかありませんからねぇ、もっと大量に生育している場所で是非親御さんには産卵して頂けると助かります。

あ、そうそう、青虫のことを大々的に書きたかったのではなくてですね、そのアボカドにたからせた子が見事な海老反りをしているのを見てふと考えた事があったので今回のトピックにしようと思ったんです。

この青虫達の大好物がクチナシ、というとても偏った嗜好であるように、僕にも非常に食生活が偏ることがよくあります。

喉の調子があまり芳しくないと無性にコーラを飲みたくなり、関節がギシギシするとハリボーを一気食いしたくなり、熱が出そうになるとネギと生姜を麻薬常習者の如く欲します。昨晩はコーラとポテトチップスとハヤシライスが異常に食べたくなり、パートナーも恐れおののく勢いで貪り食って今朝は常軌を逸する量のお通じがありケロッと健やかになりました。

結果論から言うと、バランスの良い食事と運動と休養を習慣づけて生きてる人の方が絶対体内環境は花園みたいに美しいと思うんです。

でもね、なんかそういう優等生な生き方、無理なんです。

そりゃあ毎日ポテチとコーラと餃子食べ放題、みたいな生活しててブクブク太ってしまうのはどう考えても自堕落でしかありませんし、そうはなりたくないですけど、たま〜にそうやってジャンクフード療法で衝撃的なデトックスをして身体をリセットするのは悪くないなぁと思うのです。

でもね、良い子は真似をしないでくださいね。

そう言えば昔、庭のグレープフルーツの木が毎年アゲハ蝶の幼虫達のお陰で丸坊主にされていましたが、母は別に気にすることもなく「大人になって飛び立ったらまた葉っぱは生えるんだからいいのよ」と寛容の見本みたいなことを言っておりました。

クチナシにたかっている青虫達を摘んで血の池地獄に落とすたびに、チクチクと胸が痛みます。
a0052916_11455113.jpg



# by reijiro_kaneko | 2019-09-30 11:39

初社交ダンスレッスン

人生初の「社交ダンスのお稽古場でレッスン」を担当してきました。

お世話になっているとある方からこのお話を頂いた時には正直戸惑いしか感じませんでした。

社交ダンスのお稽古場で僕が教えられることって何だろう?

ウォーミングアップ無しでクロスフロアーや振付のみ、それも45分間で何をやれと言うのだろう?

そもそも僕みたいななんちゃって中年教師が社交ダンスの次世代を担う若手ダンサー達に何を教えろと言うのだろう?

千々に乱れる心を鎮め、いつも通りのお祭り騒ぎジャズダンスにしよう!と心が決まったのは前日のこと。パパパと創ったお洒落Vogue風アゲアゲ振付を携えていざ決戦へ。

少し早めに到着し、僕の前のクラスを見学。ルンバステップの基本をじっくりとレッスンされている様を物珍しそうに見入っている僕を受講者もチラチラと興味津々な様子で見ているというまさに探り合いの状態。

「なんなの?このオッサン。。。コンテンポラリーのレッスンとかマジ理解不能なんですけど。てか、そんなの受けてあたし達、なんか得することあんの?」

そんな無言の圧をヒシヒシと感じつつレッスンスタート。

「はいっ、こんにちはー。初めまして。あのぅ、コンテンポラリーの先生としてご紹介頂きましたけど、今日はコンテなんて一切やりません。その代わりにヴォーギング風のチョッ速の振付を瞬時に覚えてもらってガンガン踊ってもらいますのでとにかく難しいこと考えないで楽しんで帰ってくださいねー」とご挨拶。

その瞬間に先ほどまでの気をつけの姿勢で先生の話を聞いていた彼等に異変が起こります。

「えっ?ちょっと待って、基礎をみっちり教えてくれるんじゃないの?コンテだって言うから凄く身構えて来たのに…」と無言のざわめきがさざ波のように広がっていくのを感じながら振付スタート。

1分強の振付を10分で全て覚えさせ、早々に先生は踊らず皆さんだけで踊らせるという荒療治。もはや気取っている余裕などなく全員が悲鳴を上げながらもんどり打ちながら踊るその姿を見ながら、「みんなー!凄いよー!すんごく上手だよー!最高ー!」と踊ってる姿を見もしないで褒めちぎる僕に先生方が「あのぅ、全然出来てないですよね、彼等…」とボソッと呟くけれども我関せず「はいはい、大丈夫ですから、個性豊かで素晴らしいですよー」とニッコリ。

もうそこからは金子さんの真骨頂。長々と説明などせずひたすら踊らせながらたま〜にピンポイントで「ここをこうしたらもっと良くなる」アドバイスを投げかけ、メンバーの組み合わせもどんどん変えながら翻弄し続けました。

先程までシーンと神妙に先生の話を聞いていた彼等は人が変わってしまったかのようにワァワァ騒ぎ出し、アドリブも積極的に入れるメンバーも続出。完全に金子幼稚園の出来上がり。

主催陣数人に「いつもこうなんですか?」と聞くと、「いいえ、でもこれが本性なんですね」と驚いていました。

大騒ぎは最後まで続き、最初は戸惑っていたメンバーも目付きまで変わってショー本番を観ているかのような仕上がりに、主催側も呆気に取られていらっしゃいました。

今回のオファーは日本の社交ダンス界の低迷状態を脱すべく他ジャンルの専門家を呼んで様々な表現を学ぼうという主宰者の方のお考えから実現したものなのですが、社交ダンスなぞ全く未知の領域で完全アウェイの僕だからこそそんな風に好き勝手やらせて頂けたワケでして、本家の指導に関しては沢山の制約やメソッドが存在し、受講者がいつでも和気藹々と楽しくレッスン出来ることなど稀なのでしょう。

何が良くて何が悪いということではなく、部外者の僕のような者が変革に一石を投じられていたなら良いなぁと思うのです。変革とはいかないまでもあの20数名の参加者の中の一人だけでも「何にも縛られず絶叫しながら踊るってこんなに楽しいんだ!」と感じて頂けたのなら僕がお邪魔した意味があるのかな、と思います。

この機会に留まらず、僕の存在意義はやはりソコなのだと改めて実感したひとときでもありました。

こんな機会を頂けて本当に感謝です。

最後になりましたが、僕が大好きなペアをご紹介して今日の記事を終わりにします。
a0052916_18544220.jpg



# by reijiro_kaneko | 2019-09-29 18:52

より善き学びの場へ

皆さん、こんにちは。

改めまして、studio CAST主宰の金子礼二郎と申します。

あのぅ、改まって何なのですが、この度またまた初心に戻りましてレッスンの進め方も指導の内容も刷新していこうと思い立ちました。

グループレッスンでこれをやるのはどうかとずっと思い悩みつつも、これまで実際にちょこちょこと実践して来た「十把一絡げ」方式を更に推し進めたい、というのがまず一点。

どういうことかと申しますと、超初心者の方もプロレベルの方も一緒になって体当たりで臨めるボーダーレスなレッスン、ということ。

逆に言うと、どんなレベルの方でも意識の持ち様で多くの気付きを得られる刺激的なレッスンを提供出来たら良いなぁと思うのです。初心者だからあれは無理…という決め付けもせず、プロだからこのぐらい朝飯前!なプライドを打ち砕き、「あ、そうやって動きを紡ぐと身体が楽に繋がるし、何より楽しい!」と全員が感じて下さるレッスンこそが僕が長年実現したかったものなのです。

またこれまで続けてきたバーレッスンの概念を根底から見直し、「バーに掴まる必要が無いバーレッスン」を突き詰めてゆきたい、ということが2点目。

既存のバーレッスンの順番を追うことに必死なあまり本末転倒で身体をビルドアップしていけていない方を多く目にし、それでは逆に怪我の元となってしまう危機感を抱いておりました。

ですので、必ずしもバーに掴まってプリエ、タンジュ、バットマン、ロンデジャンブ、フォンデュ、デベロッぺ、、、という順番でレッスンを進めるのではなく、振付の中でよく使う動きや形に特化してどうすればスムースにその形に入れるようになるのかをダイナミックストレッチ・筋トレ・パートナーコンディショニングなどを交えて探っていけるようにしていきたいと考えております。勿論、時にはしっかりバーレッスンも行いつつ。

3つ目に、「みんなが先生」システムを導入します。

従来のダンスレッスンは「先生→生徒」という不動の上下関係が存在することが当たり前の常識でした。

これに関しても長年疑問を抱いておりまして、言われたことだけを烏合の集よろしくやっていても進歩など有り得ず、メンバー同士でああだこうだ指摘し合うことも先生が逆に皆さんからの知識や提案を受け容れることも健やかで豊かな成長には絶対に必要な要素なのです。

「先生に言われるのはいいけど、私より劣っている人になんやかんや言われるのは腹が立つ」なんて了見の狭い方はほんといらっしゃらなくて結構です。どんな意見も一理あると当たり前に感じられる思考体系を是非育んで頂きたいものです。

これまで様々な理由で二の足を踏んでいた皆さん、studio CASTから離れていった皆さん、そして現状studio CASTにて真剣に汗を流している皆さん、2019年残り3ヶ月は一人一人が大きく成長できる貴重な期間です。奇しくも10月の課題曲に設定させて頂いている振付は来年春の初心者公演への提供ナンバー。シンプルな振付ではありますが、これまでのようにトリッキーな動きで目眩しなんて小賢しいことは一切行わず、お米に字を書く神業如く細かく丁寧に誘導していきます。本当に羽交い締めします。出来るまで付き合います。

勇気を持って、過去のトラウマと決別して、ビジョンを抱いて、スタジオのドアを開けてください。全身全霊でお迎えいたします。


# by reijiro_kaneko | 2019-09-27 11:31

驕れる者久しからず

糸井さんの好きなところは色々あるのですが、中でもこういうこと(最後に引用しています)を潔くスパッと暴露してくれてしまうところは本当に胸がスカッとします。

僕もいつの頃からか「先生」として君臨することが生理的に無理になり、「どうだこのやろう俺はスゲーだろう?」と圧倒的な力の差を見せつけることなど心の底から恥ずかしいと思うようになりました。

だって、「特定のあること」しか誇れるものは無いんですもの。それも本当に誇れるものなのか?と客観的に見てみたらそーでもないチンチクリンな代物だったりすることばかりで、おまけに出来ないこと・知らないことなんて山ほどあるわけですよ。そんなペラッペラの輩が偉そうに「俺を敬え!俺に従え!」だなんて言えるわけがない。

出来ないこと、知らないこと、解らないこと、は素直に認めるべきだし、知ったかぶりなんて以ての外。絶えず新しいことに目を向けたり学び続けて「いやぁ、俺なんてまだまだですから」と心底思ってなかったら人間腐ります。

幸い、繰り返し初心に戻れる環境にいる身ですので、鼻持ちならない傲慢野郎に陥る前に必ずハッと目が醒める経験を幾度となくさせてもらっています。

今日もそんな日でした。

「自分にとっては当たり前のことを当たり前と思わずに皆が楽しくワクワクしながら取り組めるようにしてみよう!」

そう心に誓って二ヶ所でレッスンしてみました。結果は良かったなんてもんじゃありません。自己満足かもしれませんが、先生と生徒という関係ではなく、まるで文化祭の出し物をクラス一丸となって必死に練習しているような感覚が終始ありました。

2日後に本番を控えたリハーサルも、全員衣装を着けお膳立てが全て揃った中で皆が見せてくれた演技は凛々しく堂々として感動的でした。

誰が優れているとか誰が目立つとかではなく、皆がそれぞれに自分のすべきことに真摯に取り組んでいる姿は良い意味でのどんぐりの背比べ。皆んなツヤツヤとしてコロンとして思わず拾い集めたくなるどんぐり達をイベリコ豚に食べさせたら相当美味しいお肉が取れるのかしらねぇ…と妄想に耽りながら傍観しておりました。

あぁ、どうしても茶化したくなる衝動には困ったものです。。。

大腰筋を怪我しているイベリコ豚は早く皆と一緒に駆けずり回りたいのです。

全然まとまっていませんが、今日の気付きを以て、長く暗いトンネルを完全に抜けた確信を持てました。再び美しい景色を見せてくれた皆さん、本当に有り難う。
a0052916_00313685.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーーー

これはもう、ぼくにとっての告白でもあります。「先輩とか上司とか先生」などの「上の人」が、無意識でやっているズルいやり方についてです。こういう人たちは、よく、「下のもの」に、なにかをやらせてみたり、じぶんでやってみせたりして、「おまえもまだまだだな」などと実力差を見せつけます。ほんとに見事なものだなぁ、などと「下」は感心します。でも、これ、手品じゃないけどタネがあるのです。やらせたり、やってみせたりすることは、かならず「じぶんの得意なこと」なのです。足が速い「下のもの」と駆けっこなどしません。「そんなことも知らないのか?」と言う場合は、じぶんの知っていることについてだけです、もちろん。「じぶんも知らない」ときには、黙ってます。つまり、勝つ試合しかしないので、無敵なんですよね。ほとんどの「上」が、「下」に対してやってることです。

# by reijiro_kaneko | 2019-09-22 00:29

一難去って

幾度となくパーソナルトレーニング報告を書いておりますのでご存知の方も多いと思いますが、僕の身体はとても「ダメなボディ」でした。

ストレートネック、撫で肩、反り腰、仙腸関節が弛みやすい、O脚、扁平足…

今すぐダンスなんて辞めた方が良いレベルでのダメっぷりにトレーニングを始めた去年の今頃は何度もへこたれそうになっていました。

続けられた理由はただ一つ。

「悪い所にフォーカスせずに、他の良い所からの十分な連動を引き出して、本来悪かった部分の機能が向上する」トレーニングを教えてくださったから。

悪い部分を徹底的に集中攻撃されて、「そんなんだからダメなんだ!」と追い込まれたらきっとすぐに彼の元を去っていたでしょう。

勿論、ダメな箇所の指摘はそりゃあ残酷でした。何が悪いか伝えずに「これさえやっとけば絶対によくなりますから」という怪しい宗教みたいな要素は全く無く、「ここがダメですねぇ。じゃあそれはちょっと置いといて、試しにこれやってみてください。」と上手に誘導してくれて、「どうですか?何か変化はありますか?そうですね、これをやっとくとさっきダメだった部分が少し改善しますよね。」と動きながら自分で考えて応用出来るように導いてくれるのです。

そしていつも最後には「ちゃんと考えながら、ちゃんと要点踏まえて、ちゃんと運動すれば必ず改善向上しますから。」と優しいようで厳しい教訓を言い渡してくださる。

その言葉に背中を押されて二週間頑張って何か一つ新しいことが出来るようになって彼の前で披露すると、「あー良くなってますね。じゃあ今度はこれやりましょう。」と淡々と次のステージに連れて行かれる。

まあ、鬼、ですわ(笑)

いいもんですよ、51歳の中年教師がそのプライドをズタズタにされつつも明らかに日替わりで成長してる姿って。

困ったことが一つだけあります。

それは。

次のステージに行く前に必ずどこかしら怪我をしてしまう、ということ。

先日の「背中ギックリ」もそうですし、長年の反り腰で誤魔化していた臀部の硬さが腰椎を丸められるようになったことによって露呈してしまい今ではお尻のストレッチが地獄であることもそうですし、只今腸腰筋を負傷しています。

背骨がよくしなるようになったのにまだ残っている悪い癖で例えば腸腰筋だけを酷使してしまい、軽い炎症が起こってしまうのです。もうほんとに自分の身体の不器用さに腹が立ちます。トレーニング最中にブウブウ言ってたら、「仕方ないですよ。まだハイハイからやっと立った赤ちゃんみたいなもんですから。」と励ましてるのかバカにしてるのか分からない言葉が背後からヒラヒラと降ってきます。

よくもまあ一年も続いたもんだと我ながら驚きつつ呆れています。

お陰様で「ダメなボディ」が「そろそろ掴まり立ち幼児ボディ」ぐらいには成長しました。

このダラーンと引きずって歩いている左脚も数日後にはシャキーン!とアスリートな脚に完成していることでしょう。
a0052916_22251494.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-09-20 22:03

大嫌いな方がマシ

とても久しぶりにパソコンを開いてセレクトCDを作るべく数時間音浴をしてみた。

せっかく読み込んだのに全く聴いていなかった曲が沢山埋もれていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

アーティストは商業ベースに乗っかってある程度売れる見込みのある楽曲を営業的に生み出すことも多いと思うが、それでも彼らにとって大切な作品であることには変わりなく、「アルバムの中のこの曲はとても好きだけど、こっちはねぇイマイチなんだよねぇ」と軽んじられてしまう曲がごまんとある状況に対してゴメンナサイと思ってしまう。

そんな事を考えながら大量の曲を物凄い速さで早送りしつつ「聴く」というよりは「一瞬鼓膜に当てる」ような非礼極まりない聴き方をしている自分はどうなのよ?とフト考えた。

本当に自分のやりたい事だけを詰め込んだ振付など創ってしまったものなら、おそらく誰も「楽しむ」心境には導けないと経験上分かっているので、たまに「先生の真髄に触れたい」とお願いされることがあったとしても「怪我するどころか、きっとダンスなんて大嫌いになるから辞めておけ」をヤンワリと伝えることにしている。

あくまでも習い事、そして「適度なレジャー」であるべきダンスという見地に立って俯瞰し、楽しめることが前提で加えて怪我をさせない動きを提供することがプロとして至極当たり前だと思っているので、受講者の皆さんの目に触れる時点では自分のやりたい事の5%程度に希釈された嘘つき果汁グレープジュースみたいになってしまっているのである。

しかし、そんな薄まったジュースでも自信を持って販売している訳で、「今回の振付、なんかつまんないから行かなーい」とか「前に習ったことある振付と似てるからこんくらい動いとけばいいんじゃね?」と軽んじられると、憤りを通り越して「なんか、ほんと、つまんないモノしか創れなくてごめんなさい」という気分に陥る。

だから、そんな時は現状をこねくり回してなんとかしようと足掻かずに潔く新しい振付に変更してしまう。ほんの少しでも受講してくださる皆さんがハッとした顔になったりいつも安寧のスタンスで一滴も汗をかかない方がスプリンクラーのように汗をかいたり「はーい、お水飲んでくださいねー」と声掛けする前に我慢できなくなって走り去って蛇口に口を付けてガブガブ水を飲んだりする変化を生むために。

一方で、商品である振付の魅力を必死で説明するがあまり、同じく商品である自分自身の肉体が悲鳴を上げ無駄な八つ当たりを皆さんにぶつけなくて済む危機回避を早めに行うために。

今回も中途半端なタイミングで振付を変更しますが、そういうワケなのです。

今回の振付が皆さん全員のお気に召すとは決して思いません。とても大嫌いと感じる方もいらっしゃるはずです。でも、日々のルーティンとして軽く流されるよりは「あのハゲ、またナヨナヨした曲にキモい振付つけやがったよ、ほんとマジ勘弁、テメーが死ねっつうの」と思われた方がどれだけマシでしょう。

麻痺した感覚のローラー滑り台の上をゴトゴト滑っている方がよっぽど辛いのです。
a0052916_12024078.jpeg

# by reijiro_kaneko | 2019-09-20 12:02

ぎっくり背中

トンネルを抜けたらソイツは待ち構えていました。

このところ調子が良くてだいぶご無沙汰だったのですが、期せずして急遽再会することになってしまいました。

そう、彼女の名は「ぎっくり背中を引き起こす魔女」。
a0052916_16315090.jpg

「ぎっくり腰」は芸能人で例えるとタモリさんぐらいメジャーですが、「ぎっくり背中」はそこまで知名度は高くないと思います。

おそらく部位的にも近いため、首の「寝違え」の症状と混同していらっしゃる方が多いせいもあるかもしれません。

気になったので調べてみました。

【 ぎっくり腰 】は突然腰が痛くなって動けなくなる症状のこと。
主な原因がは腰椎捻挫や椎間板ヘルニア、筋膜の損傷によるものが多い。

【 ぎっくり背中 】は主に背中の筋肉の筋繊維や筋肉を包む筋膜が微細断裂を起こすことが原因で発症。状態としては軽度の肉離れのようなもの。

だそうです。「に、に、肉離れ…」と文字だけ読むとちょっと青ざめますが、トレーニングを積んでいると軽度の肉離れなんてしょっちゅうあるのでそんな大ごとでは無い気もします。

でも、呼吸するだけで痛いし、コーラを飲んだ後ゲップが出ないと苦しいし、床に落ちた物を取ろうと屈むとビシッと激痛が走ります。はい、完全に「怪我」ですね。

原因として考えられるものは、長時間同じ姿勢で身体が固まってしまったり、慢性的な運動不足が故、だそうですが、僕の場合運動不足でも同じ姿勢でデスクワークをしていたわけでもありません。

僕の場合の原因は思い当たります。

一年続けたトレーニングのお陰で背骨の可動域は明らかに増え、行える動作の種類は格段に増えました。しかし、やはり依然として苦手な動きや形もあるのにも関わらず、レッスン後で身体が十分に温まっていると意外とすんなり出来てしまう場合もあり、調子に乗って何度も練習してしまったりするのです。

二日前、よく動ける若い子がレッスンに来てくれたので「これは出来る?あれは出来る?」と色んなことをやらせてみていたら「えーっ?やったことないですぅ!」と言いながらどれも初チャレンジにして大成功。

骨格も年齢も違い過ぎて競うことがナンセンスなのは分かりきってはいましたが、「ようし!おじちゃんも負けないぞー!」と挑んでしまったのが敗因であることは歴然。

負け惜しみに聞こえるかもしれないのですが、今回のぎっくり背中は嫌な感じがしないのです。長らく動かなかった胸椎の1箇所がグリッと動いたがためにその周辺の筋肉が未だかつてないぐらいペロリと引き伸ばされた感覚があるのです。この怪我が完治したら念願のゴロゴロウネウネと床を転がる技が習得出来るかもしれません。

あー、、、でもやっぱり痛いものは痛いです。今日明日はこのツボを押しまくってゆるゆると生活します。皆さま、口先先生で申し訳ありませんがご容赦くださいね。
a0052916_16341440.jpg



# by reijiro_kaneko | 2019-09-13 16:31

灯台

a0052916_23090336.jpg

歩むべき道を照らしてくれた一番最初の人は紛れもなく両親であったと思う。

他の新生児達より少し低い声でオギャーと誕生し、今日に至るまで「俺達はお前のためにこんなに素晴らしい事をしてきたんだ」と自慢気に主張する親でもなかったので、特にそんなことを意識させられることもなくごく当たり前に生きてきてしまったけれども、よくよく考えるとやはり彼らの存在は途方もなく大きいのである。

そして今、幸いなことに僕には彼ら以外にも沢山の「灯台」の存在が居てくれる。

その「灯台」の導きがあってこそ、僕は幾つかの転換期を乗り越えてきた。

そして「灯台」の導きが現れる前には必ずどんよりとした厚い雲が垂れ込める鉛のような色をした不気味に凪いだ海が目の前に横たわる。

まさに今、それが再び出現している。

どうして糸井氏はそんな僕にチャンネルを合わせてくるのだろう…本当に怖くなるほど彼とのシンクロニシティには驚かされる。

たまたま、なのだろう。

友人でもなんでもないし、社会的地位からしてみれば彼は雲の上のお方。

ただ、これだけ絶妙なタイミングで啓示を与え続けて下さると、何か特別な関係が僕達の間に出来つつあるのかと錯覚しないわけにはいかない。

そろそろ、長いトンネルを抜けるはずだ、という感覚が強くなってきている。糸井氏も仰っているように、ここで変に焦って未来を見たがったり入り口まで後戻りしてみるのはやってみなければ分からないけれど、きっと実行したところで良くない結果が待っているであろうことも本能で分かっている。

だから、今はやるべきことを淡々とやるだけ。

少し時間に余裕がある木曜日には必ず100本単位の動画を観る。その最後に関連動画で流れてきたのがこちら。

Princeの音楽は未だに好みではないが、この「Cream」という曲はべらぼうに好きだった。セクシーな、というよりカッコいいおねえちゃん達がこれでもかと出演しているMVはVHSビデオテープが擦り切れるほど観た。

あれから数十年。久しぶりに観た「Cream」はやっぱり相変わらずカッコよかった。

ドキドキしている自分がいた。

もうすぐだ。

もうすぐ明るい丘が見えてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

・同じようなことを何度か書いた気もするけれど、次の段階にステップする手前で、激しい停滞感に襲われることが、よくある。身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、漠然とした不安に覆われてしまって、何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、周囲の散らかった状況が気になってみたり、親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、とにかく、いったんどんより沈むことがある。

ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、空が晴れるようにあかるくなってきて、新しい地点からものごとを見られるようになっている。そして、しばらく前のあの停滞感は、ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、気がつくことになる。

じぶんで何度も経験してきたことで、なおかつ、友人や知人たちの発言やらから感じとることでもある。次のフロアに出る前の、薄暗い階段の踊り場。気分はよくもないし、そんなところにいたくもないが、かならず通過しなきゃならないものなんだよね。その時期に、簡単に気晴らしをしてしまうと、前の階にもどっちゃうのか、そういうルールなのか、確かめたこともないので、いまだによくわからない。

「なんだかなぁ」などと、ちょっとぼやきながら、ちょっと辛抱して腫れぼったく過ごして、黒雲が風に流されるのを待つしかないのだろうな。

実を言うと、ぼく自身がここしばらくそういう時期で、どうしたものかと足取り重く生きていたのでした。ただ、長年生きてきた経験もあるから、次の階にやがて上がれるという自信みたいなものが、こころの奥にあったのはありがたかった。「停滞感」は悪いものじゃないと、これは、ほんとう。前を向いていながら足が動いてないと気づいているから、感じることができるものなのだ。で、いま、もう次のフロアが見えてきてるんだ〜。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。いろいろ、おもしろくなりそうです。接戦上等、苦労厳禁。

# by reijiro_kaneko | 2019-09-12 23:06

左官の垣根

「餅は餅屋」という諺があります。

分からないことはその道の専門家に聞くべし、その道の専門家が作るものが間違いない、等の意で使われる諺ですね。

これをきちんと守ろうとすると少々困ったことが起こります。

ダンスをご指導させて頂く際に、基本的な身体の使い方や振付の動きの順番や振付に込められた意味などを機械的に杓子定規的に伝えていると、誤った理解や身体の故障や想像力の欠損という弊害を生みがちです。

感覚の優れた(というよりは、ダンスや他のアートに通じている、というべきでしょうか)方々は、もし仮にマニュアルから外れない機械的な指導者に当たったとしても、その類い稀なセンスとテクニックで与えられた知識以外の広い領域にまで理解を深めてしまうことでしょう。

しかし、世の中、そんな方々は逆に珍しい存在。小さなことをコツコツと積み上げながら長い期間をかけて学ばなくてはならない方々の方が多い訳ですから、そんな風に一生懸命頑張っていらっしゃる皆さんの味方でありたい、と思うのです。

ここに「餅は餅屋」の例えがようやく出てくるわけですが、少しでも皆さんに理解を速めて頂いたりどうせ学ぶなら楽しく学んだ方が良いですよねぇという考え方の元、杓子定規に基礎練習をひたすら反復するのではなく、ダンスに一見何も関係ない例え話をしたりイメージが限定され過ぎないように日本語の歌詞の曲を極力使わない、などの工夫をなるべく沢山するようにしています。

つまり「餅は餅屋」から少々逸脱して、異なるジャンルの世界観を拝借しつつ本来の目的であるダンススキルの向上に結び付けようとしているのです。

しかし、それらの拝借するエピソード全てに関して僕自身がプロフェッショナルであるはずもなく、その殆どは深みのない聞きかじり、なのです。「一芸に秀でるものは多芸に通ず」が僕だとは口が裂けても言えません。ただ、感覚的にこれとこれを繋げたらより豊かな表現になるよね、ということを本能的に察知する力が少しだけ強いのでそのジャンルに精通していなくともなんとなく理屈がわかってしまう。故に、それを例え話として聞かされたらイメージ豊かに理解できるよなぁ、という誠に漠然とした感覚で皆さんに伝えてしまっているというわけです。

「餅屋」が聞いたらほとほと呆れてしまわれるような有り様ではありますが、この高田純次先生仕込みの「テキトー例え話」を面白がって楽しく学んで下さる方々が少なからず居ることを励みに台風一過の今日も「左官の垣根」をモットーに皆さんを巴投げさせて頂く所存です。
a0052916_11543539.gif


# by reijiro_kaneko | 2019-09-09 11:54

台風を待ちながら

例によって、台風が遥か南の海上にある時に堪え難い頭痛が起こり、「待っとけよー!今行くでー!」と新幹線並みの速さで東京直撃まで秒読みとなった今は嘘のように頭痛も去り、今日は久しぶりの完全オフを満喫しております。

本当にダラダラと過ごしました。

今日やったことと言えば、

・台風に備えてベランダの草花達を避難させたついでにベランダを綺麗に掃除
・消費税が上がる前にドラッグストアで膨大な量の日用品を購入
・廻る寿司屋でランチ
・昼寝
・ひまわりの種を収穫
・Amazonから届いたSuzanne Vegaのベスト盤をパソコンとiPod に読み込み
・Suzanne Vegaをはじめとして好きなアーティストの曲をうっすらとBGMで流しながら片っ端からYouTubeを観る
・作り置きしておいた餃子と素麺で夕食

と、こんな感じでした。書いてみて割と行動したんじゃないの?と思いましたが、ベッドの上でゴロンゴロンしている時間は結構長かったように感じます。

ダラダラ過ごすことに罪悪感を感じるタチではあるのですが、今日はほんとに好きなことだけして身体をしっかり休められたのでとても穏やかな気分です。

最後に今日鑑賞していたYouTubeチャンネルをいくつかご紹介してお別れです。

皆さま、どうぞご無事でありますように。

a0052916_21212789.jpg








# by reijiro_kaneko | 2019-09-08 21:08

素敵な勘違い

身体は時として防衛反応の一つとして素敵な勘違いをします。

最近、ある人から聞いた怖いけど興味深いエピソードをご紹介します。

夜の高速道路を一台のバイクが疾走していました。ハンドル操作を誤り中央分離帯に接触したもののその時点では何とかバランスを保ちそのままバイクは走り続けました。高速を降りいざ止まろうとした時に何故かバイクは転倒しました。

運転手の右の膝から下が切断されていたのです。

真偽のほどは定かではありません。しかし似たようなことは舞台でも度々起こります。本番中はアドレナリンが出ていて高揚感以外何も感じないのに、終わった瞬間にただならぬ痛みを感じ捻挫していたことに気付く。これも上記のバイク事故の話とソックリです。

怪我をした瞬間は何か他のことに無我夢中になっていて怪我をしたことに気付かず、冷静になって初めて痛覚が戻り怪我をした部位を視覚でも確認し更に痛みが増す。これはもう見事な脳と神経の連携プレーにほかなりません。

すごいですよねぇ。

なんて驚いてる場合ではありません。そういう事故や故障を未然に防ぐということが大前提であり、もし仮にアクシデントが起こったとしてもそれに対処できる知識と精神と肉体の鍛錬を積んでおかなければなりません。

病院の待合室で年配の方同士が病気自慢合戦をする光景はお馴染みだと思いますが、ダンス界も似たようなもので怪我自慢合戦は当たり前。ずっと不思議に感じていました。どうして「後悔」じゃなくて「自慢」になるのか、と。

おそらく「俺こんだけのことやってきたし、怪我してもおかしくないこと散々やらされてきたし、だからなるべくしてなったんだよ、これは謂わば勲章だな」という精神論が裏にあるのでしょう。

「安全に、なんて言ってビクビク守りに入ってたらダンスなんて巧くなるはずがない」という間違ったタテ社会の教えを律儀に守ったせいで皆さん40歳を越える頃には身体ボロボロ。

一理はあると思うんです。超絶技巧を極めようとしたら怪我も一つや二つじゃ済まないでしょう。そして、超絶技巧を手に入れたけれども半月板損傷で無理は出来ない、という方が過去の栄光を自慢したくなる気持ちもよく分かります。

しかし、致命的な怪我をしてしまったら折角の楽しいダンスも続けられなくなってしまうんです。

踊りたいのに諦めなきゃならない方々をこれまで沢山見てきました。その度にそうなってしまった状況を作った指導者サイドの一人として、申し訳なく不甲斐ない気持ちでいっぱいになりました。そして、怪我人大量生産教師の片棒を担ぐことだけはすまい、と堅く心に誓いました。

怪我をなさったご本人達は意外にもあっけらかんと怪我を笑い話になさっています。でもそれは心の底から笑っているかというと、決してそうではないはずです。笑ってないと惨めになるから笑っているのです。

どこか寂しそうな笑い方で怪我自慢をする方々を見るにつけ、どうせ見るなら健やかな笑顔が見たい、と思うのは人として当然のこと。心の底から充実感と共に溢れ出る笑顔が見たいからこそ、この仕事を続けblogも書き続けています。

だから、お願いです。

どうか、自己犠牲などなさらないでください。

先生が好きすぎて、先生の言うことを盲目に守ろうとしすぎて、先生の喜ぶ顔が見たくて、先生から飛ばされる檄が嬉しすぎて、先生の夢に貢献したくて、間違った方向に頑張ってしまって身体を壊す、なんて本当に時間の無駄。そして無駄な人生。

僕は「怪我をせずに効率よく且つ最大のパフォーマンスを引き出せる身体造り」のお手伝いがしたいのであり、それを引き出すために必要な様々な予備知識に関して「こんなの知らないなんて死ねばいいのに」と暴言を吐きつつ半ばショック療法で皆さんに千本ノックをしていたいのです。

どうか皆さん、高速を降りたら右脚が無かった、なんてことが無いように安全に楽しく身体と向き合ってコンディションを整えつつ、たまに立ち上がれなくなるぐらい正しく踊ってみてください。そこから見えてくる「誤作動の無い身体」と「素敵な勘違いの無い頭脳」を目指してみてはいかがでしょうか。

そんなことを偉そうに言ってるのに、本日撮影した勘違いカメラマン写真にてお別れです。
a0052916_21374898.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-09-06 21:37

好き

只今、3つの振付作品を抱えております。

フィットネスクラブのレッスンの成果を発表して頂く作品が2つ。そして、20代のセミプロ・ダンサー達への作品が1つ。

僕の中では対象がアマチュアの方であろうがプロであろうが、作品に向き合う熱量は全く同じです。よく「凄く踊れるダンサーさんに振付した方が先生もさぞヤル気も出るし楽しいでしょう?」と聞かれるのですが、営業トーク的には「いいえ、そんなことはございません」です。

「ヤル気」と「楽しさ」という2点だけについて感想を求められたら確かに自分の思い描く理想の動きを振付を渡した瞬間に目の前で次々と具現化してくれる才能豊かなメンバーと向き合う時間の方が表面的な「ヤル気」と「楽しさ」のダイナミズムって言ったらそりゃあ計り知れないものがあります。

でも先ほどの「いいえ、そんなことはございません」はあながち営業トークという訳でもなく、オットットとなってしまうアマチュアの、しかも年齢層も高めの皆さんと接している時間も限りなく愛しいものなのです。

「そこ、この間も言いましたよね?まだ直ってませんよ」という台詞の使用頻度は「おはようございます」や「いただきます」を凌ぐ有り様ではありますが、繰り返しお伝えしないと頭と身体で納得して頂けない場合は非常に多いですし、そもそも繰り返し注意されることそのものに喜びを感じてしまう皆様も一定数いらっしゃいますし、恐ろしいことに他人の不幸を糧に生きていらっしゃる方も不特定多数いらっしゃるので、その多様なニーズに応えるべく今日も声を枯らして「何度も申し上げて耳タコで申し訳ありませんが、つま先は綺麗に伸ばしてお膝の横にアロンアルファでくっつけたようにピタッとして例えそのまま転倒して救急車で運ばれている時もそのままキープ出来るぐらいにしてくださいね」と冗談混じりに言い続けようと思います。

しかし、表現の自由が保証されているこの国で、「レジャーと表現の自由が一体化した最適なツールの1つ」であるダンスが、様々な形で広く愛されている環境は本当に素晴らしいことだと思う一方で、「表現の自由」を免罪符に中途半端で安易な表現が蔓延っていることにも驚きを隠せません。

その程度の表現なら独裁国家では処刑に値するレベルかもしれない、という想像力は平和ボケと日常生活をやりくりすることで精一杯な状況と浅い知識によって何処かへ追いやられてしまいます。

でも、そんなこと言われても、生きていくだけで本当に大変ですよね。先行き不透明な未来に対して文句を言ったり自暴自棄になったりもしますよね。

だからこそ、「好き」と思えた趣味や表現方法に対して「こんなことに頑張ってどうなるの?」と懐疑的になりながらも仕方なく頑張っているうちに何やら楽しい瞬間が増えて、それが生きる活力になったらいいなと思うが故に僕も同じような内容を手を替え品を替えボソボソお伝えしているのです。

そうなんです、僕は「お節介」が「大好き」なんです。
a0052916_11195177.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーー

・ドタバタと忙しい日々が続いていたところに、「ジャムをつくれる時間ありそう?」と訊かれた。しばらくジャムを煮てないと思っていたが、なんとなく余裕がなくてそのまま過ごしていた。「いちじくをたくさんいただいたんだけど」、あ、いちじくのジャムは食べたいなぁ。「つくるつくる」と返事して、昨夜はジャムを煮た。いつこういうことがあってもいいように、ぼくはジャム用のびんを買い置きしてあるので、すべて出来上がって、いまは自然に冷ましている。こういう、どっちでもいいようなことを、ちゃんとしてなきゃだめだよなぁ。

昨日は「ほぼ日手帳2020」の発売日で、銀座ロフトでは、たのしい催しもスタートした。テーマは「好きから、はじまる。」で、「ヒロシです」のヒロシさんとの対談があった。初対面ですし、少々緊張気味だったヒロシさんも、話題がキャンプに及んだころには、もう、声が裏返ってしまうくらいノリノリで話してくれた。「好き」っていう感情は、ものすごいものだ。「好き」は、それぞれの人の大事な宝物だ。ありとあらゆるものを失ったとしても、「好き」があったら、そこから生きられる気がする。

じぶんの「好き」を、落ち込みきったところで、こころの水底から拾い上げる人もいるかもしれない。両親から、いつのまにかプレゼントされる人もいそうだ。好きになった人からもらったりもするだろうけど、失恋の相手から受け取った人もいるだろう。ヒロシさんが、対談の終わりかけのところで、「手帳のこと、話さなくていいんですか?」と気をつかってくれたのだけれど、そのときには「あ、いいです」と答えてしまった。話がおもしろかったから、それでいいと思ったのだ。だけど、いま、思いついたので、いま言うよ。「ほぼ日手帳に、毎日、好きについて書く」っていい考えだと思いませんか、と。「好きかもしれない」こと、もの、人、他いろいろ。それについて考えて、記しておくってよくない? 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「好きから、はじまる。」いいテーマだ。もっと広げよう。

# by reijiro_kaneko | 2019-09-06 11:18

ゆっくりと満ちてゆく感情

突然ですが、僕はヤカンでお湯を沸かすのをずっと見ているのが好きです。

ヤカンにお水を容れて火にかけ、しばらくは何の変化も無いように見えて、数分経つと突然蓋がカタカタカタカタと鳴り出し、「はーい!僕達沸いたよーっ!」と水の分子の大合唱が始まる。

この世の中、目に見えるものだけが、耳に聴こえるものだけが、変化の兆しとは限らず、何気なく見過ごしてしまっていることが実は大きな変化の序章であったりすることが沢山ありますよね。

それをサラリとアートとして具現化してくれる人が、例えばMax Richterという人だったりします。

過去に何度もダンス動画を撮ってYouTubeなどにアップしてきましたが、色々やってみた結果実は僕がやりたいことはデビュー作の「Like a movie」の最後のパートに集約されているのかもしれないと上記の動画を観て改めて考えさせられました。

ダンス動画としては面白味に欠ける、ただ歩いているだけの映像。しかし、そこにはある程度の時間経過と共に感情の揺らぎが発生し出し、被せられた音楽によってそれらの感情の温度は一定に整えられてしまうけれど、観る側の気分によって如何様にも読み取れる、そんな映像をまた撮りたいなぁと最近よく思うのです。

大好きなこのお方の動画もやはり同じような感覚を引き出してくれます。

こちらも後半で少しだけ女性が声を張る以外は不気味な程淡々と音が紡がれ、カメラは延々に周回しているのみ。

どんな人にも分かりやすい激情型の小作品を創ることに少々辟易し、巷に溢れる流行りのギュウギュウ詰めのダンス作品にウンザリしていたある早朝、この2つの作品に出会えたことはまたしても何かの引き寄せであることは間違いないと、僕の中でのゆったりとした潮の満ち引きが教えてくれている気がしてなりません。
a0052916_06544973.jpg

# by reijiro_kaneko | 2019-09-04 06:31

9月のstudio CASTは

いつのまにか毎月の課題曲参考動画をInstagramやYouTubeに上げる事が当たり前になってきておりますが、現在のところ大掛かりな映像作品制作は一時中断しているのでこれだけ丁寧な参考動画を創り続けられているという訳です。

ですので、また映像作品に取り掛かり始めたらプツリと毎月のお勤めをしなくなる可能性もございます。観られるうちにどうぞたっぷりとご覧ください。


ところで、皆さん、「みる」にも三種類ある事をご存知でしょうか?

よく使われる代表格は「見る」ですよね。目が不自由な方でない限り、当たり前のように日常生活で皆さんは「見る」という行為をなさっています。後から述べる他の「みる」と比べて非常に広範囲の意味をカバーし、使い勝手の良い言葉であることは間違いないでしょう。

スマホを見る、テレビを見る、他人の行動を見る、遠くを見る…などなど。

ちょっと脱線しますが、「視る」という漢字を使うと「見る」に少し強い意志や注意深さが上乗せされてきます。

では「観る」はどうでしょう?

「観賞」という言葉にこの「観る」が組み込まれていることからも、単に「見る」だけに留まらずそこに「見て愛でる、愉しむ」という気分が入ってくることはお分かりになりますよね。

最後に「診る」に至ってはもうお医者さんレベルだったり非破壊検査レベルでの精緻な「見る」行動となります。そこまで素晴らしい技術ではありませんが、僕達インストラクターもこの「診る」を普通に使っています。

またまた脱線しますが、「面倒を看る」時に使う「看る」もありますね。

ではそろそろ本題へ。

日常業務でもいっぱいいっぱいの筈なのに何故こうまでして参考動画を上げるのか、たまにとても馬鹿馬鹿しくなったり虚しくなったりすることがあります。

熱心にレッスンに通って下さる方々だからこそ、そりゃあもう意識は半端なく高く自分に厳しく勉強熱心な方々ばかりな筈だ、という幻想はとうの昔に廃棄処分いたしましたが、それでもやはり人間ですもの、冷酷無比になどなれるわけもなく自分に出来ることは何か無いか…と絶えず慮っているのです。

その1つの例がこの参考動画だったりするわけでして、何も前提知識がないままレッスンに参加されるよりは例え動画を見てチンプンカンプンであったとしても見ないよりはマシであろうと考えて、毎月コツコツと撮っては出ししているのです。

しかし、受け取り側からしてみたらたかがレジャーの1つであるダンスにそこまでの思い入れがある方ばかりではあろうはずもなく、大抵は「見る」に留まり、そこから更に数が減って「観る」方も存在し、ごく稀に「診る」方も居たり居なかったり…という構図が成立します。

でもね、変に偏った「診る」をされるぐらいなら単純明快な「見る」に徹して下さった方が僕は気が楽なので、「診てもらえない」ことを嘆くつもりは毛頭ありません。

ですから、今回の動画についても、これを「見て」下さった皆さんが一回「見て」十分だと判断されても、何度も「観て」楽しんで下さっても、スマホが通信制限かかるぐらい「診て」僕のウォーミングアップ不足に依るパフォーマンスの不十分さについて論文を書いて下さっても、再生回数を伸ばして下さることには変わりがないので全て感謝なのです。

義務教育にダンスが取り入れられダンス人口の裾野が広がったとは言え、依然としてマイノリティであるダンス業界ですから、とにかくどんな人の目にも触れる機会を増やさなくてはダンスの未来は安泰ではないと考えておりますので、例え「太極拳なのかダンスなのかよく分からない」という評価を得たとしても、露出しないよりは断然マシ!だと信じてこれからも動画を量産してゆく所存です。

またまた面倒くさい記事になってしまいました。「あのオヤジだかババアだかわかんねぇ奴がまたなんかホザいてるよ」と笑ってやってくださいませね。

かしこ。
a0052916_02111229.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-09-01 01:02

万全など無い

スポーツクラブ主宰の発表会に向けて2つのユニットが同時進行で毎週リハーサルを積んでいます。

全11回コースでスタートしたリハーサルレッスンも残すところあと僅か。振り付けやフォーメーションを覚えて貰う段階がようやく終わり、これからようやく正確な身体の使い方や音のハメ方を徹底的に指導させて頂ける運びとなりました。

何しろ、この出演が人生で初めての舞台出演となる方やとても久しぶりの発表会出演となる方が殆どのユニットですので、本当に皆さん大変な思いをされています。細かく創ると精巧なジオラマのような精密さを求める傾向にあることは重々承知しておりましたので、やりたいことの一割程度に簡素に構成して創ってはみたものの、それでもアタフタしてしまう人が続出する様を見ていて、「やはり、やりすぎたか…」と弱気になり、もっともっと簡単にまとめようかと思った時もありました。

でも、そんなチイチイパッパの発表会なんて観てて面白い筈がないのです。身内や知り合いの生温い「良かったよ〜」なんて冥土の土産になんてなるはずがないのです。

新しく覚えることより忘れていってしまうことの方が多くなる40代以降の方々に対して物凄く酷い仕打ちをしている罪悪感にも悩まされました。

でも、別に僕が彼らにすがりついて出演をお願いしたわけではないのです。皆さん、自分の意思でチャレンジしてきたわけです。

売られた喧嘩はキッチリ買うのが性分ですし、大喧嘩からの大和解を何よりも賛美するおめでたい男として、鉄壁のサポートを敷こう!と決めました。

リハーサルの後でダメ出しの長文が届いたり映像作品製作で培った編集技術を駆使しての参考動画が届いたりと、短いレッスン時間内ではフォローしきれない事を全員から「こんなにして頂いているのに下手クソなままだったら死んだ方がマシですよね」と悲鳴か誓いの言葉か分からないレスポンスを頂くぐらいこれでもかとやり尽くしています。

それでも全く追いつきません。

ダンスの経験値や身体能力や音感や生活習慣など様々な個人差があるカオスな集団をまとめるわけですから、そもそもまとめるという概念からして間違っていることにも気付きました。

しかしながら、もう笑うしかないダメっぷりを経験すると後には希望しか残りません。ダメなんだから良くしよう!そう思い立ち、先日はTutorial動画を14本皆さんに送り付けました。どんなにダンス初心者の方が観ても分かりやすいと感じて貰えるクオリティでカメラに向かって絶えず語り掛け、絶対に見過ごされることが想定される箇所に至っては壊れたレコード宜しく複数回反復説明をするという丁寧さ。
a0052916_15364035.jpg

a0052916_15364181.jpg

ここまでしても伝わらない人には伝わらない事は解っています。それはやはり「今だから」と「今じゃない」の話にも関係します。

そして、「世界の何を知っているか?」「リスペクトとは何か?」という次元の話も大きく関わってきます。

あ、でもその話はまたいずれ。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-30 15:32

今だから?今じゃない?

指導させて頂く立場にある者として、常に判断基準の1つに持ち続けている事があります。

それは、「今だから」と「今じゃない」。

受講なさる皆さんにはそれぞれの目的と目標があります。その多種多様なニーズに全て応えることは絶対に無理なことではありますが、100%満足して頂くのは不可能だとしても何かしらの楽しさや充実感を提供することは教師としての最低限の務めだと自負しております。

これを前提として、さて、ただのファッション感覚で受講なさる方々は除外しての論理を述べさせて頂きます。

安くはない対価をお支払いになって受講されるということは多かれ少なかれ「何かを学びたい、昨日の自分より成長したい」と望むのは当たり前だと思います。寧ろ、それが無かったら受講されるのはお辞めになった方がよっぽどご自身のためにも世の中のためにも良いと思います。

難しいのはここからでありまして、「何を、どんな風に、どの程度向上させたいのか?」という価値基準が千差万別。

無限に広がる銀河の如く、「ああしたい!こうしたい!」の要求に全て応えられるのは神でも不可能。

結果、皆さんから漂い出てくる比較的似通ったニーズを察知して「これをこうしたら素敵になりますよ」という提案をするのが僕の務めだと考えております。

対して、「これを言ってもおそらく聞く耳持って貰えないだろうなぁ…」と判断した事については潔く口を閉ざします。

もうお気づきですよね?

「今だから」言えることと、「今じゃない」ので言わないことを、割とシビアに分けているのです。

それは対個人でも異なります。この人にこれだけ言うけど、あの人には何も言わない、それは依怙贔屓ではなくて、当然の義務だと思いますし、自分の身を守る術でもあります。

僕の在り方に共鳴して下さっていて貪欲に吸収したいと望んでいてその方の心体状況が万全であれば、僕は歯に衣着せず良いことも悪いことも申し上げますし、逆にチャンネルが合っておらず多くを望んでいらっしゃらない方には真実の1%ぐらいしかお伝えしません。

勿論どちらにも一長一短あることは承知です。

沢山言ってもらえたから良いと思えることばかりではなく、逆にこんがらがって成長が阻まれることもありますし、何も言ってもらわない方が平和に楽しく生きていられる、ということもあります。

そんな配慮など全く持たずにスーンとクールな教師を貫いたり、雷しか落とさない熱血教師に徹したりしてればこんなめんどくさいことをウジウジと考えずに済むでしょう。

しかし、これは性分なのですねぇ。そして趣味と言っても過言ではないかもしれません。頭が痛くなったり胃が痛くなったりしながらも何かステキなお節介が焼けないかと日々悶々としているのです。

と、平和に落ち着ける終わり方に虫酸が走っているのも事実です。本当はとてもムカついてたりするのですが、この「ムカつく」という感情も自己暗示の性格を多分に有しているという分析はまたいずれ。
a0052916_12042050.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-08-30 12:00

課題曲披露&高円寺阿波踊り

はい、そろそろかしら?と嫌な予感がしていた方、命中です。

実はテスト飛行を昨日土曜日に行いまして、皆さんの反応が良かったので明日から正式にこちらの振付を課題曲とさせて頂きます。

久しぶりに小細工無しの王道リリカルジャズにて身体の隅々までしっかりと使って気持ちの良い汗をかいて頂けたら幸いです。

なお、今回は参考動画を久しぶりにInstagramに載せました。恒例となっておりましたTutorialは載せませんので、実際にレッスンに参加なさって僕の肉声と動きで理解を深めてくださいね。


さて、それはさておき、今日は高円寺に越してきてから初めての年に一度観たきりだった高円寺阿波踊りを最初から最後まで鑑賞、いや、観戦、でしょうか…とにかくほぼ全ての連を観尽くしました。

とは言ってもただ観ているだけの筈がありません。

折角一眼レフとコンデジを買い揃えたのですから、こんな格好の練習機会はありません。ええ、ひたすら撮影しておりました。

お恥ずかしいですが何枚かご披露いたします。お越しになれなかった皆様に少しだけお裾分け。
a0052916_23562812.jpg
a0052916_23563079.jpg
a0052916_23563391.jpg
a0052916_23563702.jpg
a0052916_23581358.jpg
a0052916_23590965.jpg
a0052916_00004546.jpg
a0052916_23591698.jpg
a0052916_23592057.jpg
a0052916_00005735.jpg
a0052916_00015912.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-08-25 23:45

夏バテを認めよう

年々耐久力とか持久力が減っている。灼熱の街を2時間ぐらい彷徨っただけで限界に達する。階段を駆け上がるとその後しばらくは息が戻らない。

昨日も、真っ黒に日焼けした笑顔の素敵な人力車のお兄さん達を軽く20人は目撃したが皆一様に疲れた顔など見せず意気揚々としている姿が眩しかった。

いやぁ、あんなの絶対無理ですわ。お客さんがひっきりなしに来る訳でもなかろうし、寧ろ待っている時間の方が長いであろう。ジリジリと照り付ける太陽がまるで人間ローストビーフをこしらえているような過酷な環境。

本当に心からアッパレと申し上げたい。

若さって良いよねぇ、夏バテなんて無縁でしょう?と昨日同行してくれたL君に尋ねてみたら、「え?僕、ついこの間まで夏バテでしたよ。しかも結構酷いやつでした。」とあっけらかんと言われる。

「ええええええー?若さって夏バテの天敵みたいなもんじゃないのー?」

そりゃそうですよね。個体差は歴然とあるでしょうし、何よりこの暑さ、夏バテしない方がおかしいですから。

かの糸井氏も夏バテされているご様子。それを聞いて何だかホッとしている僕。
a0052916_11332071.jpg

数年前までは誰かと同じ境遇だと聞かされても何とも思わなかったのに、ここ最近は親近感を覚えたり「おお、あなたもそうなのですか、ならばこれは安堵して宜しい事なのですね」とホッとしたりするようになっていて、例えは変ですが角を折られたバッファローの気分です。

ええ、相変わらず面倒くさい性分です。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

・何年か前、いまごろの時期のことだった。どうも、なんだかとても疲れている感じがある。短い時間ならなんとかなるのだけれど、長い時間、しっかりしていられないのである。目を閉じて、なんにもせずに横になっていたい。でも、休むというほどのなにかがあるわけじゃない。というようなことを家人に愚痴っぽく言ったら、「夏バテじゃない?」とかんたんに答えられてしまった。「え? 夏バテ?これは夏バテなのか!」ぼくはびっくりした。その3文字で表されたぼくの状態に、「ああ、そうだったそうだった」と納得することができなかった。これが「夏バテ」というものなのか、知らなかった。そういえば、なのだけれど、ぼくは夏バテというものを、自覚的に経験したことがなかったようだ。

しかし、翌年も、この時期に、そんなふうになって。これは去年にもあった不調だと気がついた。去年、指摘されたあの「夏バテ」というものだ。わかったら、ありふれた風邪を引いたときのようにけっこう気がらくになった。そしてさらに次の年も、この時期に「夏バテ」をした。ぼくはある年齢のころから、毎年「夏バテ」をする人間になっていたのである。

そして忘れもしない2019年、というか、今年。いつも目を閉じたい、頭痛のような感じがある、なにかを考えることが億劫である、ただただ眠い。来た来た、来ました「夏バテ」さんです。効かない効かないと文句を言ってたエアコンが、効きはじめたせいかもしれないし、なんやかんやで睡眠不足が続いているせいもあるが、やっぱり、季節の変わり目の体調の変化なのだろう。

とか、ひとりごとめいた文を力なく書いて、Macから目を離し、さっと振り向いてあなたに言おう。「どうですか、夏バテしてますか?」。おたがいお身体、お心、おいたわりましょうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。しばらくは、ゆるやかな小川のせせらぎのように生きます。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-23 11:31

浅草撮影会

足掻いております。

はい、写真の件です。ダンスを創る時にいつも悩まされるフォーメーションと同じことがカメラでも起こります。画角、というものに関してまるでセンスが無いのです。

思い返してみれば子供の時から注意力散漫だとよく通信簿に書かれていました。あっちにもこっちにも気移りして、結果一番大事なものを大事にしない。写真というものは撮したい対象にギュッと集中して撮らないといけないのに、周りのものが色々見えてしまってそれらもフレームの中に収めたいと思ってしまうらしいのです。10枚撮ったうちの8枚は対象物がハッキリしないボンヤリとしたスナップ写真という有様。

そんな僕が撮る写真に何故か反応して、記念すべき第一弾映像に出演してくれたR君から一緒に写真を撮りに行きたい!と申し出があり、「お互いの撮っている姿を観察していれば何かヒントが見出せるかもしれない…」と思って快諾しました。

因みにR君との映像をまだご覧になっていらっしゃらない方はこちらをどうぞ。
相変わらず稚拙な出来ではありますが、撮ってきた写真をどうぞご覧ください。
a0052916_20461514.jpg

a0052916_20461727.jpg

a0052916_20462043.jpg

a0052916_20475267.jpg

a0052916_20462680.jpg
a0052916_20474141.jpg

a0052916_20474445.jpg

a0052916_20474791.jpg

a0052916_20475025.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-08-22 20:42

慣れ方を習え

習うより慣れろ、という言葉がありますが、僕はこの解釈について一言申し上げたい。

確かに習うことだけ一生懸命やっていても応用力のないガチガチの石頭になってしまう危険性があり、その環境に慣れて世界観をしっかりと身体に馴染ませて学ばないと本末転倒、という意味でこの言葉は存在すると思うのだが、「慣れろ」の解釈を間違うと折角の格言も無用の長物。

「慣れる」プロセスの中に「だれる」「甘んじる」「審美眼が衰える」の三大悪が混入してはならないのである。

長らく学びの場に居ると、どうしてもある程度「わたしはこれだけ学んだし、まぁいいか」と自分を甘やかす思考に陥りがち。上を見たらキリが無く幾らでも成長出来る余地はあるのに、程々に出来る自分を良しとして成長しようという意思を捨ててしまう。そして、与えられた課題をダラダラとなぞって満足する。

ダラダラとなぞって満足することも別に悪いことではない。「継続は力なり」という新たな美徳によって護られるからだ。しかし、そこに「加齢」というブラックホールのような恐ろしい概念があることに多くの人は気付こうとしない。いや、その恐ろしささ十分知っているからこそ気付きたくないのだ。「加齢」は残酷だ。継続で得た力をゼロどころかマイナスにしてしまうほどの驚異的なパワーで「維持」では済まされず容赦なく「劣化」させるのだから。

この「劣化」を食い止めるために僕は己の身体を犠牲にして日々毒舌を吐いている。何もそこまで言わなくても…と思うことも敢えて口にする。ブラックホールに吸い込まれそうになっている宇宙船の操縦席で、「私はまだ飲み込まれる訳にはいかない!」と操縦桿を握っている人のために。

思い返せば、数年前まで僕は慕って集まってきて下さる皆さんを甘やかしてきた。甘やかしていたつもりはなく、個人の意思を尊重し自由にのびのびと学んで貰おうと配慮した結果だったのだが、まるでゆとり教育の弊害よろしくボウボウに生えた雑草だらけの庭状態になってしまい、これはイカン!と方針を変更。

「慣れる」など有り得ない。常に新鮮な学びが無ければレッスンを受ける意味などない。目から鱗が剥がれ落ち続けて目玉が消滅してしまうぐらい膨大な気付きを提供出来るようにいつでも自身が邁進していなければならない。

去年からパーソナルトレーニングを始めたのも、今年から映像作品を何本も撮っているうちにカメラにハマってしまったのも、自分の在り方を根底から見直す良いキッカケになってくれた。どれも頑張って体当たりで臨むにも関わらず、上手く行くことの方が少なく、大抵は敗北感を味わうことになる。そんなダメな自分が恥ずかしいから次に同じことをやる時は失敗しないように歯を食いしばって臨む。これこそが「慣れる」ことだと思う。

こんなことを2日かけて書いていたらまたしても糸井氏の言葉が奇跡的なタイミングで降ってきた。

心の中を覗かれているようでなんだか恥ずかしい。
a0052916_13120790.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・よく、「失敗」が大切だと言われるのだけれど、どうしてそれが大切なのか、じぶんに説明できたことがあったろうか。人には言える、平気で言えるし、信じつつ言える。「失敗が、なにより大事な経験になる」と説ける。

しかし、じぶんの失敗については、納得しないままに「失敗も経験だから」と、慰めるように、あるいは半ばあきらめたように、思いこむことが多いような気がする。

ずいぶんと大人になってから、「失敗」が大切な宝であることが、わかるようになる。いろんな大人が、それを教えてくれると思うが、ぼくにとって、いちばん簡単な説明とはこういうことだ。「失敗は、やろうと思ってできないから」、これだ。やろうと思ってする「失敗」、というものはない。やろうと思って、うまく「失敗」ができたとしたら、それは、ただの「計画の成功」だ。だれも「失敗」なんかしたくないし、どうやって「失敗」しないかさんざん考えているのに、してしまうのが「失敗」だ。つまり、「失敗」というやつはうまくいくための「計画の網の目」をかいくぐって、やっと出現してくれる「貴石(奇跡)」なのである。

「失敗」と出合って、そこで終わりにならなければ、(できたら元気に)生き続けてさえいたら、「あの失敗があったおかげ」に気づくことになるだろう。あらゆる周到な計画も、いかにもでっかい夢も、「失敗」という宝に出合えぬままでは、ありふれた「ただの成功」にしか届かないだろう。

「失敗」という「貴石(奇跡)」は、運命と呼ばれる「つながり」のなかにあって、ひときわ輝く宝石である。ほしいと思っても与えられぬ宝の石だ。こんなものさえなかったらと忌避されていたのに、それがあったからこそ、すべてがつながってくれる。「失敗」のある人生にこそ、感謝と歓喜を。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。気取って書いてますけど、なにかあったわけじゃないです。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-18 13:09

必要な痛み

首が痛いです。

昨日のレッスンで「本当はここまで身体を追い込んで踊って欲しい!」と己の身体を酷使して何度もお手本を見せつつ皆さんに気付いて頂こうと必死で力説したが為。

頭も痛いです。

僕はレッスン中、かなり目を酷使しています。それに気付いたのもこの数年なのですが、もともと視力が極度に弱いのにもかかわらずコンタクトレンズ越しに被写体が焦げるぐらい目を凝らしているせいで、特にあやふやな人が多いクラス後は眼球が岩かと思うほど硬化してしまい、血行不良で頭も痛くなります。

でも胃は痛くありません。

感情的にキイキイとわめいた後は胃のあたりがズーンと重くなり、腸の動きも鈍くなり、身体中にガスが溜まります。しかし、キイキイ言わなくても皆さんに通じた時はとても爽やかな体内環境になります。昨日は確かに最初こそあやふやな人は多かったのですが、熱血指導に徹していたら「死ねばいいのに!」と感じてしまう人など一人もおらず、充実感しか残らない素敵なレッスンになったので首と頭はズキズキしてますが、首から下と心はとても健やかです。

そんな時に流れて来る大好きな糸井氏のエッセイのホッコリ加減に完璧に癒されました。 

a0052916_11303672.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・人は、夏になると海に泳ぎに行きます。ぼくも何度も行ったものです。人でいっぱいの砂浜や海を見て、「何十人もの人間がCをしているんだよな」と、だれかが言ったりします。そうかもしれないとも思うのですが、なんか感じわるい。でも、ぼくにはそれを否定することもできませんでした。

しかし、大人になってから、その言い方には、ちょっと矛盾があると気がついたのでした。否定するというより、その矛盾をどうするかが問題です。まったくきれいな水で泳ぐにはどうしたらいいのか? そこに答えはあるのかよ、ということなのです。人体のすべてをきれいに洗ってから、水に入る? もちろんウォッシュレットみたいなものも、激しく使っておいてもらいましょう。海中でCやら、ましてやUなどしないのは前提ですよ。暑いからって汗をかいている人にも遠慮してもらいます。他人の汗なんて、口に入ったらいやですからね。それでも、じぶんの人体の汚れは水に溶けこみます。そのことはいいのか、とも思います。すでにもう、かなり無理なことに挑戦しているのです。しかし、その前に、海中のタコだとかイカだとか、イワシだとかマンボウだとかフナムシだとかは、大いに、自由にたれ流してますよ。CもUも我がもの顔でひり出し放題ですよ。さらに、魚たち死んだりして死体を浮かばせてます。ぼくは、これでもライトに表現しているつもりですが、クジラあたりがするUはものすごいらしいですよ。「それは自然だからいいんだ」と言われても、思えば人間のCもUも自然ですからね。

つまり、理屈できれいと言えるような海で、現実の生きものである人間が泳ぐことなんかできない。多少のきれいでないものも含めて世界なんだと、ある種の諦観を身に着けていくしかないんですよね。

「この海でたくさんの人間がCをしている」への返事は、「そうだなぁ」の一択で、そのまま海に入るのです。ぼくらは、観念の世界に生きてるわけじゃないので。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。それはそうと、あなたは海でCをしましたか? ぼくは…。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-16 11:30

イイ人

a0052916_14322142.jpg


他人には「イイ人ぶるの辞めない?」なんて偉そうに言うくせに、さて自分のこととなるとやっぱりどこかで「イイ人」の仮面を被っているわけでして。

本当はイイ人でも何でもなくてあらん限りの悪態とか平気でつくし、世のため人のためになんて生きていたくないというのが本心だったりもするんです。

それを取り繕ってオブラートに包んだ物言いして波風立てないようにしてひっそりと生きていることにある日突然嫌気がさして大噴火を起こし、それはものの見事に周りに人が居なくなります。

そりゃそうですよね、当たり障りなくふんわりとイイ人ぶってるから、傷付きたくない表面的に生きている人ばかりが周りに集まってきて、突然「寄るんじゃねぇよデブ!」と悪態をつかれるわけですからねぇ。

しかし、50を越えてまだそんなことを繰り返していたらそれこそ本物の老害。だ〜れも寄り付かない偏屈爺で余生を過ごすのは幾らアウトローの僕でも寂しすぎて耐えられそうもありません。

ですので、過去の失敗を教訓にして大噴火を起こす前にほぼ毎日小噴火することで甚大な被害を避ける術を身につけました。

思い返せば何故そんな事まで我慢して言わずしてナァナァにしていたのか、今となっては苦笑することばかり。

スポーツクラブに通っている、しかもダンスなんてルックスが非常に大切になる種目にも関わらず、大した努力もせずにポヨポヨお腹でヨタヨタ踊り「せんせぇーい、腰が痛いのよー。どうやったら治るの〜?」とすがってくる方々に「そうですねぇ、こんな体操を無理なく続けてみてはいかがですか?」とやんわり助言していたあの頃が懐かしい。

今では一刀両断。「え?デブだからですよね?痩せれば治りますから。」

せっかくYouTubeで参考動画を上げても実際のレッスンでそれを活かしている人はごく稀。やっても意味無いんだから嫌になって暫く動画を上げないと「せんせぇーい、動画載せてくださーい!何もお手本が無くてレッスンに参加するの緊張するんですぅー」と直談判。どんな方でも僕にとっては「お客様」であり、理不尽に辛く当たるのもどうかと思っていたので「ちょっと忙しくて動画を撮る暇がなくて今回は載せてないんですぅ。ごめんなさいね。頑張って実際のレッスンでモノにしてくださいねー!ニコニコニコ」とやんわりお伝えしていたあの頃が懐かしい。

それが今じゃ「は?そんな風にチンタラやってるんだったら死ねばいいのに。」

昨日の某店でのレッスンで僕は何回「死ねばいいのに」「そういうのほんとムカつく」と言ったことでしょう。それぐらいほんとにムカついたし、半分本気で死ねばいいのにと思いました。

でもね、死んじゃダメですから。

死んじゃうのはダメ。死ぬ気で頑張るのはヨシ。

あまりにも「死ねばいいのに」を連発するので皆さん爆笑するしか手立てがなくなり、それでも笑って済まされない状況らしいと察知し、最後の頃には見違えるように逞しい踊りを披露してくださいました。

「死ね死ね」言おうが、最後にはちゃんと結果を出してこその暴言。そこが成立していないとただの悪口。どうしても伝わらない場合には身体の中で変な音が鳴りながらも身を削って見本をお見せすることで、単なる口が悪くて生徒を奴隷としか見ていない先生にはならないように自分を律するのはプロとして当然の在り方。

ええ、テメーのケツはちゃんとテメーで拭きますから。

そこは何とか皆さんと共有できているからこそ、こんなにも長きに渡って沢山の皆さんがご愛顧下さっているのだと思います。

加えて、こんなにも毎日思い悩むネタを提供して下さる皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

大脳皮質がツルッツルで死ぬのだけは死ぬほど嫌ですので。

それでは恒例となりました糸井氏のエッセイをどうぞ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

・「いい人」ということばには、いろんな意味があります。どういう人が「いい人」なのか、定義するのも、なかなかむつかしいでしょう。でも、とても具体的なだれかについて話すとき、ぼくらは「あの人はいい人だねぇ」と言ったりします。他の人もそれについて賛同してくれたりもします。つまり、「いい人」を探すのは簡単じゃないけれど、結果的に「いい人」であると認められる人は、たしかに存在するわけですよね。

じぶんのことを「いい人」だと判断するのも、たぶんとてもむつかしいことです。じぶんが「いい人」のようなふるまいをしたことだとか、「いい人」と言われるようなことをしたことだとか、じぶんで知っているとしても、その「いい人」としてのふるまいの前に、なかなかの悪いことを考えていた…というようなことを、じぶんだから、知っているんですよね。どこかで、ぼくらは、「いい人」は悪いことを考えないと思いこんでいる。実際に、ほとんど悪いことを考えないような純真な「いい人」も、具体的にぼくらは知っています。そういう人ってほんとにいるんですよ。それと比べたら、もう、たとえばぼくなんか、悪いことだっていやらしいことだって卑怯なことだって、考え放題、思い浮かべ放題だとも言えます。なるべくこころ美しくして、悪いことを考えないように練習してきたようなこともあるけれど、じぶんの知っている実際の「いい人」の前に出たら恥ずかしいほど「非いい人」なんですよ。

ただね、そう思うときに、想像力で仕事をしている作家たちのことを思い出すんです。人の悪や、世の地獄を余るほど描いたシェイクスピアは、「いい人」じゃないということになりそうだけれど、それはそれで「いい人」かもしれないよなぁ、と。別にシェイクスピアが「いい人」でなくてもいいんだけど「いい人」かどうかというのは、こころの問題ではなく、なにをしたか、どんな態度でいたかじゃないかなぁ。というようなことを岩田さんと話したことがありました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。やっぱり「どういう人でありたいか」が、いちばん大事か。

# by reijiro_kaneko | 2019-08-11 14:30

撮らない勇気

写真を趣味にして良かったと思うことの一つに、「思うようにイイ写真が撮れないのは、自分のせいだ」と思えることです。

なんだ、そんなの当たり前じゃないか!と思われる方も多いと思いますが、そうなんです、ほんとに当たり前のことなんです。

確かにカメラの性能だったり被写体が良くなかったりするという原因もあるでしょうけれど、それはもっともっともっともっと後で出てくる不満であるべきで、ド素人の今はとにかく何も分かってない訳ですから、失敗するのは全部自分のせい。

それはね、案外カメラのことだけに限らないんですよ。

人とのコミュニケーションが上手く行かない時は大抵自分に非があると思って間違いない。相手に非があると決め付けて自分は頑固に貫いていたら拗れることの方が多いのです。

カメラで例えると興味のある被写体にカメラを向け距離を測り画角を決め色味を決めピントを合わせてシャッターを切るかどうか少し悩む。

それと同じ事を果たして人と接する時にやっているだろうか?と考えてみると、全ての段取りが上手く行くなんてことの方が珍しいのではないか?とさえ思ってしまう。

まず、その人に興味を持てるのか・そうでもないのか、好きか嫌いかのベクトルがハッキリとしているほど近寄ったり遠ざかったりすることが普通、どのようなシチュエーションでその人と相対するのか、どんな口調や論理で話そうと心算をするのか、いざ決戦をどのタイミングで始めるのか…

これを割と頻繁に且つ瞬時に判断して仕事に臨んでいる僕のような人間は余程シビアに線引きをし脳をフル回転しておかないと呆気なく心は疲弊し切ってそれこそ引き篭もりになってしまいます。

昔はよくそうなっていました。理由は簡単です。「その被写体には興味がないから撮らない」という選択肢があることを知らなかったからです。

または、「キッチリとピントを合わせたシャープな写真を撮る」のか、「わざとピンを甘くしてフンワリとした写真を撮る」のかの選択肢も持ち合わせていなかった、というのもあります。

困っている人がいたらとことん付き合って解決出来る策を一緒に練ったり、ただのファンでしかない人に対して誠心誠意ダンスが上達するためのお手伝いを勝って出てみたり、本当に上達したいが為に熱心に通ってくれている人に対してピンボケのアドバイスをしてしまったり。

全てトンチンカンで裏目に出てしまうことばかりしていたのです。

街角で出逢った素敵な被写体にカメラを向け、撮れた写真を見て「おっ!いいな!」と思えたらその時はきっと全ての段取りが上手く行って無心で臨めた時。「うーん、なんかビミョウなんだよなぁ…」と思ったらそれはきっとセッカチにシャッターを切ってしまったり変な欲が出て過剰な演出をしてしまった時。

もっともっと無心で「これだ!」という写真しか撮れないぐらい上達したいものだと願いつつも、やはり失敗するからこそチキショウ!絶対上手くなってやる!と奮い立つ訳なのでそれもまたよし、と思います。

これからは「撮らない」と決める勇気も持ちつつ、「どう撮るか?」の厳しい選択もしつつ、楽しく有意義なカメラ道を究めていきたいと思います。
a0052916_08225555.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-08-10 08:20

高級コンデジデビュー

一眼レフを買ったは良いものの、完全オフ日が年内はほぼ消滅してしまいフル装備でロケハンに出掛けるという至福の喜びが当分お預けになってしまったので、写真や動画を頑張って撮って技術を磨く機会が激減しすっかり意気消沈しておりました。

平たく言うと、一眼レフは重いしかさばるし三脚やジンバルなどの他の機材も携行するとなると、通常業務の日に片手間に、なんてことは不可能、ということなのです。

「どうせ写真や映像を撮るなら良いカメラで撮りたい!」と考えて、春ぐらいから猛烈な勢いで下調べをして、価格と性能の折り合いがつくCanon Eos Kiss X9という一眼レフ機を購入し、画角や性能の異なる数本のレンズも買い揃え、これらで撮れる絵にはほぼ満足していたのです。

しかし、何せ一眼レフなものですからひょいと気軽に持ち出せない。加えてこの猛暑。機材でパンパンになったリュックのベルトがギチギチと肩に食い込み、背中に汗疹を大量にこしらえて、なんてことをしてたら流石に平常業務に支障をきたします。

なんか良いものないかなぁ…と当て所もなくYouTubeやSafariを徘徊すること1ヶ月。とあるカメラが不意に目に飛び込んできました。

Canon G7X Mark II
a0052916_16033596.jpg

このカメラは所謂「コンデジ」と呼ばれるタイプのカメラで、現在はスマホカメラの飛躍的な性能向上の煽りを受け、少々肩身の狭い境遇にある市場の製品。しかし、最近のコンデジ業界はわざと高価格帯の商品を打ち出し「一眼レフ並みの性能をスマホ並みのお手軽さで」を売りに一定数のニーズを潤すことに成功しているようです。

昔一時期使っていた一万円前後のコンデジにあまり良い印象が無く、正直「一旦一眼レフに手を出してしまったのに、今更コンデジに戻るなんて屈辱に耐えられるだろうか?」と激しく悩みましたが、色々調べるうちにデジタルカメラの心臓部であるセンサーサイズが重要な鍵を握っている事実を知り、コンデジの中には一眼レフと同じサイズのセンサーを搭載している機種があり、ぷらっと気楽に持ち出せてそこそこ綺麗な写真や動画を撮る目的であれば十分過ぎる性能を備えていることを学びました。

そうなるとまた話は変わってきます。先ほどのCanonのコンデジは手ぶれ補正もよく効いてCanon独特の色味もしっかり再現され、何よりもコンパクトで軽量。実際店頭で手に取ってみて何枚か写真を撮ってみましたが何かシックリ来ない。なんだかなぁ…と思いながらチラッと横を見るとそこに奴は鎮座していました。

まさに運命の出会いでした。

ファインダー越しの絵も液晶パネル越しの絵もこれこそまさに脳の中を銃弾が突き抜けるような衝撃的な感動。Fujifilmってなんだかダサいよね、と食わず嫌いしていたことを猛烈に反省。言われてみればフィルムカメラ時代は皆さん相当お世話になった筈だし、フィルムメーカーが作るカメラなんて良いに決まってる筈なのに、きっと「富士フィルム」というレトロな名前がこのただれきった大脳皮質に「ダッセェからやめたほうがいい」と暗示をかけていたのでしょう。そんな呪縛を断ち切ってすっかりこのカメラに魅せられ、それからというもの寝ても覚めてもあらん限りのリサーチをし呪文のように「X100F」と唱え続け、昨日のパーソナル中もずっと「これが終わったらカメラ買いに行く!」と呟いて頑張っていたらトレーナーの失笑を買いました。

新宿の中古カメラ販売店にいそいそと向かい、親切な店員さんと相談して比較的状態の良いものを選んで頂き、晴れてこの子を我が家に迎えることと相成りました。
a0052916_16032391.jpg

あまりにも可愛くて寝るときも枕元に置いていたほど。そして、今日の長距離移動dayには勿論お供。普段見慣れた景色がファインダー越しだと全く違う表情を見せてくれることに新鮮な驚きの連発。シャッター音が異様に小さいのでアングルに依っては盗撮疑惑を掛けられても仕方がない撮り方をしてみたり。

撮った写真はどこかで見たようなオシャレ写真の完璧な真似ですし、画角も甘すぎたり攻めすぎたり、ピントも残念なものばかりですが、それでもこれだけの力を感じられるは写真が撮れることは本当に素晴らしい。

富士フィルムさん、今まで邪険にしていてごめんなさい。これからは大好きになります。
a0052916_16035798.jpg

a0052916_16051541.jpg

a0052916_16040024.jpg

a0052916_16040275.jpg

a0052916_16040333.jpg


# by reijiro_kaneko | 2019-08-09 16:02



ダンサー兼インストラクター『金子礼二郎』が気ままに呟いています。
カテゴリ
タグ
最新のコメント
うーん、怪我ですか。心配..
by Annie at 14:33
yukiさん ほん..
by reijiro_kaneko at 12:10
慣れです、慣れ。 がんば..
by yuki at 11:49
ハニョポンタさん ..
by reijiro_kaneko at 22:59
昨夜アバターを観てきまし..
by ハニョポンタ at 13:29
ふぁるさん 初めま..
by reijiro_kaneko at 12:41
初めましてです。 私も..
by ふぁる at 02:15
ひさえさん おー!..
by reijiro_kaneko at 23:54
H先生、以前カザミアで受..
by ひさえ at 15:03
美保子さん とても..
by reijiro_kaneko at 11:23
以前の記事
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
フォロー中のブログ
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧