人気ブログランキング |

【礼二郎のつぶやき】

<   2019年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

え?モデル?

はい、本日もパーソナルトレーニングの日で御座いました。

後に控える若者リハーサルの振付が頭の中で定まっておらず、加えて前日の激務のツケが最高潮に身体に来ている中で受けるトレーニングですので、過去最高に嫌気が差していました。

しかし、そこで予約をキャンセルして体力を温存するのは『逃げ』だともう1人の真面目な自分が演説を始めたので渋々意を決してトレーニングすることにしました。

右腰と左足首が痛いことを告げると、何故そうなってしまうのかをトレーナーが分析しトレーニングフォームを細かくチェック。結果としてあれよあれよという間に痛みは激減し、いつもの全身運動による心地好い疲労感でトレーニングを終えることが出来ました。

タイトルにありますように、僕の身体は微かではありますがこちらのモデルさんのように歪んだアライメントになってしまっています。
a0052916_00014869.jpg

右の腰は反りやすく、左足は小指に重心がかかっていてO脚が顕著。

トレーニング最中に幾度となくトレーナーにその歪んでしまう部位を口頭で指摘されたりスッと触られたりする瞬間には修正出来るのですが、気を弛めると直ぐに元に戻ってしまいます。

言うことを聞かない身体を情けなく思い、ぶつぶつ独り言を言っていると、『そうは言っても指摘すれば直ぐに直せますし、それ以外のことはメチャメチャ成長してるじゃないですか!』と珍しく彼が誉めてくれました。

そうなんです。出来ることは本当に増えているし、それぞれのフォームも以前とは別人のように正しく綺麗になっているのです。

だからこそ、普段の生活やレッスンの中でこの歪みを修正しきれていない事実が悔しいのです。

敬愛するボブ・フォッシー氏は酷い歪みを抱えながらも、あんなに素敵に踊っていましたし、その歪みを上手く魅力に変える才能の持ち主でした。

彼に憧れてダンスを始めたと言っても過言ではありませんが、自分は歪みを利用できていないどころかそれが故に身体が不調を訴えることしばしば。。。

ならば、もう完璧に左右差を無くし、究極にコントロールされ尽くした身体を目指した方が少しでも長く仕事を続けられる、そう信じて今日はくねったモデルのイメージを頭から消し去り、エヴァンゲリオンを頭の中に描きながらトレーニングに集中しておりました。

というわけで近い将来僕の身体はこうなります。皆様、ご期待ください(笑)
a0052916_00013591.jpg


by reijiro_kaneko | 2019-01-31 23:38

『Play』

はい、昨日大見得切りましたのでその責任を取って『Play』購入し早速観賞しました。
a0052916_11563026.jpg
皆さんにご紹介したものの、自分の眼で全編観ていないのに『一を聞いて十を知る』能力アピールを幾らしようと信憑性ゼロだわぁと恥ずかしくなり、持ち前の異常な執着心と引きの強さをフル活用して調べまくり、その割にはアッサリと最寄りのタワレコに在庫があることを突き止め嬉しさにモジモジしながら引き取りに行きました。

尊敬する振付家の作品を観る時は必ずと言って良いほど無意識に正座で観てしまうのですが、昨日も足の痺れに気付いた頃には二時間近くの作品が終わっていた、というどうでもいい情報(笑)

三回号泣しました。
幾度となく感嘆の唸り声をあげていました。
カーテンコールでは号泣を通り越してずっと頭を抱えていました。

それぐらい、今の自分にとってタイムリーで貴重で愛しい作品でした。

某大手バレエ用品販売店の舞台批評欄では少々偏った評価をされていたこの作品、僕にとっては宝物でしかありません。

時代は超絶技巧と執拗に繰り返される小賢しい動きと暴力的な音楽ばかりが持て囃される世の中ではありますが、Alexander Ekmanはそんな世に在って古き良き時代の継承者であり同時に同時代性の先駆者でもあります。

人間の美しさと愚かさを両極面から愛情深く観察しありのままを舞台に載せることが出来る天才であり、それがギリギリで稚拙にならない細やかなバランス感覚を以て装置・衣装・照明・音楽を配置します。

どの要素も飛び抜けて主張し過ぎることはなく、西洋人が創ったとは思えないどこか東洋の奥ゆかしさも感じさせます。

限りなく映画に近付いてはいますが、映画と舞台の決定的な違いであるスクリーンは完全に存在せず客席との一体感を大切に創られていることが分かります。

お分かりですね、大絶讚です。

某大手バレエ用品販売店(しつこい)の批評では動きに目新しさは無く単純な振付の応酬で退屈という酷評を書いておられましたが、動いてナンボ斬新でナンボ盛ってナンボな風潮に本当に嫌気が差している身としては単純に『そーお?』と感じます。

攻撃的な動きをギュウギュウに押し込んだ刹那的な快楽を提供する作品、うすっぺらい切ない感情をヒラヒラとなぞって『ね、あなたもそんな時あるでしょ?こんな風にダンスに想いをこめて気持ちをシェアして一緒に浄化されようよ!』と訴える作品、人間離れしたスーパーテクニック満載でストーリーや情感は二の次の目眩ましで驚かせ続ける作品、そんなものばかり観ていると脳は麻痺し退化し短絡的になりどんどん哲学的に思考する力を失っていきます。

でももしかしてそれは世界の意思なのかもしれません。深いことは考えさせず常にアドレナリンを放出させ続け心の襞をのっぺりと平らにしひたすら攻撃的な人間を増産させることでこの種が滅ぶ布石を打っているのかもしれません。

あぁ、恐ろしいことを口にしてしまいました。

しかしこれはずっと考えていることの一つでして、紛れもない本心です。

そうならないために、世界に疑問を投げ掛けるために、一人でも多くの人々を喚起するために、僕は作品を創っているつもりはありません。そんな大それたことは国のお偉いさんがやれば良いことで、僕ら平民は汗水垂らしてただただ働いてればいいのです。ですから、僕はただ独り言を言ってるだけなのです。


by reijiro_kaneko | 2019-01-28 11:03

『十を聞いて一を知る』

はい、タイトルをお読みになって、『あれ?間違ってない?』とお感じになった方々、正解です。

正しくは『一を聞いて十を知る』ですよね。

しかし、そんなことはなかなか容易く出来ることではありません。経験を積んで世界のトップを走り続けている人でさえ一を聞いて十を知るなんて到底出来ないこと。どうしてこんなハードルが高い諺が出来たのか、人間の底知れぬ理想の高さには辟易します。

僕はそんな理想を掲げるよりもしっかりと現実と向き合って『十を聞いて一を知る』を積み重ねた方がどれだけ成長できるか、ということを主張したく今回は僕が普段観漁っている尊敬するアーティスト達の動画をこれでもかと貼りますので、どうぞ皆さんご覧下さい。

その前に面白いエッセイを見つけたのでこちらも貼っておきます。


では改めて本題へ。

まずはLucas Mcfarlaneさん。ガッチリタイプのダンサーでとにかくパワフルで小回りが利く。ともすれば粗雑になりそうな所を彼の持ち味であるありそうでなさそうなフレーズを挟み込むことで強さの中にも繊細さを滲ませるダンサーです。



次は、Teddy Foranceさん。異常なレベルの身体の使い方の正確さと唯一無二の世界観、そして恵まれたプロポーション。使用する音も同世代のダンサーとは一線を画します。とにかく圧巻です。ちなみに最後のリンク映像に登場するPhillip Chbeebさんはこういった絶えず絡み合っているムーブメントばかりを産み出しているイノベーターの一人です。



最後は僕が最も敬意を払うダンスカンパニー、NDT(ネザーランド・ダンス・シアター)やパリ・オペラ座にも振り付け師として招聘されるWayne McGregorさんとAlexander Ekmanさんをご紹介します。というよりもご本人ではなく彼らの作品、になりますが。

最初の動画で指示を出している方がWayneさんです。

二つめの作品をご覧になって『あれ?』と思った方。そうなんです、昨年の引退パフォーマンスのコンセプトや衣装はこのピッティ宮でのCosというブランドのショーにインスピレーションを得ています。

三つめのAlexanderさんの作品は生で観られたらどんなに良かっただろうか…とずっと悔やんでいる作品です。

続く『Cow』のトレーラー。唖然、という言葉しかありません。ジャンルの壁なんてこうも簡単に蹴散らされてしまうのでしょうか…

最後の『Swan Lake』はMatthew Bourneの『Swan Lake』にも昔同じような衝撃を受けましたが、それを遥かに越える戦慄すら覚える問題作。あぁ、こんな作品ばかり毎月観られるヨーロッパに住みたい…









by reijiro_kaneko | 2019-01-27 03:47

猛進したり葛藤したりしています

今年はまるで虫眼鏡で見るように細かい事にいちいち拘ろうと新年の誓いを立て、日々『ちょっとやりすぎかしら?』と不安になるぐらい細かく皆さんを観察したり注意をさせて頂いております。

その理由は簡単に言いますと『見てられない』から。

うろ覚えのまま何となく他の皆さんに誘導されてあっちにふらふらこっちにふらふらしている方を見てられない。

ついうっかり間違った形に入ってしまう方を見てられない。

身体に悪い負担がかかっているのに無理を押し通してなんとか動いてしまっている方を見てられない。

そんな様々な理由がありますが、特に見てられないのは、『自分の中だけでの常識で似て非なる形や動きを鼻高々で疑いもせず恍惚と踊ってしまっている』方。はっきり言って『それ、習いに来る意味ないよね?』と思いますので、以前は無視していましたが最近は目の前に立って指差し指示とか平気でやってます。

決して安くはない対価をお支払になって受講して下さる訳ですから、それを『いつか分かってね』と長すぎる目で見守っていることが責任放棄だなと感じる出来事が去年何度かありました。確かに、『自分自身のセンスや力で気付き直す』という作業が出来ることがその人が善き方向に変わっていくための大前提ではあるのですが、気付くキッカケを少ししか与えられずに『気付け!戦え!』と言われ続けても何をどう気付いて何と戦うのか全く理解できない方も大勢いらっしゃいますので、ついに僕は信条を潔く曲げ、気になった方が気付いて直す努力を始めるまで目の前に立ってお手伝いをすることにしました。

もうすでにトライアルとして幾つかのクラスでこの手法を試みていますが効果は絶大です。

今までぼんやりうっかりへらへらと踊っていた方々の顔つきが変わりました。

比較的上手に自己流に解釈して自己満足で踊っていた方が些細な箇所でつまづくようになりました。

良くも悪くもなく能面で平均的に無難に踊っていた方が時折ハッとするような動きや表情を見せてくれるようになりました。

多少、僕が大事にしてきた和気あいあい感は減ってしまい、ピリッとした緊張感が充満してしまうので、ただ楽しく時間を過ごしたくてスタジオにいらっしゃっている方にとってはストレスになるかもしれません。結果としては楽しんで頂くことが理想であり、その楽しみ方を『なんでもいいよ~怪我さえしなければ各自の自己責任で楽しくやってくださいね~』ではなく、『そんなに厳しい型や動きをこなさないと美しい動きにならないのね、じゃあ果たして私はそれらの細かい指示を何%ぐらいこなすことが出来るかしら?』と模索して頂いて、最終的に『それは絶対に無理!』と感じたこと以外の部分で全力で踊って頂いて、しかもそれが楽しいと感じる、という精神構造に行き着くように誘導しているのです。

頭痛の頻度は確実に上がりましたが、そういった顕著な変化を見せて頂けることこそが喜びですので頭痛いのなんてどうってことありません。脳溢血でレッスンにパタリと倒れてそのままあの世へ行ってしまったとしてもそれこそ本望です。

大嫌いなAdeleで、僕自身は何の感情移入も出来ない曲で、天真爛漫に『気付ける人だけ気付いてね~』と責任放棄することを辞め、身体の不調を訴えられても『そういうの辞めません?動けるからレッスン受けに来たんでしょ?調子悪いのなら休む、レッスン受けるのなら黙って受ける、それが常識でしょ?』と説教し、なんとなく質問をされた方に向かって『正確に質問したい箇所をまとめてからしてください』と言い放ち、何だか厳しい作法の先生みたいになっちゃって、一体自分はなにやってんだろう…と途方に暮れることもありますが、『いやいや今までが酷すぎたんだから、迷わず貫け!但し、感情的になるのはNG。言葉はあくまでもお前の一番の長所である様式美に関する時のみに発せられるべき。』と何度も心の中で反芻して皆さんの前に立っております。

ほんと、なんでこんなこと書いてるんでしょうねぇ(笑)

教師たるもの、こんな心情吐露などせずに堂々としてれば良いはずなんですが、どうもそういうのが性に合わないようです。

書きたくなった理由は先日の某映画の某ダンスシーンの某振付に立ち会ったことも大きかったのです。

中途半端に良いモノではなく、最高に良いモノを創るために、甲斐甲斐しくキビキビと働くスタッフの皆さんや、素養の段階で既に絶世の美男子であるにも関わらずそこで満足せず更に男前度を上げていく俳優陣を端で見ていて、自分は果たして最高の仕事をしているのだろうか?とふと考えてしまいました。

年齢や不具合を考慮し過ぎて『現状維持』を念頭に指導してきたが、それは本当に『現状維持』になっているのか?もしかして『現状維持』どころかどんどんダメにしていっていないか?

昔、僕が猛烈に腹を立てた『センスの無い人はダンスやる資格ないわ』と豪語して憚らなかった先生みたいに自分がなってしまっていたのではないか?

明らかに非常識な方々に対して言っても無駄だから何も言わずにやり過ごして自分だけが胃痛を耐えればいいのだ、と信じていた頃からはだいぶその場で臨機応変な対応が出来るようになったものの、まだまだ常識と配慮と美徳などがごちゃ混ぜになってしまってお互いに嫌な思いをするケースが発生してしまっていないか?

頭が固くなり、意固地への坂を転がり出すこの年齢だからこそ、毎日を惰性で生きず美しい余生に向けて日々悶絶していきたいと思います。

これ、まとまってるのかなぁ…(-_-;)
a0052916_16352998.jpg

写真は学生時代のサークルの写真です。
さて僕はどこでしょう?

by reijiro_kaneko | 2019-01-25 16:30

知らないことは罪

突然ですが、どう伝えれば良いのか悩んでいます。

そもそも、僕が創る作品や毎月のレッスンでの振付は、分かりやすく噛み砕いて皆さんが共感できるお話などを無理矢理こじつけて説明したりしていますが、実は僕が本当に考えていることとは大きなズレがあります。

常々、『これは青春ものではないんですよ』と言ってますので、『この振付は一見好きになった相手の心が離れてしまったので苦悩しているように見えるけど、きっとそうではない何かの表現なのだろうなぁ』と思って頂いてはいると思います。

しかし、そう理解しても引き出しがそれほど多くない方は『そうは言うけどよく分かんないし、分かんないまま踊ってるのも不快だから自分の体験や好きな映画と照らし合わせて恋愛っぽい表現にしちゃおうっと』と要領よく踊って下さるケースもよく見かけます。

基本的にそれで良いのです。

え?だったら何でも悩んでんの?と思われますよね?(笑)

そうなんです、そこが僕のメンドクサイとこなんです…

ベタベタな恋愛ソングとか元気を出して皆で手を取り合って頑張っていこうソングがゴキブリよりも大嫌いな身としては、惚れた腫れたを夢中で表現していたり元気を無くしている人のために全身全霊で応援する気持ちを込めて踊っていたりする姿を観ているとマイナス30℃ぐらいまで心が冷えていくのを感じます。

そんなものを自分が魔が差して創ってしまった日にはもう死んでしまいたくなります。

どこまで底意地が悪いんでしょうね、、、。

でもね、言い訳をさせてください。そういう思考回路になるには理由があったんです。

僕も人の子ですから、人並みに恋愛もしましたし、自分が元気が無い時に誰かに励まされて立ち直れたり、今度は誰かのために同じ事をしなければ、と思って生きてきました。しかし、それは只の日常生活の中でのことであり、それをわざわざ舞台に乗せるのはどうかと思うのです。

舞台とは神聖な場であり、中途半端な日常が紛れ込んではいけない所だ、と幾つも作品(と呼べる代物ではありませんでしたが)を創っているうちに反省と共に確信を持って考えるようになりました。

結果、最近の僕の持論は『舞台とは、日常の種々雑多な感情に寄り添うものではなく、叡知の結集が生み出す示唆に富んだ啓示でなくてはならない』へ行き着きました。

勿論、これは僕の中だけでの定義付けに過ぎませんし、僕が敬愛する舞台作家の皆さんの作品を自分に都合よく屁理屈捏ね回して解釈しているに過ぎません。

ですので、ここから先は『あーめんどくせぇ、もう何いってんのかさっぱりわかんねぇよ』と匙を投げた方は即退出されることをお勧めいたします。

逆に『おっ!なんだか面白いことになってきたぞ!』とワクワクしちゃった方は続けて駄文をお読みください。

偉そうなことを毎回つらつら書いている僕ですが、30代後半ぐらいまでは惚れた腫れたをテーマに作品を創ることが殆どでしたし、自分の創った作品で誰かが元気になってくれたらと願うおこがましく思い上がりも甚だしい勘違い野郎でした。思い出しても反吐が出そうです。

そんな勘違い野郎であったにも関わらず、世界に通用する知識とセンスと才能の持ち主である今のパートナーと何故か出逢うことが出来たのは、神様の悪戯であったとしか思えません。

彼との出逢いは人生を根底から覆す良い意味でも悪い意味でも大きな転機でした。

まるで大学に真面目に通っている学生のように、ほぼ毎日膨大な量の新しい知識を与えられ続け、早々と思考がパンクしてしまうのにも我関せず洪水のように情報を畳み掛けてくれたお陰で数年経ってようやく自らの意思で好きな美術展に出掛けたり良質なファッションブランドの服を購入したり出来るようになりました。

今だからこそ、対等に芸術の話を彼と交わせますが、最初は本当に無惨な状況でした。無知を嘲られ、浅はかさを詰られ、彼の専門外であるダンスに関してもケチョンケチョンな酷評ばかりされていました。

元々頑固で負けず嫌いな僕がそんな仕打ちを受けてよくもまあ耐え忍んだなぁと感心しています。

それもこれもきっと『自分は師に恵まれている強運の持ち主だ』と信じて疑わなかったから、なのでしょう。

頑固で負けず嫌いではあるけれど、我慢強く郷に入っては郷に従えを美徳とする僕でさえ、『そこまで言われたら頭にきて速攻別れるわ』と思うような事を散々言われてきたのです。何故耐えられたのか思い返してみて不思議でなりません。

彼の指南のお陰で全く知らなかったことを純粋に楽しいと思えたり素敵と思えたりして吸収出来たことは山ほどあるのですが、同時にそれまで毛嫌いしていたことに目を向けるようになるどころか真実を知らされて大好きになってしまったことも沢山あります。

例えば、パウル・クレーという画家は昔から何故か知っていて大好きな画家の一人でした。それを彼が知って同時代、或いは関連性のある画家を次々に教えてくれました。

ピカソ、マティス、カンディンスキー、ブラック、キリコ…総じて昔は『変な絵。気持ち悪い。』と敬遠していた画家ばかり。

僕が観てきた作品は彼らの膨大な作品群の中の本当に氷山の一角でしかなかったのです。世間に大々的に知られている代表的な絵は何の知識もなく見ると確かに気持ち悪く意味が分からない作品かもしれません。しかし、初期から晩年までの作品を全て系譜立てて見ていくとどの画家も素晴らしい才能の持ち主であることが分かり、当初抱いていた生理的嫌悪感もあれよあれよという間に消えていくのです。

また、彼らがバレエリュスに深い関わりを持っていた史実も恥ずかしながら知っていなかったどころか、バレエリュスという現在のバレエ界だけではなくファッションや絵画・音楽などにも多大な影響を与え続けている潮流が存在していたことすら知らなかった訳ですから、これはパートナーにしてみたら『ダンスに携わっていながらそんな常識も知らないなんて呆れて物も言えないわ。。。生きてる価値すら無いんだけど。』と言うのも無理はないです。あの時は本当に穴があったら入って死んでしまいたい気分でした。

そんな経緯があっての近年の僕の暴言集が生まれる、というカラクリでした(笑)

『知らないことは、知ってて見て見ぬふりをすることより100倍罪』とはパートナーの名言のひとつですが、知らないのは当たり前。それをどうやって知る機会を設け、興味を抱いてもらい、一見ダンスと関係ない知識をダンスだけではなく豊かな日常生活のために役立てるか、という使命感のみで僕は今教えを生業としていたり作品を量産していたりする訳なのです。

ジョルジュ・ブラックの万華鏡のような世界観
a0052916_20341998.jpg
ジョルジョ・デ・キリコの静謐な空気感の中に潜む猟奇的な感情
a0052916_20343334.jpg
ワシリー・カンディンスキーの色彩豊かで楽しい構図
a0052916_20345040.jpeg
そしてパブロ・ピカソの刻々と画風を変えていった執着への潔い訣別。
a0052916_20363735.jpeg

そういう一筋縄ではいかない価値観こそが舞台にのせる作品には絶対に必要だと信じているからこそ、例えスターダムに登り詰めなくとも丁寧に作品を産み出していきたいと思う原動力になっているのです。

ええ、皆さんに彼らの作品を全て見て好きになれとは言いません。しかし、毎日ほんの少しだけSNSを覗く時間を削ってまだ見ぬ世界の存在に気付くことがこの先の人生を豊かにしてくれることは間違いありません。

なんて言いつつ、来月はAdeleで切ないリリカルジャズを踊って頂きますので、皆さん勝手にジョアン・ミロの絵を思い浮かべてそっとイメージを足したりしてみてください。
a0052916_20351472.jpeg

by reijiro_kaneko | 2019-01-21 20:31

異端

随分前の記事の中で彼を取り上げたことがありますが、iPodに放り込まれた膨大な曲を片っ端から聴いていたら一番好きな彼のアルバムで指が止まり、そのアルバムの中でも最も思い入れのある曲『Breathing Light』をリピート再生しながら今朝は出勤。


曲に酔いしれながら、ふと考えました。一体僕は彼の何を知っていたのだろう、と。インド系イギリス人だということぐらいは存じておりましたが、まさか彼がコメディアン出身だとは初耳でした。

よりによって何故コメディアンだった人がこんな曲を創るなんて…

ご存知の方も多いと思いますが、僕はジュリアード音楽院を首席で卒業して音楽界のトップを華々しく賑わせている、なんてアーティストにはあまり食指を動かされません。それはそれで本当に素晴らしい才能だと思うのですが、所詮優等生の音楽であり教科書的な正しい美しさに終始しているケースが多いためです。

オバマ前大統領に呼ばれて堂々と夫妻の前で歌い上げたEsperanza Spalding嬢のように、稀にそんな出自ながらも圧巻な異端児が出現することもあるので決めつけは良くないですが。

そろそろNitinの話に戻りましょう。

彼が名門音楽院で教育を受けたかどうかはリサーチ不足で定かではありません。手元にあるのは以前はコメディアンであり、現在はインドや中近東がルーツの音楽をベースに唯一無二のジャンルを確立する一方で、最先端の音楽シーンとも貪欲にコラボレーションを続けドキュメンタリーや映画のサントラも手掛ける、という情報ぐらいです。ボスニアヘルツェゴビナ紛争やロンドン地下鉄テロへのオマージュ曲を多数リリースする政治的メッセージの発信者でもあります。

そんな彼が数年前にリリースしたアルバムの存在を今日知って驚愕しました。その中の一曲がこちら。

Joss Stone は数年前に僕も一時期ハマった歌手でして、大好きな二人が共演していた事実に胸を高鳴らせながら聴いてみたら…

『えっ?これがNitin…?』と少々戸惑うようなスタンダードジャズヴォーカルチューン。

でもね、これでいいんです。だって、本当に素敵なんですもの。

時を同じくして最近よく聴いているMaroon 5の最新作がネット上では酷評されていたりして、『こんなのMaroon 5じゃない!』という意見が多く見られるのですが、そういう感想を抱くファンの心理に一瞬共感出来ました。

しかし、ずっと金太郎飴のように同じような曲を量産していれば安心してファンで居られる、というファン心理にはいささか疑問を持ち続けている身としては、そんなのどうでもいいじゃん?素敵にどんどん変化していくミュージシャンは心広く応援してあげれば自分の見聞も広がってお互いに良いことづくめなんじゃん?と思うわけです。

そもそも、世界の紛争の殆どは『多様性に対する不寛容』に端を発しているものばかり。自分と違うものを排除しようとする気持ちが周囲を巻き込んで国家レベルでの戦いにまでエスカレートする。そんな歴史の繰り返し。

ほとほと嫌気が差します。どうして異端を嫌うのでしょうか?どうして民族浄化などという思想が大義名分となるのでしょうか?

サラエボ陥落への哀悼歌である『Breathing Light』のような曲をアーティストが書かなくて済む、多種多様性が仲良く共存出来る世界が少しずつでもいいから広がっていくことを祈ります。

『Breathing Light』の曲中にサンプリングされた亡きネルソン・マンデラ氏の声『We are free to be free』が胸に深く突き刺さります…
a0052916_16133943.jpg




by reijiro_kaneko | 2019-01-18 15:08

どすこい!

さて、パーソナルトレーニング報告日記としては年明け初となります。

今日も沢山の気付きを得られ、なんとなくズルズルと続いていた正月気分も華麗に払拭。素晴らしいひとときを過ごすことが出来ました。

本日のキーワードは『突っ張り不足』
a0052916_20533112.jpeg
前置きとしてこんなお話から。

僕は長年、『猿手』(反張肘)の弊害について説いてきました。その理由は①見映えが良くない②床に手を着いて身体を支える時に肘を痛めたり肩回りの動きを損なうので美しいムーブメントが出来なくなる③肘を通る神経を痛めやすいので首などに障害が出る可能性がある、などです。
a0052916_20582323.jpeg
しかし、パーソナルトレーニングを受けるようになって一番の戸惑いは、『猿腕は寧ろ利用すべき』という考え方だったのです。

僕自身かなりの反張肘で、昔のビデオを観ていると無防備に反対側に曲がってピーンと腕を伸ばしている姿が随所で見られます。あの頃は反張肘などという言葉は全く知りませんでしたし、先生達からとにかくピーンと腕を張りなさいと注意を受けることが多かったこともあり、何も疑い無く奇形を晒していました。

教えを始めるようになって、身体のことに詳しいトレーナーさん達数名と意見を交わす機会も増え、この反張肘が利点こそ無く弊害だらけだという事実を知るに至り、こりゃあ大変だと青ざめ指導中に度々『猿手はダメだよ~』と口にするようになったのですが、相当意識をしないとたやすく直るものでもなく直す方法としては鉄アレイを持ってガンガン腕を曲げ二頭筋をモリモリ鍛えて肘が安易に伸びきらないようにすることぐらいしか無いものですから、筋トレが嫌いな女子、そしてうっとりと肘を伸ばしきって踊りたい男子には全く響かない事態に何年も悩み続けてきました。

それがまさか、パーソナルトレーニングで自分の身体でもしっかりと理解し猿手で困っている皆さんをも誘導できる光明が見えることになろうとは本当に予想外でした。

原理としては簡単です。

分かりやすく申しますと、例えば腕立て伏せをする時に腕を伸ばす際、完全に肘を伸ばしてしまう、ということ。

この時に肩甲骨が弛んだ状態で肘を伸ばしきってしまうと、反張肘を改善するどころか逆に痛めてしまいます。肩甲骨はしっかりと左右上下に極限まで張って広げた状態、つまり背中を丸めて胸を寄せる形にした上で肘を伸ばしきる。そうすることによって肩甲骨周りと腕の全ての筋肉を統合して身体を支えることが出来るので肘へのダメージは少なくて済む、ということなのです。

今日もトレーニングの中で幾度となく『はい、突っ張り不足ですよー』とトレーナーに指摘されておりましたが、その声を聞いた瞬間に手首や肩回りの痛みを感じていたので、彼の言う通りしっかりと肩甲骨から意識を繋げて床を押しきるようにすると手首も肩も全く痛みは出ないのです。

正月開けて亜流のトレーニングでどんどん身体が歪み、手首も肩も限界に達していた今日だから彼の声が素直に響いてその場で直ぐに修正出来たのでしょうから、トレーニングの合間を空けることも気付きを得るためには必要だな、と強く実感。

しかし、二週間以上間が空くと面白いほどダメになっていってしまうことも同時に分かったので、これからはなにがあろうと二週間ペースのパーソナルは欠かさぬようにしよう!と決意いたしました。

話は全く関係ないのですけれども、我が家についにデロンギのオイルヒーターがやってきました。
a0052916_20545488.jpeg
これが『どうしてもっと早く買っておかなかったのだろう?』と大変後悔する素晴らしい代物でして、エアコンや石油ファンヒーターなどに比べるととても身体に優しいのです。売り文句である『春の陽だまりのような温かさ』そのものなのです。

そして、気が付くとリビングに置いてあるデロンギにピトッとくっついてその日の報告を交わすパートナーと僕の姿が毎晩の恒例の光景となりました(笑)

おしまい。

by reijiro_kaneko | 2019-01-17 20:51

合縁奇縁

舞台を観て熱い想いを此処で述べる、というケースが稀な僕ですが、今回は少しだけ熱く語りたいです。

昨日とある本番のゲネプロを主宰の方のご配慮にて観覧させて頂いてきました。

一言で言うならば、この数年で観たり関わったりしてきた舞台の中でダントツの舞台でした。

主宰の方の深い愛情を受け継いだアシスタントの皆さんの作品や出演者に傾ける愛情、そしてその気持ちに全身全霊で応えようとする出演者の皆さんの気持ちが見事に一致団結した、まさに『想い』に尽きる舞台でした。

『想い』よりも様式美を重んじ出演者には酷を強いてしまう僕としては少々気恥ずかしくなる愛情が前面に押し出された作品もありましたが、そんなことはどうでもよくなるぐらい心地好く浸りつつ終始感嘆の呻き声を漏らすひとときでした。

中でも一昨年から関わらせて頂いている熟年ダンサーの皆さんの目を見張るような成長と凛々しさには息を飲みました。プロのダンサーさん達は巧くて当たり前。しかし、素人であちこち故障も抱えながら必死で頑張っているアマチュアの彼女達のここぞとばかり咲き誇っているダリアのような強い美しさについ落涙いたしました。
a0052916_11294733.jpeg
そして、もう一方。

この方とはもうだいぶ長い顔見知りであったにも関わらず、一昨年末ようやく初めましてとご挨拶を交わすに至る、というお互いどんだけシャイなんだよ的な関係性の方でして、昨日初めてその方の作品やご本人のダンスをマジマジと拝見させて頂けたのです。

その人が登場すると他のダンサーも俯瞰で観たいと思いつつもどうしても目が行ってしまい、その理由をあれこれと考えてみました。

僕の大好物である『面が分かっているタイプ』でもないし、四肢がスラッと長い訳でもない、センターでこれ見よがしに己を誇示するスーパースタータイプでもない。

それでいて、ズイと心に入ってくる存在感の強さ。

観ているうちに次第に分かってきました。その方には『正面』という概念が存在しないのです。全ての方向が正面であり、その全ての方向に等しくエネルギーを放ち、その上その熱量を巧みに加減している。力の配分は音と完全にシンクロしていてその人が音そのものに成っている。まさに目で音を聴いている感覚。

こういうダンサーは本当に何時間でも飽きずに観ていることが出来ます。

実はこの方、かなり前から僕の作品を必ずと言っていいほど観て下さっていて、人づたいではありますがどうやら僕の世界観を慕って下さっていたようだと最近知るに至りまして、何故ジャンルも年齢も体格もまるで違うのにそんなに気にかけて下さるのか、昨日その理由が少しだけハッキリしたような気がします。

音をあたかも食事を摂るように体内に一度飲み込み、その質量を失わないように丁寧に空間に再び放つ。それを追究することに命を賭けている。いや、きっと、その方にしてみたら命を賭けるなどという仰々しい感覚ではなく、素朴に楽しんでいるだけなのかもしれない。

僕はその方ほど純粋でも真摯でもありませんが、見ている景色は同じ気がします。

奇しくも本日の某T店での祝日プログラム、そして来週の8ppy.さくらさんWSでの振付曲としてMaroon 5を選びました。ポップでありながらどこか深淵なムードも漂わせるその曲で聴こえてくる音を丁寧に拾い、多少気恥ずかしい表現も能書きも垂れず素直にしてしまおうとしている自分がいます。この曲を使おうと思い立ったのが土曜日。そして、昨日日曜日のそんなこんな。

まさしく『合縁奇縁』です。
a0052916_11300221.jpeg

by reijiro_kaneko | 2019-01-14 11:27

想像力

今日は筆が止まりません。度重なる投稿、ご容赦ください。

今回のテーマは『想像力』。
a0052916_18561376.jpeg
皆さんは『想像力』と聞いて何がピンと来ますか?

また辞書を引いてみました。

『想像力(そうぞうりょく、英語: imagination、フランス語: imagination) 心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに、作り出す能力である。想像力は、経験に意味を、知識に理解を提供する助けとなり、人間が物事や現象を理解するための基本的な能力の一つである。また、学習の過程においても補完的な役割を果たす。

想像力のための基本的なトレーニングはストーリーの語り(物語)を聞くことである。これは、語りのみから物語の世界を正しく呼び起こす必要があるためである。

もっと広義には、想像力は、我々がすべてに出会うための能力である。我々が触れ、見聞きするもの全てを、「像」に結合させているプロセスを想像力と見なすことができる。』

とても平たく言うと、『見えていない、あるいは聞こえていないものをあたかも見えている、聞こえているかのようにイメージする力』でしょうか。

似て非なる言葉に『妄想』がありますが、こちらは少し病的な意味合いを持っており、『あたかも見えている、聞こえているかのようにイメージしていることを本人が気付いていない』という決定的な違いがあります。

なのでよく僕も『趣味は妄想です』などと自嘲気味に申し上げることがありますが、正確には『趣味は想像です』なのです。

それは置いておいて。

想像力はどんな方でも持っている力だと思います。誰も知らないアッと驚く発明が出来ることだけが想像力ではありません。

例えば日常生活において、『あの人にこんなことを言ったら気を悪くするかしら?こんなことをしたら喜んでもらえるかしら?』という配慮は立派な想像力ですし、お出掛けの際に『このボトムスにあのトップスを合わせたら素敵に見えるかしら?』とコーディネートを考えることもれっきとした想像力です。

そんな風にありとあらゆる機会に我々は想像力を駆使して生きている訳ですが、これが精神的な余裕を欠いたり人間関係が歪んできたりすると想像力を働かせることにエネルギーを注げなくなるケースが多くなりがちです。

また、これだけ便利な世の中になり何でも欲しい物や情報が安易に手に入るようになると、想像力を働かせる必要が少なくなります。

しかし、生産と消費というサイクルの中に組み込まれて日々を惰性で生きていればそれでもそこそこ幸せな人生を送れたと納得して長寿を全う出来るのかもしれません。

それが良い生き方だと信じている方には多くは語りません。それも素晴らしい人生だと思いますので。

でもね、『表現』なんてことを生業にしてしまった身としては、『想像力』を常にフル稼働させて生きることを放棄した時点でもうこんな商売からは足を洗った方がマシ、だと思うのです。

物凄いハードルが高いことを自分に強いている訳ですから、良い子の皆さんは真似しないでくださいね(笑)頭使いすぎてハゲますし、ちょいちょい頭痛に悩まされますし、体調も乱気流になりますのでね。

それでも食らい付きたい方はお好きにどうぞ(笑)

ちなみに想像力には年齢や体力の限界は無い、というのが僕の持論です。何歳であっても、例え病を抱えていたとしても、良い方向に変わりたいと願いその変わった自分のビジョンがしっかりと頭の中にある方は絶対に変われると信じています。

少し話は反れますが、以前このblogにコメントが書き込める設定にしていた時に、ある方から痛烈な批判コメントを頂きました。コメントの内容が僕の申し上げていることが生意気だとご指摘下さったことに関してはその通りと納得していたのですが、セクシャリティをからかう内容でもあったことに酷く落胆し、それ以降コメントは受け付けなくなってしまいました。どなたが書いて下さったのか未だに分かりませんが、おそらくある程度親密な関係にあった方であることは内容から察することが出来ました。何故、直接言って下さらなかったのか…何故、公の場で制裁を加えるような仕打ちをされたのか…今もなお悲しい気持ちは癒えておりません。この先の人生でもしその方ともう一度直接お話出来るチャンスがあったのなら、僕の不備をお詫びしその方がどんな想いで書いて下さったのか生の声で語って頂けたら嬉しいです。

この一件があってから、どんな時でも想像力は絶やしてはいけないという思いを新たにし、自分が他人に対して同じようなことをしてしまわぬよう気を付けなければ、と思うようになりました。ですので、本当にその方には感謝しています。

これで終わるのも何だか忍びないので、もうひとつだけ。

『想像力』の定義を最初に記しました。物語の語りを聞くことから想像力は養われると在りますが、僕はそれだけではないと考えています。

経験に裏打ちされて初めて想像力は発動するのです。なにもないところから一気に素晴らしい想像を産み出せる天才は稀有です。殆どの人々はそれまで生きてきた道程の中で培った経験を元に様々なケースで想像力を発揮しているのです。無駄な経験だと思っていたことでさえ、素晴らしい想像力の源になることも多いのです。

『失敗は成功のもと』と言いますよね?

もうどんどん失敗して恥を沢山かいてそこで得た教訓を胸に想像力で華麗な変身を共に遂げようではありませんか!


by reijiro_kaneko | 2019-01-06 18:54

カルチャーショック

今日は多弁です。

ずっと書く機会を伺っておりましたが、ようやく頭の中でまとまりましたので記してみたいと思います。

僕はNHKの番組『チコちゃんに叱られる!』の隠れファンです。
a0052916_17253657.jpeg
あの『ボーッと生きてんじゃねぇよ!』に幾度となく『ボーッと生きててごめんなさい』と頭を垂れたことでしょう。

世の中には興味を持っていないと入ってこない情報が星の数ほどあります。この情報過多社会でさえ、アンテナを立てていないと折角の貴重な情報達は強風に飛ばされるようにあっという間に散り散りに消えていってしまいます。

全ての分野に精通するスペシャリストなんてこの世に存在するはずは無いのですから、何でも知っていない(変な言い方ですが)自分を恥と思うことは可笑しなことかもしれません。

しかし、僕は『知らないことは恥』と何時の頃からか病的に思うようになり、知らないことが目の前に出現するとそれこそ穴があったら入りたいぐらいの恥ずかしさに襲われます。

そうは言っても、その時遭遇した『知らなかったこと』を知り得てある程度深く追求していったとしても、ある日また『新しい知らないこと』がひょいと現れます。

そんな時に必ずチコちゃんの『ボーッと生きてんじゃねぇよ!』が頭の中に鳴り響きます。

ええ、ほんとに、僕は何て怠惰な人生を送っていることか、あなたの言う通り僕はボーッと生きてしまっています、ごめんなさい…

そう恥じ入りつつ、その『新しい知らないこと』がとてつもないカルチャーショックであり、吸収力が弱っていた脳が勢いよく動き出すという体験をもたらしてくれることがあると、恥ずかしいと感じる前に素直に感謝する心が動きます。

さて、そんな訳でいよいよ本題です。

カルチャーショックという言葉を調べてみました。
a0052916_17245060.jpeg
『カルチャーショック(英: Culture shock)または文化的衝撃とは、異文化に見たり触れたりした際、習慣・考え方・異文化の実像について、母国文化の常識と大幅に掛け離れていたり、自身が学校教育などで習得したその異文化に関する知識・情報と乖離しているため、心理的にショックを受けたり戸惑うことである。例えば、言葉が全く通じない、現地の人間について自分が学校の授業で教わったイメージと実像がかけ離れている、など。

外国や国内問わずに起こりえるものであり、例えば、外国の観光地や大都市に赴いた日本人が現地の実際の姿を実際に見てカルチャーショックを受けたり、逆に外国人が日本に来て自身が知識として得ていた日本に対するイメージや日本人像とその実像のギャップにカルチャーショックを覚えるということも起き得る。

リエントリーショックという言葉もある。これは地元に戻った際に今まで馴染んでいたはずの文化・価値観や母国の政治・教育に疑問や抵抗感が沸いてしまうことである。外国留学やビジネスでの長期滞在から帰って来た人に見られる。』

だそうです。

ショックという表記の通り、どちらかと言うと良い意味で使われることは少ない言葉だと思います。

しかし、過去に幾度となくメガトン級のカルチャーショックを受け、その度に大きな変化を乗り越えてきた身としては、カルチャーショックは寧ろ歓迎すべき有難い事件なのです。

井の中の蛙でぬるま湯に浸かって生きてきたらきっとこの現状に満足することは無い絶えず自分をアップデートし続ける在り方にはならなかったでしょう。

カルチャーショックの恩恵を誰よりも知っているからこそ、僕と関わって下さる皆さんには是非頻繁にカルチャーショックを味わって頂いて、常に新鮮な感覚を絶やさずご自身を刷新して頂くお手伝いをしたいのです。

昨年、僕は舞台への生出演引退を宣言し、様々な事がクリアになり、改めて裏方に徹する喜びを噛み締めております。第一線から身を引いたからこそ見えてくる沢山のカルチャーショックをこれからも皆さんとシェアさせて頂く所存です。

どうぞ宜しくお願いいたします。


by reijiro_kaneko | 2019-01-06 17:21



ダンサー兼インストラクター『金子礼二郎』が気ままに呟いています。
カテゴリ
タグ
最新のコメント
うーん、怪我ですか。心配..
by Annie at 14:33
yukiさん ほん..
by reijiro_kaneko at 12:10
慣れです、慣れ。 がんば..
by yuki at 11:49
ハニョポンタさん ..
by reijiro_kaneko at 22:59
昨夜アバターを観てきまし..
by ハニョポンタ at 13:29
ふぁるさん 初めま..
by reijiro_kaneko at 12:41
初めましてです。 私も..
by ふぁる at 02:15
ひさえさん おー!..
by reijiro_kaneko at 23:54
H先生、以前カザミアで受..
by ひさえ at 15:03
美保子さん とても..
by reijiro_kaneko at 11:23
以前の記事
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
フォロー中のブログ
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧